ティアン
この獣人族の集落の族長であり、自身の父親でもあるティアンに説明を求められ、カイネはヒースを見て小さく頷くと、ティアンの前に同じ様に胡座をかいて座った。ヒースもカイネに目線で促され、カイネの横に同じ様にして座る。
「おいティアン、棚の酒をもらうぞ」
この中で一番自由に動き回っているのはザハリである。部屋の入り口近くにある低い棚の中にしまわれていた酒瓶と器を勝手に取り出すと、ティアンの返事を待つことなく一人飲み出した。
酒で思い出した。ヒースは部屋の入り口で立ったままのシーゼルを振り返ると、シーゼルは無言のまま持っていた鞄を下ろし、中から布袋を取り出した。
ヒースは立ち上がるとそれを受け取り、また元に位置に座った。すると、ティアンが鼻をくん、と動かす。
「……この香りは、まさか」
布袋を持っているヒースには全く分からないが、さすがは獣人だ。この袋の中身の匂いを嗅ぎつけたらしかった。
「あの、これお土産」
ヒースは、敬語の使い方がよく分からない。奴隷の中ではしっかりとした順位が存在していたが、ヒースは早々に春画という武器を持っているジェフの庇護下に入った為、順列争いに巻き込まれぬまま戦線離脱してしまっていたのだ。
ジェフは大らかな人だったし、ヒースはまだ子供で、親から引き離されて奴隷になったことは周知の事実。同情からか、それとも奴隷という特殊な立場の人間に分類されるから敬語の使用が取り立てて必要と判断されなかった為か、言葉遣いについてとやかく言われたことはあまりなかった。
それは、他の同じ立場の子供達も同様だった。魔族達も、敢えてそこには拘っていなかった様に思える。
ティアンは、息子のカイネですら敬語を使う必要のある相手だ。そういった立場にいる人間が、はたしていきなり敬語なしできた場合、許せるのだろうか。
少なくともザハリは敬語は一切使っていなかったが、年齢でいえばザハリは遥かに年長者であり、しかも蒼鉱石を取り扱うことが出来る貴重な鍛冶屋だ。ヒースとはまた意味合いが違う可能性はあるが。
ティアンは無言で無表情のままヒースが差し出した布袋を受け取ると、紐でぐるぐると巻かれている開け口を開き始めた。袋の中へ手を突っ込み、幾つかを取り出し、手のひらの上で転がしてみせた。
「これは……」
すると、ティアンの目に突然涙が浮き出てきた。
「え!? あの……!?」
ヒースが驚きのあまりつい腰を浮かせティアンに手を伸ばすと、カイネがヒースの手首を掴んで引き戻した。
ティアンは、グス、と鼻を啜っている。でも何も言わない。そしてカイネも何も言わない。仕方ないので、ヒースは次の反応があるまでただ待つことにした。
風が、室内にぶら下がる薄手の布を舞い上がらせサラサラと音を立てている。時折、ティアンの鼻を啜る音が混じる。
背後から、コポコポという音が聞こえてきた。ザハリが早くも二杯目を注ぎ始めたらしい。
「おいティアン、ヒースが困ってるぞ」
すると、ザハリがそう助け舟を出した。その言葉を聞いたティアンは、手に持った数個の酔木をぎゅっと握り締めてから、ようやくヒースと目を合わせた。
ヒースはひたすら待った。
すると、ティアンが涙を指で拭い、言った。
「すまない。我が妻の言葉を思い出してしまってな」
酔木を見ただけでアイリーンの言葉を思い出すとは、一体どんな出来事があったのだろうか。ヒースはこくりと頷きながらティアンが続きを言うのを待っていたが、次がなかなか出てこない。
ヒースはとうとう待ちきれなくなって、ティアンに尋ねた。
「あの、一体どんな思い出があったの?」
すると、ティアンがゆったりと答えた。
「我が妻は、酔木を見て『こんなので酔えるなんて獣人はお手軽ね』と言っていた」
お手軽。随分とはっきりとした物言いをする人だった様である。
ティアンの顔には薄らと笑みが浮かんでおり、それがティアンにとって、決して悪い思い出ではなかったことを表していた。
ヒースは続きを待った。が、何も出てこない。
ヒースは、違和感を覚え始めていた。これまでカイネから聞いていた、あの強そうなヴォルグをあっさりと倒す力の持ち主だが、十七年前に魔族軍に従軍させられ参加した場でアイリーンと出会った際の、決してただ力任せに物事を運ぶ訳ではない思慮深さを持った獣人という印象が、実は違うのではないかとの直感だ。
「あの……もしかして、それだけ?」
すると、ティアンがほわっと笑い、頷いた。
「ああ。いい思い出だ」
場が、しんと静まり返った。後ろでまたコポコポ、と音がするのは、ザハリが早くも三杯目を注いでいるのだろう。あんなに急いで空きっ腹で飲んで、酔っ払わないのだろうか。ヒースは若干だが心配になった。
奴隷時代は、勿論酒などは支給される訳もなく、奴隷から逃げ出した後はジオもハンが来た時以外は酒を嗜まない為、ヒースは年齢的には酒を飲んでもいいとされる大人にはなっているが、一度も口に入れたことがない。獣人達の酩酊具合を見ていた限りでは、あまりいいものとも思えなかったから、飲みたいとも今の所は思ったことがなかった。
そういえば、ニアは成人して大分経つが、もしかして酒を飲んだことがあるのだろうか。あのニアが、仄かに頬をピンク色に染めて寄りかかってきたりするのならば、ちょっと、いや大分興味が出ては来るかもしれない。
「あの、さっきは何で泣いたの?」
ヒースがそう尋ねた途端、カイネの視線を感じた。言うなということなのだろうか? ヒースはティアンを観察し続けた。
「我が妻の生前の姿が目の前に現れたと思い、その愛おしさに思わず懐かしさがこみ上げたのだ」
愛おしさ。アイリーンが亡くなったのは、カイネが三歳の時、つまり十三年も前のことだ。
「そして、我が妻の発した言葉とその様子が大変可愛らしかったことを思い出し、嬉しく思った」
ヒースは唖然とした。つまりこの人は、酔木を目にしたことによりアイリーンが酔木について発した言葉を思い出し、その姿を懐かしみ涙を流し、それから楽しかった思い出に浸り笑みを浮かべたらしい。
つまりは、溺愛だ。
「そ、そう……なんだ……」
それ以外、言えなかった。相手がまだどんな人物かもよく把握していない以上、変な相槌を打つのは避けた方がいい。
すると、ザハリが言った。
「ヒース、こいつのことを待ってると日が暮れちまうぞ。あ、もう暮れてたな! あはははっ」
ザハリが陽気になって下らないことを言っている。ザハリは笑い上戸なのだろうか。
「えーと、あの、カイネ、ちょっと何か言ってよ」
この異様な雰囲気にこれ以上耐えられそうになく、ヒースはカイネに助けを求めた。すると、カイネは観念したかの様に目を瞑った後、大きく頷き目をしっかりと開いてティアンを正面から見据えた。
「父さん、僕の顔を見てすぐに母さんを連想するのはいい加減やめて下さい」
すると、ティアンが少し首を傾げて不思議そうに尋ねた。
「何故だ?」
カイネが溜息をつきながら言う。
「話が進まないからです!」
カイネは見るからに苛ついていた。ヒースはカイネとティアンを交互に見ると、ようやくこの違和感の原因に気が付いた。
カイネを見るティアンの顔は、ひたすら慈愛に満ちていた。カイラが間違える程にアイリーンに似ているのだ。そんな彼女に一目惚れをしたティアンにとって、亡き妻とよく似たカイネはひたすら可愛いのだろう。
「だって、アイリーンの大事な忘れ形見じゃないか。眺めて何が悪い」
にっこりと、ティアンが笑った。
次回は挿絵が描けたら投稿します。




