第3話 大人になっていたあの子
東雲理沙は17歳の時、当時21歳だった彼氏との間に子供が出来た。
そのまま結婚し、娘を出産する頃には18歳になっていた。子供の為にと、3階建ての家を購入して移り住んだ。
引っ越した先のお隣には、警察官の父親と1人の息子が居た。
警察官だったからか、彼は若くして子育てをしている、理沙達一家を良く気遣った。
それは子供を死なせてしまうような、不幸な未来を防ぐ為か純粋な好意によるものか、理沙にはどちらか分からなかった。
ただ後者であったと今でも理沙は信じている。でなければ息子である間島一輝を、好きに出入りをさせなかっただろうから。
18歳の理沙と10歳の一輝が出会ったのは、今から12年前の事である。
高田家と間島家の間柄は良好で、良く一緒にバーベキューやキャンプに出かけていた。
その付き合いは長く続き、理沙は10年ほどかけて一輝と姉弟の様な関係を築いていた。
一輝の初恋は理沙であるが、その事を理沙は知らない。月日は経ち、一輝が大学3年生になる頃から一人暮らしを始めた。
彼女を泊める目的などもあったが、1番は自立する為であった。
そこから理沙と一輝の関係には、約2年ほどの空白が生まれていた。
両親の反対を押し切って結婚した関係で、理沙は実家との仲が死ぬほど悪い。
それもあり理沙にとって弟の様な一輝は、家族の一員に近い存在となった。
だからこそ空白の2年間は少し寂しさを覚えていたし、今になって再会した事を喜んでいた。
理沙は離婚して旧姓の東雲に戻り、東雲理沙として一輝のお隣さんに再び戻った。
一輝の住んでいる場所を理沙は知らなかったし、本当にただの偶然に過ぎない。
だけど12年前の焼き直しみたいで、理沙は少し嬉しかった。あの頃を思い出すようで。
理沙は自宅で洗濯を続けながら、昨夜の一輝と過ごした時間を思い出していた。
(いつの間にかエライ男前になってるやんか)
可愛らしい弟分から、男の子に認識が変わりだしたのは一輝が中学生になった頃からだ。
父親の影響で柔道をやっているからか、一輝はどんどん体が大きくなって行った。
高校生になる頃には、一輝の身長は180cm近くなり、163cmしかない理沙は見上げねばならなかった。
身長だけでなく胸板なども分厚くなり、男性らしくなって行った。
それぐらいから一輝が、同級生の女の子と付き合い出した事を理沙は知る。
友達だと紹介された時に、自分を睨んで居た子だと理沙は思い出した。
一輝が理沙と仲良くしていると、子供ながらに敵意を向けていたのだ。
既婚者だから取ったりしないのになと、大人の対応で流していた。
そんな子と付き合い出した以上は、必要以上に一輝と関わらないように理沙は気を遣う。
それから接触は減って行き、昔のような関係からは少しずつ遠ざかって行った。
人は成長していくのだから、そういうものだと理沙も割り切り生活して来た。
ところが元旦那の不倫から始まる離婚騒動が発生。心労が溜まっていた理沙の前に、再び一輝が現れた。
(ちょっとだけ、嬉しいなぁ。また一輝君がお隣さんで)
一輝は昔から理沙の手伝いをやっていた。殆ど仕事で家に居ない元旦那の代理として、色々と頑張って来た。
聞き分けの良い弟が出来たみたいで、理沙はかなり救われていた。
娘の杏奈が風邪を引いた時など、1人では辛い場面が色々と発生する。
そんな時に一輝は、いつも理沙の支えになってくれていた。本当の家族みたいな、絆が確かに2人の間に出来ていた。
(アカンなぁ。しんどい時に一輝君を頼る癖が、また復活してもうた)
離婚をしても実家には戻れず、どうにか暮らして行こうと理沙は1人暮らしを始めた。
知らない土地でただ1人、離婚騒動で溜まった心労を抱えたまま新生活をスタート。
左隣と正面の住人は、午前中に挨拶が済んだ。しかし右隣は留守であり、夜まで待ってみる事にした。
掃除などの雑用を処理している間に日が傾き、右隣の隣人が帰宅したらしきドアの開閉音が響く。
(行ったら一輝君なんやもん、心の準備とか何も出来てへんかったわ)
そこはからは昔の癖でつい、一輝に愚痴を零したり甘えたりしてしまった。
疲れが溜まっていたのは自覚していたが、それにしても随分と癒されている。
理沙にとっての一輝という存在が、急に大きくなったような気がした。
むしろ元に戻ったという方が、表現としては正しいのかも知れない。
辛い時はいつも側に居てくれた、優しい男の子がまた隣に居てくれる。
それが今の理沙にとって、再び大きな支えになりつつある。少なくとも孤独ではなくなった。
(ただなぁ、一輝もまた彼女作るやろうしなぁ)
弟分とは言っても、理沙と一輝は本当の姉弟ではない。また一輝に恋人が出来たら、理沙は邪魔者になってしまう。
そうなるとまた、理沙は1人に戻ってしまう。それは正直辛いなと、理沙としては感じている。
じゃあ誰かまた男性を探して付き合って、というのも少し億劫ではある。
次は人間性を良く分かっている相手と、じっくり関係を深めて行きたいというのが理沙の偽らざる本心だ。
若さ故の過ちで、バツイチとなる原因を作った。人を見る目がまだ未熟な内に結婚した結果。
自分も悪かったと分かっているからこそ、次となると慎重にならざるを得ない。
(一輝君ぐらい真っ直ぐな人がエエなぁ。裏表のない感じの)
元夫とのやり取りに比べて、一輝とのやり取りは全てが楽しくて温かい。
仲のいい弟が居る姉とは、皆こんな感じなのかなと理沙は考えた。
じゃあ探すなら姉の居る弟タイプか? などと考えてみるも、だからって一輝と似た関係になる保証はない。
何とも難しいなぁと理沙は悩みながら、洗い終わった洗濯物をベランダに干していく。
今までと違って、1人分だから洗濯物の量はとても少ない。またしても1人である事を、強く意識させられる。
(いやなんでやねんな。なんでここで一輝君が浮かぶかなぁ)
まるで強く一輝の事を意識しているかのように、理沙の心が勝手に動いている。
恐らくその原因は、昨夜2人で飲んだ時の事。アルコールに酔った一輝は、それまで意識していたストッパーが外れていたのだ。
つまり理沙が既婚者だからとか、自分には彼女が居るとかそういう心理。
本心を留める必要が無くなったからか、今までにない対応を見せていた。
(リサ姉は今も綺麗やて、あんなストレートに言われたら恥ずかしいわ)
昨夜の一輝を思い出し、少し照れくさくなる理沙。物凄く真剣な表情で、一輝は理沙を褒めていた。
容姿は当然そうだし、料理が美味しいだとか、立派な母親だとか。それはもう色々と。
言った本人は覚えていないが、どれも一輝の本心であり適当な事は言っていない。
だからこそ真剣さが理沙に伝わり、こうして今悩ませているのだ。
(まあでも、あの子が優しいからやんな)
一輝が優しい心の持ち主である事を、昔から理沙は良く知っている。
だからこそ落ち込んだ理沙を、必死で励まそうとしただけに過ぎない。
それが理沙の認識であり、まさか一輝が自分を女性として見ているとは思っていない。
あくまで弟分として、姉貴分を慰めただけなのだと。昔から理沙は、少し鈍い面がある。
(アラサーのバツイチなんて、22歳の子からしたら論外やもんなぁ)
理沙は自分の価値を分かっていないし、一輝の認識に全く気づいていない。
アラサーのバツイチでも、美しい女性など幾らでも存在する。
そして年上の女性を好きになるような、若い男性だってどこにでも居る。
自分と一輝の関係が、まだ10歳と18歳だった頃とあまり変わっていないつもりで理沙は考えていた。
もう22歳になった一輝の、男性としての成長にしっかりと意識が行っていなかった。




