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第29話 思わぬ再会

 そろそろ7月に変わろうとしている。俺とリサ姉の関係が変化してから、それなりに時間が経った。

 当たり前のように一緒に居て、共に朝夕の食事済ませる。ひと月の8割程度は、同じ布団で寝ている。

 もう殆ど恋人みたいな生活だけど、俺達の関係は恋愛とは無縁だ。あくまで一緒に居るというだけ。

 お互いが抱える寂しさを、補い合うだけの関係。友達以上恋人未満の、曖昧な立ち位置。都合の良い異性。


「今日はどうする? また出掛ける?」


 6月最後の土日を、リサ姉2人で過ごしている。俺の家で朝食を済ませて、今は皿洗いをしている最中だ。


「う~ん、せやなぁ……今日は家でゆっくり過ごさへん?」


 今日もリサ姉はとても綺麗だ。出掛ける用意をしていないから、今朝のリサ姉はまだスッピンのまま。

 それでもリサ姉の美しさは、全く損なわれない。何よりリサ姉の本質は、内面の素晴らしさと可愛らしさにある。

 幾ら見た目が綺麗であっても、中身が伴わないと宝の持ち腐れだろう。その点リサ姉は、外見も内面も整っている。


「分かった。じゃあコーヒーでも入れるね」


「今日は薄めにしといて~」


 いつもと変わらない朝の光景。土日や祝日は、こうして2人でのんびり過ごす事がそれなりにある。

 出掛ける時もあるけど、どちらかと言えば家で過ごす方がギリギリ多いか。何かをしていなくても、一緒に居るだけで満たされるから。

 それに恋人ではないというのも、大きいかも知れない。付き合っているのではないから、無理にデートをする必要もない。

 俺達は満たされていればそれで良い。特別な事をしなくても、お互いの事を理解している。昨日今日知り合ったのではないから。


「砂糖とミルクはどうする?」


 ホットとアイスの両方に対応しているコーヒーメーカーから、アイスコーヒーを抽出しながら今日の気分を伺う。


「ん~せやなぁ……今日はミルクだけでエエわ」


「了解」


 現在の時刻は9時を回った頃。そろそろ気温が上がって来るだろう。今もクーラーを点けるか、微妙に悩む暑さだ。

 扇風機だけでは我慢の限界が来る。俺1人だけならそれでも何とかなるけど、リサ姉と2人だと1台の扇風機では厳しい。

 もうすぐクーラーが必須の気温になって来るだろう。考えるだけでも、嫌になって来る。電気代も実質折半になるのは僅かな救いか。

 いっそ同棲した方が早いような生活をしているが、生憎とそうはいかない。リサ姉は2年の契約で部屋を借りている。

 まだ半年も経っていないのに、無理矢理解約なんてするのは不味いだろう。変にブラックリスト入りでもしたらリサ姉が困る。


「はいどうぞ」


「ありがとうな~」


 2人並んでスマートテレビで動画を見る。リサ姉は可愛い動物全般が好きだ。今も子猫の動画が流れている。

 俺達の住んでいるマンションは、ペット禁止だからなぁ。犬や猫を飼いたくても飼えない。散歩をせねばらない犬は、どの道厳しいけれど。


「かわええよなぁ子猫。観てて飽きひんわぁ」


「ほぼぬいぐるみだよね」


 ポテポテと歩く姿がとても可愛らしい。生後1ヶ月の綺麗な瞳をした、グレーのアメリカンショートヘアが、ただ歩き回る映像を2人で眺める。

 何があるわけでもない平和な映像だ。ヤマもなければオチもない、ただそれだけの動画。それでもこうして、2人で過ごす穏やかな時間になる。

 何気ない日常が流れていく。そんなリサ姉と過ごす土曜の朝は、ゆっくりと時間が過ぎて行く。こんな日々がずっと続いて欲しいと思う。

 もうそろそろ昼になるなというタイミングで、インターホンが鳴らされた。頼んでいたネット通販で買った、日用品が届いたのだろうか。

 俺は立ち上がって玄関へと向かう。ワンルームマンションの部屋なんて、そう広くはない。あっという間に辿り着く。


「はい」


 いつも通りドアを開けて、荷物を受け取ろうとした。しかしそこに居たのは、いつもの運送会社の配達員ではない。

 もう会う事はないのだろうと思っていた、見知った女性が目の前に立っている。昔から知っている見慣れた人物。

 ボブカットの黒髪に、薄めのメイクを施した整った顔立ち。俺より結構低い背丈に、ほっそりとした体。最後に見た時と変わらない見た目。

 清楚な雰囲気が漂う真っ白なワンピースは、相変わらず良く似合っていると思う。今更何をしに来たのかは、全く分からないが。


彩智さち? なん……で?」


「あ、あのね一輝かずき、ちょっと話があってね」


 本当に何をしに来たのか分からない元カノ。一方的に別れを切り出して来た同級生、畑山彩智はたやまさちが何故か俺の家にやって来た。

 もう別れて3ヶ月近く経っているのに、何の用事があるというのか。彩智の私物なんて預かっておらず、1回来た事があるだけだ。


「話って、今更何を?」


「だからその……前は、ちょっと言い過ぎたかなって思って」


 そう言いつつも、やや強引に彩智は玄関に入って来る。入るなとまでは言わないけれど、少し違和感を感じる。何かを焦っているように見えた。

 というか今はリサ姉が居るから、何となく彩智と会わせたくない。何故そんな風に思うのかは、良く分からないけど。

 ただ幾ら別れたとは言っても、元カノを門前払いというのも気が引ける。そこまで拒絶する程の理由はない。

 

「あの、だからその……またやり直せないかなって」


「……彩智? 何が言いたいんだ? 良く分からないんだけど」


 また付き合おうって話なのか? それにしては、いきなり過ぎるだろう。連絡も一切無しに急にやって来て、やり直そうはないだろう。

 先ずそもそもどういう心情の変化なんだ? こちらの話は受け付けず、ほぼ一方的に別れを切り出したのは彩智なのに。

 これでは信用するのが難しい。また一方的に、別れを告げられない保証がどこにもない。流石にそれはちょっとなあ。


「だからその……今まで我慢させてた事とか、全部好きにさせてあげるから、だからね? また付き合おう?」


 急な来訪に、また付き合い直そうという勝手な提案。そして急な方針転換も謎過ぎる。彩智が言いたいのは、セックスも応じるという事か?

 何でまたそんな話になるのだろう? 全体的に急すぎるというか、妙にグイグイ来ている。こんな子では無かった筈だ。

 これまでと違い、随分と積極的に迫って来る。セックスなんてかなり頑なに拒絶していた筈なのに、今になってどうして?

 喜びや興味が湧くよりも先に、困惑が勝ってしまう。じゃあしようか、なんて思うに至らない。そして彩智は、漸く女性の靴がある事に気付く。


「か、一輝?」


 驚いたような顔で、俺を見る彩智。まさか俺が、女性と居るとは思っていなかったのだろう。俺は自分から積極的に、女性を誘うタイプでは無かったからな。

 俺だって自分で驚いているぐらいだ。まさか初恋のお姉さんと、今みたいな関係になると思ってはいなかったから。

 そして話を聞いていたらしいリサ姉が、玄関の方までやって来た。数メートルしか離れていないこの距離で、聞こえないわけがない。


「何や知らんけど、アンタえらい必死過ぎひんか? 自分から振ったんとちゃうの?」


 出て来たのがリサ姉だったからか、彩智は今までで一番驚いた表情を見せている。そしてどうしてか、悔しそうな表情へと変わる。

 2人は一応顔見知りであり、交際が決まった時にも改めて紹介している。お互いに名前と顔ぐらいは、今でも覚えているだろう。

 ただ久しぶりに会った相手に対するリアクションとして、彩智の反応は少しおかしい。何故目を背けているのだろうか。


「……」


 リサ姉の指摘に対して、彩智は何も返答を返さない。様子が少し変だと思っていたのは俺も同じだ。いつもの彩智とは違っている。


「……アンタさぁ、もしかして、子供でも出来たんとちゃう?」


 その一言で、彩智の表情が明らかに変わる。俺のTシャツを掴んだ手も、少し震えている。リサ姉の指摘は当たっているのか?

 

「別の男との間に子供が出来て、捨てられたんやろ? そんで一輝君との間に出来た子やと、偽るつもりなんか? もしそうやったらアンタ、やってる事は最低やで」


 ガタガタと彩智は震え始めた。このリアクションを見る限り、リサ姉の推測が正解という事だろう。女の勘というヤツか?

 それにしてもまさか、そんな目的の為に俺の所に来たのか。もしリサ姉が居なかったら、どうなっていたか分からない。

 彩智の言い分を信じて、再び交際をしていたかも知れない。知らない他人の子供を、お腹に宿しているなんて知らないままに。


「わ、私は……」


「アンタが頼るべきは一輝君やない、自分の親や」


 そう言い切られた彩智は、ペタンと崩れ落ちて泣き始めた。どうしてやる事も出来ず、俺はただ立ち尽くすしか出来なかった。

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