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第28話 あの頃の2人

 10歳になった年のとある日、隣の新しい家に誰かが引っ越して来た。父さんが言うには若い夫婦だという。

 引っ越しの挨拶にやって来たのは、厳つい感じの男性と少し怖そうなお姉さんだった。

 お姉さんは腕に赤ちゃんを抱いているから、きっとこの人は母親なんだと俺は思った。

 俺よりも背が高いけど、隣の男性や父親よりも小柄だった。そう身長が高いわけでは無さそうだ。


 鮮やかな金髪だけれど、頭頂部は少し黒くなっている。どうやら地毛ではなく、染めているらしい。

 小麦色の肌はハリがあり、見るからにスベスベそうだ。鼻梁の通った鼻筋と、真っ赤な唇。アイメイクで強調された大きな目。

 全体的にメイクは薄めだが、それでも芸能人と見間違える程に美人だと分かる。こんな綺麗な女性を近くで見たのは始めてだ。

 ああ、これはあの頃の夢。きっと脳が記憶を整理しているのだろう。脳内の映像はどんどん進んで行く。


一輝かずき君て言うねんや。ウチは理沙りさ、よろしくな」


「よ、よろしく」


 まだ小学生だった俺には、リサ姉はとても大人びて見えた。母親だという属性が、尚更そう思わせたのかも知れない。

 そして同時に、俺は少し警戒をしていた。母親という存在を信用出来なくなっていたから。両親が離婚をして、まだ間もない頃だったから。

 俺の母親は不倫を何度もしていた。父親がその度に許して来たけど、我慢の限界が来て離婚へと至る。

 しかも俺の養育費として父親が用意していた口座から、勝手に母親がお金を使う事も何度かあったと、結構後になってから知った。

 リサ姉と会った当時はそこまでは知らなかったけど、母親の愛情というものが俺には良く分からなかった。


 母親は父親と結婚をする為の口実として、俺という存在が丁度良かっただけ。実際はそこまで、子供が欲しかったのではなかったらしい。

 親権を欲しがる素振りも見せずに、あっさりと俺からは手を引いた。そのまま母親は、新しい男の所へ消えて行った。

 両親の離婚は俺が9歳の時に起きた事だったが、子供なりにその辺りの事情には気付いていた。父親との口論を聞いた経験があったから。


 母親にとって、俺は別に必要のない命でしかなかった。そう知った時は結構ショックだったが、同時に納得も出来ていた。

 何故なら母親は昔から、あまり俺に興味を持っていない感じがしていたから。友達のお母さんとは、子供との接し方が明らかに違っていたからだ。

 だからと言って、世の中の女性が全員そうじゃないのは、何となく理解していた。ただ薄っすらと、リサ姉への警戒心があったのは確かだ。


「どうや一輝君、美味しい?」


「……うん。美味しいよ」


 当時出世コースに乗っていた父親は、家に居ない事が多くなった。担当する事件が長引くと、家に帰って来る時間がとても遅くなる。

 だから俺はリサ姉に預けられる事が増え、良く一緒に過ごしていた。面倒を見て貰う代わりに、手伝いをする事が父親との約束だった。

 父親と職業は違うけど、リサ姉の旦那さんも仕事で家に居ない事が多かった。だからこその手伝いだ。

 まだ生まれて間もない杏奈あんなちゃんに愛情を注ぎつつ、家事もしっかりこなすリサ姉。俺に対しても優しくてフレンドリーだった。

 最初は警戒していた俺も、リサ姉と過ごしていると優しい人だと分かった。半年経つ頃には、俺はリサ姉を好きになっていた。


 母親のせいで若干女性不振になりかけていた筈が、何とも都合の良い話だ。でも子供の初恋なんて、大体はそんなものだろう。

 いつの間にか俺は、リサ姉のナイトにでもなったつもりで過ごしていた。旦那さんが居ない間、俺が代わりに守るのだと思って。

 当時やっていたアニメの影響もあったのだろう。お姫様を守る騎士というキャラクターに自分を重ねていた。

 決して結婚をする相手ではなく、忠誠を捧げる対象として憧れていた。子供らしい発想だったと今でも思う。


「ごめん一輝君、お皿とってくれへん?」


 今日も夕食を作っているリサ姉を手伝いながら、共に過ごす時間を満喫している。リサ姉を手伝うのは俺にとって最優先事項だった。


「うん、良いよ!」


 リサ姉と過ごしている俺を、学校の友人達が羨ましがった。凄い美人と仲が良くてズルいと。正直ちょっと優越感を感じていた。

 別に自分の母親でもないし、恋愛対象として見て貰えないと分かっていても。芸能人が身内にいるみたいな、そんな感覚だったと思う。


「ちょっと杏奈、じっとしててや。洗えへんやろ~」


 杏奈ちゃんが2歳になる頃まで、俺はリサ姉とお風呂に入っていた。中学へ入る頃にはそれは恥ずかしいからと、一緒にお風呂は断った。

 ただそれはリサ姉の裸を見た事が何度もあるという意味でもあり、当時はあまりにも刺激的だったのを覚えている。

 

「一輝君、ちょっと杏奈を抱いててくれへん? これじゃ洗い難いし」


「わ、分かった」


 リサ姉とお風呂場で、同じ時間を共有する。信じられないぐらい綺麗な裸体は、授業で習ったミロのヴィーナスより美しい。

 記憶に刻まれたその映像は、高校ぐらいまでずっと消えなかった。成人する頃にはもう、朧げな記憶となっていたが。

 だがそれも再びその姿を見た事によって、昔の記憶が補完されているみたいだ。妙に子供の頃の入浴シーンが鮮明だ。リサ姉の裸の部分だけ。

 現在の姿を重ね合わせているからか、外見年齢が昔と違っている。夢なだけあって滅茶苦茶だ。

 気が付けばシーンが飛んでおり、俺は中学生になっている。この記憶はリサ姉が風邪でダウンした時のもの。


「大丈夫? 食べられそう?」


 ベッドで横になっているリサ姉は、まだ具合が悪そうだ。俺が作って来たおかゆを口元まで運ぶ。どうにか食べる事は出来るみたいだ。


「ごめんなぁ一輝君、迷惑掛けてもうて」


「そんな事ないよ。気にしないで」


 俺はリサ姉の手伝いをしている間に、色々と家事を教えて貰った。掃除に洗濯、そして料理についても。

 どうやら適正があったらしく、俺は料理を覚えるのが早かった。中学になる頃には、大体の家庭料理をマスターしていた。

 うちの朝ごはんと弁当は、俺が自分で作っている。夕食だけはリサ姉の料理だけど。そこはずっと変わらない。


「ねぇ一輝お兄ちゃん! 遊んで!」


 杏奈ちゃんが看病中の俺を呼んでいる。遊び盛りの杏奈ちゃんは、良く俺と遊びたがる。懐いてくれたのは幸いだ。

 こんな小さな子に嫌われるなんて、流石に凹むからな。リサ姉の娘に嫌われなくて本当に良かった。

 

「ごめん杏奈ちゃん! ちょっと待ってね」


「杏奈アンタ、一輝君に無茶言うたらアカンで! ゲホッ! ゲホッ!」


 風邪でダウンしているのに、大きな声を出したせいでリサ姉が咳き込んでいる。無理をするからだよ。リサ姉こそ無茶をしないで欲しい。


「俺は大丈夫だから、杏奈ちゃんは任せて。リサ姉はゆっくり休んで」


 俺はリサ姉におかゆを食べさせながら、気にしないでと伝える。今まで面倒を見て貰ったお返しなのだからと。

 そして何よりも、初恋のお姉さんの力になれるのだ。男としてこれ程張り切れる状況はない。全力でリサ姉の代わりに頑張れる。

 この頃もまだ、薄っすらと恋心を持っていた。決して報われる事のない、最初から終わっている恋だ。

 けれども俺は、やっぱりリサ姉が好きだった。優しくて可愛らしい、頑張るお母さんをやっているこの女性が。


「よし、じゃあこの薬飲んで寝ていてよね。後は俺に任せて」


「ホンマにありがとうなぁ。きっと一輝君は、将来エエ男になるで」


 少しずつ出来る事が増えて、リサ姉から褒められる事が増えていく。それが昔の俺にとって、何よりも誇らしい事だった。

 結局高校に入って彩智さちに告白されるまで、俺はリサ姉への憧れを捨てきれなかった。今思えば、ずっと俺はリサ姉に憧れていたのかも知れない。

 捨てきれたと思っていた気持ちは、心の何処かに残っていたのだろう。だから今もこうして、リサ姉の事が気になってしまう。


 さあそろそろこの夢も、終わる頃だろうか。意識がだいぶしっかりして来た。夢の中に置いて行こう、このリサ姉への気持ちは。

 それは俺が求めて良い未来じゃないから。夢の世界へと放置して、無かった事にしてしまおう。目が覚めたらこの記憶も消えてしまう。

 だがそれで良い。俺とリサ姉の関係は、今の状態が一番理に適っているのだから。

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