第19話 彼の優しさ
マリンパークを堪能した東雲理沙は、間島一輝と共に電車に乗っていた。
窓の外では夕日が落ちかかり、夜になろうとしている。連休なのもあり、電車内は満員だ。
彼女達と同じように、マリンパークから帰る人々が散見される。
マリンパークのロゴが入った袋を持っているので、それを見ればすぐに分かる。
理沙と一輝も幾つかグッズを買ったので、同じ袋を手にしていた。
「楽しかったなぁホンマに」
「うん、結構楽しい所だったね」
電車の走る音と他の乗客達の会話に混じり、2人は雑談をしている。
少々トラブルもあったが、そんな事は忘れてしまえるぐらいに理沙は楽しめた。
こんな風に純粋なデートなんて、長らく出来ていなかった。母親をせねばならなかったから。
母として生きて来て、12年も経っている。1人の女性として相手をされたのは、もう何年も前の話。
渇いていた理沙の女性としての部分。満たされていなかった心。
その全てを一輝がどんどんと埋めて行く。彼が人生に潤いを与えてくれている。
「でも何かごめんなぁ、学生みたいな事させて」
「全然構わないよ。俺はこういうの、嫌いじゃないしね」
理沙はとあるグッズを欲しがった。マリンパークの看板でもある、2頭のイルカをデフォルメしたぬいぐるみを。
オスとメスの番でもあり、若いカップル向けに作られたペアものだ。
メスのイルカを理沙が持って帰り、オスの方を一輝が持ち帰る。
理沙の言うように、初々しい学生のカップルが喜びそうなグッズだ。
しかし理沙と一輝はカップルではない。理沙は一輝と付き合わない。
(これはただの記念品や。それだけなんやから)
2人で行った記念として、購入した品でしかない。この行為に深い意味はない。
そう自分に言い聞かせながら、理沙が購入を決めた。そして理沙の頼みを、一輝が断る筈もない。
深みにハマっている自覚が、理沙の中で確かにあった。都合の良い関係を、逸脱しつつあると。
ただ肌を重ね合う相手ではなく、明らかに心まで埋めて貰っている。
間島一輝という存在が、東雲理沙の全てを満たしている。
「今日の晩御飯どうしよか? ウチが作ろか?」
「いやでも……リサ姉、疲れているでしょ?」
セックスフレンドなんて関係は、相手と都合よく性欲を解消するもの。
恋愛とは近いようで遠く、似ていても別物だ。愛し合う関係ではないのだから。
だが今の2人はどうだろうか。理沙は愛されていると感じている。
一輝が持つ深い親愛で、愛されたいという欲を満たしている。理沙は彼の事を、愛おしいと感じ始めている。
ならばそれはもう、恋愛と呼ぶべき関係ではないのか。普通の恋人達と、何も変わらない筈だ。
恐らくこのまま行けば、一輝もその内愛情を抱くだろう。今度は憧れではなく、真剣な恋として。
(ズルい事してるんは分かってる。でも……)
バツイチを理由に付き合わない。肉体関係まで持っておいて、その先は無い。
裏切られるのが怖くて、踏み込む事が出来ない。一輝ならそんな事ないと頭で分かってはいても。
だけど自分はバツイチの三十路で、20代のバツなし女性に劣る存在。
一輝がいつか靡いてしまうかも知れない。何故なら一輝は、魅力的な男性だから。
元カノに恵まれなかっただけで、真っ当な女性なら一輝の価値に必ず気付く。
あまり良い恋愛を出来なかった、自分でも分かるのだからと理沙は思う。
「ほんなら2人で作らへん?」
「あ〜。それなら良いか」
少し強面だけど、体格が良くて優しい男性。性格は真っ直ぐで、裏表もない。
困っている理沙を何度も助け、支えになってくれて来た。子供の頃からずっとそうだった。
ただ優しくてつまらないだけの、良い人どまりではない。辛い時に、欲しい言葉をくれる。
理沙の気持ちを分かってくれて、とても頼りになるカッコいい人。
もう彼女にとっては、ただの弟分ではない。熱心に求め合った、魅力的な男性だ。
「おっと、大丈夫リサ姉?」
「う、うん。ありがとうな」
車両が揺れてフラついた理沙を、一輝がしっかりと抱きとめる。
かつて自分より小さかった男の子が、今ではすっかり大人の男性になった。
一輝の分厚い胸板に、抱かれた時の幸福感が理沙の脳内に蘇る。
理沙の好みで言えば、一輝は理想そのものである。誠実で優しくて、だけど厳つい雰囲気。
しっかりと鍛えられた、筋肉質の大きな体。抱きしめられた時の安心感はとても大きい。
守ってくれる人だと、肌で感じ取る事が出来る。安心して全てを委ねられる。
(杏奈と結婚なんて言うといて、それは嫌やと思ってもうた)
理沙の中で大きく膨らんで行く、一輝に対する独占欲が溢れつつある。
誰かの物になるのが、受け入れられない。自分以外の誰かと、結ばれて欲しくない。
せめてかつての友人達であれば、まだ納得出来るかも知れない。でも見知らぬ20代の女性では無理だ。
一輝を委ねて良いと思えるだけの、何かがないと到底認められない。
娘であれば我慢出来なくもないが、やはり譲りたくはない。
「ご、ごめんな。動けそうにないわ」
みっちり詰まった満員電車では、上手く身動きが取れない。理沙は一輝に抱きしめられたままだ。
「気にしないでよ。これぐらい平気だから」
これは満員電車だから仕方ないのだと、理沙は無理矢理理由をつける。
一輝の温かな抱擁を、ただ受け続ける為に。今の状況に甘え続ける。
何故なら一輝は甘えさせてくれるから。嫌な顔を見せる事もない。
良いよ、構わないよ、大丈夫だよ。そんな風にいつも、自分を認めてくれるから。
そんな状況を満喫出来る時間も、永遠に続く事はない。電車が最寄り駅に到着し、2人は電車を降りて帰宅する。
今週は一輝の部屋で晩御飯を食べる週。理沙は自宅に荷物を置いて、服を着替える。
ラフな格好になったりさは、イルカのぬいぐるみをベッドに置いて隣の家移動する。
もう何度も訪れた一輝の家。間取りは同じでも、内装は別物の部屋。
他人の家なのに、もう何処に何があるか全て知っている。あまり使わない調味料の置き場所まで含めて。
「楽やしカレーにでもせん?」
「お、良いね! リサ姉のカレーは昔から大好きだよ」
一輝は理沙の料理まで褒めてくれる。大好きと言う言葉が、理沙の心に響く。
それは料理に対してであり、理沙本人への言葉ではない。それは分かっている。
しかし理沙の心は、必要以上に喜んでしまう。楽しく一輝と2人でカレーを作る。
昔はただ料理を教える為に、一輝と一緒にキッチンで並んで立っていた。
だが今は違う。本気で恋をしかけている、愛おしい男性と共に行う料理。
「ジャガイモを頼んでエエかな?」
「良いよ! 俺が切っとくね」
独りになったと思ったら、かつて共に過ごした男の子が居た。彼は昔と変わらず接してくれる。
それがいつの間にか、恋人代わりのような存在となり、理沙の冷めた心に熱を与える。
カレーを作って2人で食べつつ、お酒も楽しむ。笑い合いながら、温かな時間を過ごす。
食べ終えたら2人で片付けた後、大人の時間が始まる。駄目だと分かっていても、理沙は積極的に求めてしまう。
一輝をベッドに押し倒し、貪るような口付けを繰り返す。何度も何度も、熱心に続ける。
「り、リサ姉?」
「今日はそういう気分やねん……」
愛されたいという欲求が、理沙の理性を上回る。不味いと分かっていながらも、激しく一輝を求める。
一糸纏わぬ姿で、抱きしめられたいと願ってしまう。そして一輝はしっかりと、理沙の欲求を満たす。
熱心に理沙を抱き寄せて、大きな体で包みこんでくれる。大きな手が理沙の背を抱く。
翌日も祝日で、気にする事は何もない。理沙は体力の続く限り、一輝を求め続けた。




