第10話 新しい日々
最近の生活は、以前よりも充実している。彼女にフラレたというのに、何故か今の方が楽しい。
隣の家には初恋のお姉さんがいて、職場では優しい美人上司がいる。
年上のお姉さん達から優しくして貰っている。どちらも大人の魅力に溢れた、素晴らしい女性だ。
特にリサ姉については、初恋の人であり憧れもある。今でも魅力的な女性だと思っている。
でもきっと俺は選ばれない。ただの昔馴染みなだけ。それでも、一緒に居られるなら十分だ。
「ごめんなぁ、わがまま言うて」
「いやいや、俺も1人で食べるよりこの方が良いから」
夜の19時、リサ姉の家で俺は夕食をご馳走になっている。最近始まったこのイベント。
最初はリサ姉が作り過ぎたからと、おかずを分けに来てくれた事が発端だ。
連続してそんな事が続き、どうにも1人分を作るのがやり難いらしいと判明。
今まで1人では無かったからと、つい癖で多めに作ってしまうと言う。
じゃあもう一緒に食べないかと俺は提案した。でもずっとは不公平だから、来週はリサ姉が俺の家に来る。
1週ずつ交代で、どちらかの家に行く。それなら食費を折半しているようなもの。
実際1人分を作るのって、結構面倒くさい。かと言って多めに作ると、今度は保管に困る。
冬場はまだ良いとしても、夏場は早く傷むから長くは残せない。
その辺りの諸々をクリアしつつ、昔みたいに過ごせる。俺にはメリットしかない。
「やっぱりリサ姉の料理が1番美味しいよ」
「ホンマにぃ? 元カノさんとかは?」
リサ姉は彩智を多少は知っている。付き合っていた事も当然ながら。
「彩智は料理が苦手だったからさ」
彼女の手料理なんて幻想は、最初から存在していなかった。世の中は世知辛い。
だけど母親以外の女性が作った手料理なら、リサ姉で経験している。子供の頃からこうして、ご飯を食べさせて貰った。
俺が人生でまともに食べた事のある手料理は、母親とリサ姉ぐらいだ。
祖父母の家に行くと、いつも大体宅配の寿司になる。祖母ちゃんの料理はあまり食べた事がない。
たったそれだけ。世の中には何人もの女性から、手料理を作って貰っている人も居るだろう。
彼女に毎日、手料理を作って貰っている人も。でも羨ましいとはもう思っていない。
俺はこの生活だけでも、十分な幸せを感じている。それだけで何も不満はない。
「俺にとっては、実質おふくろの味だし」
「あんなにちっちゃい頃からやもんなぁ。確かにそうなるんかぁ」
姉のような母親代わりの、初恋の相手。なんとも不思議な関係性ではある。
「だから1番馴染むんだよね、この味が」
出汁の効いた白味噌のみそ汁。これがまたご飯に合う。これだけで米が食える。
「普通の料理なんやけどなぁ」
「俺にとっては特別な料理だよ。思い出の味みたいな?」
こうしていると、昔を思い出す。今日学校で何があったとか、友達と何をしたとか、良くリサ姉に話したっけ。
ニコニコと笑いながら、俺の話を聞いてくれていた。リサ姉を笑わせようと、少し話を盛る事もあったな。
全てが懐かしい日々で、俺の大切な思い出だ。リサ姉にとっては、きっと違うだろうけど。
隣のガキを良く預かっていただけ。ただそれだけの話でしかない。
俺にとってリサ姉は特別な女性だけど、リサ姉から見た俺はそうじゃない。
「このサワラの西京焼き、何回練習してもリサ姉の味にならないんだよね。レシピは教えて貰ったままなのに」
「ホンマに? 何でやろ? 味噌床の使い方が違うんかなぁ?」
顎に人差し指を当てて、考え込む姿がとても可愛い。見た目はバチバチのギャルなのに、言動がいちいち可愛いんだ。
こんな毎日はとても幸せだけど、このままじゃまた好きになってしまうかも知れない。
だって何をしていても魅力的だから。既に1回撃ち抜かれているのだから、2度目があっても不思議じゃない。
そもそもこれだけ綺麗で可愛い女性を、好きになるなと言う方が難しい話だ。
「じゃあ来週作るからさ、ちょっと見てくれない?」
「うん、エエよ〜それぐらい」
何気ないやり取りが、幸福感を与えてくれる。失恋で負った傷が、癒やされていく。
まだ完全に回復したわけじゃないけど、リサ姉のお陰でだいぶ軽減されている。
6年という時間は、決して短くない。積み重ねた色々な思い出がある。
それが崩れてしまったから、付き合うという行為が少し億劫になった。
正解が分からなくなって、どうしたら良いのか分からない。
言われた通りに行動していたのに、それじゃあ駄目だったらしい。
「なあ一輝君、思ってた事があるんやけどエエかなぁ?」
「え? 何?」
リサ姉が少しだけ、真面目な表情をする。一体何の話をされるのだろうか。
「フラレた時につまらないって、言われたんやろ?」
今まさにその辺りの事を考えていた。リサ姉は心が読めるのだろうか? 妙に鋭いところが昔からあるし。
「う、うん」
「多分なぁ、それ一輝君を困らせたかったんやと思うわ。でも一輝君は全部応えてくれる。そういう事ちゃうかな」
彩智が困らせたかった? 何でまた? 困らせたいってのが先ず分からない。
普通は逆じゃないのか? 好きだからこそ、迷惑を掛けないようにするのでは?
「どう言う事?」
「一定数おるねんな、女の子には。愛されてるか確認したくて、彼氏を困らせたがるねん」
何だそれ? 俺が男だから分からないだけ? 愛されているかの確認とは? 普通に伝えれば良くない?
そもそもちゃんと伝えていただろうに。何が彩智をそうさせたのだろう?
「だからあんま気にせんときや。初めての彼女やったから、あんまりピンとこんやろうけど」
「そ、そうなんだ……」
「ウチは一輝君と居ても、つまらなくないしな」
楔のように突き刺さっていた傷が、少し楽になった気がした。俺はつまらない男ではない。
少なくとも目の前に居る、この美しい女性はそう思ってくれているらしい。
全ての女性から、異性として否定的に見られているわけじゃない。
「この前一杯褒めてもうたからな、お返ししとこうと思って。一輝君はちゃんと、男性として魅力的やでって」
あまりにも綺麗な微笑みが、俺にはとても眩しかった。本当にどうして、貴女はこんなにも魅力的なんだ。
もし俺が8年早く生まれていたら。もしリサ姉が8年遅く生まれていたら。
結婚する相手が俺だったら、絶対に悲しませるような事はしなかったのに。
リサ姉の言葉が嬉しい。そして同時に悔しくもある。こんなに素晴らしい女性を、何故悲しませたのだと。
不倫相手がどんな女性かは知らない。だけど俺には、既婚者に手を出す女性がまともとは思えない。
どちらから始めたのかは知らない。だけど俺には、リサ姉より素敵な女性だとは思えない。
「だから新しい恋、ちゃんとしぃや? 一輝君はまだ若いんやから」
それはもし相手が貴女でも、許されるのだろうか? 正直ちょっと、今のは効いた。
間違いなく俺の記憶に、刻み込まれた。今の光景が、脳の深い部分に。
俺だったら悲しませないのに。そんな事を考えてしまうぐらいに、異性として意識した。
自分の事じゃないのに、凄く悔しいと思った。これは親愛の感情か? それとも恋愛感情か?
「えっと、まあその、いつかはね」
「大丈夫や、一輝君やったら。次の恋ぐらい始められるて」
今湧いた気持ちが何かは分からない。ただ暫くはこうして、リサ姉と過ごしていたい。
付き合いたいとはちょっと違う。この温かな空気に、包まれていたい。
安らぎを得たいというだけ。ただそれだけの筈だ。憧れの女性と、同じ時間を共有したいだけ。
その筈なんだけど、違うのかな? 俺はもうリサ姉に好意を抱いているのか?
俺は自分の気持ちが、よく分からない。こうして共に過ごしていたら、いつか答えが分かるだろうか?




