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棺の魔王 (コフィン・ディファイラー)  作者: 真島 文吉
棺の魔王0 -魔王の処刑人- (旧題 ヘッズマン・グレイブ)
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百四十六話 『酒の夜』

 この世に酒ほど罪深い飲み物はないと、レッジは思う。


 酒は人の本性をあばき、強調し、時にゆがめる。飲酒によって変容した人の行動はおおむね迷惑で、不快とあきれ、恐怖を誘うものばかりだ。ふだん理知的な物腰の人ほど、悪酔いした時の失望は大きい。


「レッジくぅん! 飲んでますかぁ? 飲んでないならちょっとお姉さんにおしゃくしてくれませんか!」


 ん! と特大のさかずきを差し出すのは、すっかりでき上がって円盤の目すら桃色に上気させたチャコールだ。レッジはしゃくというものは、たとえばきれいな女性が王様や将軍に対してするものだと思っていたので、宴のたけなわに同様の要求を受けた時にははっきりと拒否の意志を示した。


 だがその際のチャコールの反応たるや、酌なんてものはしたい人とさせたい人の都合で行われて良いのだ。男が女にしてもいいし、老人が子供にしてもいい。私はレッジ君にたとえ人質を取ってでも酌をさせたい! 私が凶行に手を染める前にさっさと酌をしなさい! と、論理の筋道を途中放棄した酔っ払いの暴論でねじ伏せられてしまった。


 自分に多少の偏見があったことはいなめないが、それにしてもあんまりな仕打ちだ。したくもないことを強制される辛さというのは、いつでも耐えがたい。


 しかしながら一度暴論に屈してしまったなら、以降その場に二度と正論が復権することはないのだ。レッジはバケツのような杯になみなみと酒を注ぎながら、その事実を痛いほどにみしめた。


 それでなくとも地底の赤い夜光が降り注ぐ塔の物見場には、レイモンドが差し入れてくれた木苺の酒にやられた無数の酔っ払いが、ごろごろとり出されたいものように転がっている。


 絶対安静のけが人ギドリットに抱きつくシュトロが、いびきと寝言を同時に吐き出しながら苔のマスクを騒々しくしゃぶりたて、また他方では患者と治療者の関係であったはずのオーレンとブレイズが、酔っ払った勢いで始めた喧嘩の末にたがいのあごを打ち抜き、しんと倒れている。


 戦車にはねられた名も知らぬけが人は、様態が安定したのを幸いに酒を盗み飲み、酒樽さかだるひとつをまるごと空けてからずっと便所にこもっていた。


 惨憺さんたんたる宴席。唯一ゆいいつ酒を飲まなかった少女はまるで裏切り者のようにチャコールのひざ上に陣取り、レッジに無感情な目を向け、何も考えていないリスのごとく鹿の骨をかじり続けている。


 なぜこうなった。手持ち用の酒樽を床に置き、レッジは嘆息たんそくしながら塔の果てから水路を見下ろした。


 チャコールと焚き火をはさんだレッジの視点からは、昼間人々と魔の者が骨肉をけずり合った戦場が一望できる。吹き飛んだ土や、げた草が踊る風景を、たった一つ細い人影が動いていた。


 天からの赤光をはねのけるような、黒いシルエット。ぼうっとそれを眺めるレッジに、チャコールが杯をあおりながら声を投げた。


真面目まじめですよねえ、彼。お酒も休息もほとんど取らず、真夜中に一人で見回りを買って出るんだもんなあ」


「水路が破損したから、集音装置が故障してるかもしれないって。その確認のためでもあるらしいです」


「よく気がついて、献身的で、おしゅうとめに好かれるタイプですね。疲れを溜め込んである日いきなり倒れるんだよなあ」


 よめか。胸の内だけでつぶやくレッジの前で、チャコールはさらに「酔っ払ったとこ見たかったのに」と不穏な言葉を吐く。


 もしもサビトガがチャコールのように酒で人格を変貌させてしまったなら、レッジはもはや、この世の何者も信じられなくなるに違いないのだ。


 「げーすげすげす」とわけの分からない笑い方をするチャコールが、レッジへの返杯の酒樽を取ろうとし、あやうく焚き火にひざを突っ込みかける。


 あわてて体を支えようと手を伸ばすと、「スケベ!」といわれのない非難が上がる。身を抱いたチャコールが勢い余って少女と一緒にでんぐり返り、床の上で目を回した。


 うめきながら、ひたいを押さえるレッジ。チャコールの上で天をあおぐ少女が不意にごろりと視線をめぐらせ、「オマエも酔えばいいんだ」と助言をくれた。


 それは彼女が吐いた、出会って初めての役に立たない助言だった。

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