百四十四話 『終戦』
開戦前、チャコールは言った。今回のことはサビトガ達にとって、集落や魔の者、優れた異邦人の境遇というものを真に理解するための、絶好の機会なのだと。
結果的には、まさに彼女の言葉通りだった。サビトガ達はそれまでどこか伝聞的だった状況認識を、集落の一員として魔の者と戦うことで、己の体験として強化することができた。
自分達が何に脅かされているか。どんな環境にあり、どのような抵抗が可能なのか。
希望はあるのか。戦いは実を結び得るのか。
それを肌で実感できたことは、確かに大きな収穫だった。
魔の者の息吹が消えた集落を、人々が行き来する。散乱した瓦礫や油の残りを回収し、人食い骸骨や戦車、鈴鳴らしの死骸を一所に集め、土中に葬る。
未だ細い白煙を立ち上らせる巨大骸骨は、脳髄を抜き取ってそのまま防壁の一部として放置することになった。無理に片付けて、破損した水路や塔の穴をさらすこともない。
白く濁った脳髄を、チャコールが何かに使えるかもしれないと引き取りたがったが、レイモンドが許さなかった。神話の怪物を確実に滅ぼすため、細切れにして土中にすり込む。巨大骸骨の骨格以外の、全ての魔の者の名残が地上から消された。
敵の死体の処理が行われる裏で、負傷した味方の治療と救助もまた同時進行していた。ギドリットやオーレン、戦車にはねられた異邦人の他に、集落の裏手で数匹の人食い骸骨と交戦していた七人の中にも負傷者がいた。
そのうち裏手の負傷者が、骸骨にかぶりつかれた顔面の傷をかきむしることをやめられず、ショック死した。デブ野郎に続く、防衛戦での二人目の死者だった。
「二人死んで、およそ五十匹やっつけた。大戦果と言うべきなんだろうな……」
「馬鹿言うな。魔の者は千いる内のたった五十を失っただけだ。こっちは四、五十人の内の二人だぞ。集団戦でこんな勝ち方しかできないんじゃ、話にならん」
「優れた異邦人の、さらに腕利きばかりが集まった上澄み集団でこれだからな……単純に何人の犠牲で何匹殺せたって話じゃない。死んだ二人だって、本当は並の探索者が束になっても敵わないくらいの猛者だった。得がたい仲間だったんだ」
行き交う人々の話を聞きながら、サビトガはそれこそ死んだように眠るギドリットの包帯を巻く。脱臼した骨を手当たり次第に入れ直し、冷水で体を洗ったが、負傷部位から熱が引かない。容態の急変に備えて、夜通し看病する必要があった。
地べたにあり合わせの毛布や布を敷いた野戦病院のような治療場ではなく、屋根のある屋内に移してやらねば。そう顔を上げた瞬間、向かいでオーレンの治療をしていたブレイズと目が合った。
負傷者の治療は裏手の一人が死亡するまでは、心得のある者が六人ほどで行っていたが、今はサビトガとブレイズの二人しか残っていない。最も危険な状態だった裏手がいなくなったことで比較的軽傷のけが人だけが残り、二人いれば十分治療ができると判断されたのだ。
その二人に新参者のサビトガと『あだ名』を持たぬブレイズが選ばれたことに、何らかの意図があるのかは分からない。だが少なくともサビトガは瓦礫処理に戻る治療者達の言動に不快なものは感じなかったし、彼らが負傷者の遺体を涼しく静かな場所に連れて行ってくれたことに感謝してもいた。
ブレイズが、手足を生意気に組んでいるオーレンの頭をハーブと炭で消毒しながら、ギドリットを目で示し「俺の塔へ」と指示する。サビトガがうなずくと、新しい包帯に指を伸ばしながら太い首を傾けた。
「これ以上死人は出ないと思うが、皆の間に動揺が広がっている。けが人はなるべく早く人目から隠した方がいいだろう」
「おいおいおい、人を腫れ物扱いするなよなァ。この傷はいわば、どんくさい君らの代わりに受けた名誉の負傷だよ? 感謝、尊敬しろよな。もっともっとォ」
「……なんで上機嫌なんだ、お前」
サビトガが眉根を寄せると、オーレンは指で首をかき切る仕草をしながら蛇の威嚇音のような声を出した。その頭に包帯を巻くブレイズが、ちらりと戦車にやられたけが人に視線を向けつつ、声をはさむ。
「こいつも、向こうの彼も、治療が終わり次第塔に連れて行く。あんたの仲間達は瓦礫処理に出張ってくれているようだが、こっちを手伝ってくれるよう頼んでおくよ。チャコールにもな。みんなでかたまって、順番に休息を取りながら看病しよう。物見役も必要だろうし」
「分かった」
「……あんたはよくやったよ。初めての防衛戦なのに、立派に集落の一員として戦った。みんな、今後の協力を惜しまないだろう」
ギドリットの体を起こすサビトガに、ブレイズが歯を見せて笑った。「落ち着いたら祝杯を上げるはずだ」と、巨漢が肩を揺らす。
「レイモンドが秘蔵の酒を出してくれるんだ。戦死者の弔いの意味もあるから、あまり派手には騒がないが……みんなで肉を食って、戦いに区切りをつける。本当の戦友同士でしか酌み交わさない酒だ」
「……そうか」
「ようこそ、集落へ」
サビトガは、ブレイズが今更そんな台詞を言う意味を考えようとした。
だが思考を繰るより早く、眠っていたはずのギドリットが拳を胸に当ててくる。
トン、と触れる上気した拳に、サビトガはしばし視線を下ろした後――。
老体をゆるりと背に負い、ブレイズの塔へと歩を進めた。




