百四十二話 『集落防衛戦 十』
ギドリットが巨大骸骨に仕掛けた攻撃は、実質的には火攻めのようで、火攻めとは異なるものだ。
大量の油をかぶせて火をつけるだけならば、それこそサビトガ達の例と変わらない。結果的に対象を焼き殺せるかもしれないが、火だるまと化し手のつけられなくなった巨体を暴れ狂わせるリスクを負うことになる。
炎だけでは敵を殺すのに時間がかかる。だからこそ油と火の後に、水樽を用意した。
油火災に限って言えば、燃え上がる火に水を加えることで、火災の勢いは爆発的に増す。燃焼する高温の油が水と蒸気にはじかれ、燃えながら空気中に噴き上がるからだ。一粒一粒が火をまとった油の粒子が上昇気流にのって飛び交い、あらゆる物体に付着し、炎の膜を張る。
それはもはや純粋な火災ではない。炎に粘り気と軽さを付加した、火炎の嵐だ。黒みを帯びた大炎が、周囲を手当たり次第に取り込み、瞬間的に燃え広がることになる。
ゆえに、水樽を呑み込んだ巨大骸骨の体は、まばたき一つする間に内部から炎の塊と化した。
骨格の隙間を縦横無尽に吹き荒れる炎と油の風が、全ての骨をくまなく燃やし、舐め尽くす。本来油をかぶっていなかった下半身までもが、付着性のある炎に強制的に取り込まれた。
炎の波は、巨大骸骨と周囲の塔の上を、まるで蝶の羽のような形に広がる。サビトガ達はかろうじて火を逃れながら、塔の頂上で身を低く守っているギドリット達や、地上を逃げているはずのレイモンドの姿を探した。
混沌とする戦場で、巨大骸骨が空を仰いだまま、沈黙する。全身を凄まじい勢いで焼かれる怪物が、暗い眼窩から沸騰する桃色の体液をこぼした。
「本当なら、勝てる相手じゃねえさ」
サビトガは、だしぬけに上がった声に思わず背後を振り返った。土と煤と血にまみれたレイモンドが、両ひざに手をついて肩で息をしている。天災じみた混乱の中を、この男は一歩も立ち止まらずに走り抜けて来たのだ。そうでなければ説明のつかない位置に彼はいた。
深く息を吸い、レイモンドが視線を上げる。自分を見つめるサビトガやチャコールやシュトロに、狂人の笑みをこぼした。
「俺達が死力を尽くしても、どんな策をもってしても、あの骸骨はとうてい倒せる相手じゃなかった。無傷の骸骨と戦ったなら、全滅していたのは間違いなく俺達の方だった」
「無傷の……」
「百年前に戦っていたなら、きっと負けていた」
サビトガは、炎に焼かれる巨大骸骨の、その全身に突き立った数多の刃を見た。かつての優れた異邦人達が、身一つで巨体に立ち向かい、命と引き替えに打ち込んだのだろう剣や槍、武器の残骸。
積み重ねられた一撃と、それが穿った穴やひび。巨大な白骨に刻まれた細かな傷跡が、燃える油の粒子を本来届かぬ骨の奥深くへと誘い、燃え上がらせている。
油は過去の戦いの道筋をたどり、骸骨を苛んでいるのだ。過去に敗れた人々の一撃の延長線上に、炎のダメージがある。
「勇者の戦いに、無駄死になんて結果はねえ」
レイモンドが背を伸ばし、巨大骸骨と同じように空を仰いだ。
「勝てねえ敵に挑み、死にながらつけた些細な傷。先人達が残したそれこそが俺達の最大の希望なんだ。魔の島に蓄積された無謀と蛮勇、およそ千年分。おびただしい敗者の足掻きの軌跡が、俺達に壁を越えさせてくれる」
「……」
「死と敗北すら受け継ぐことができる。それが人間の強さだよ。やつら魔の者に同じことができるか……」
俺は疑問だね。
レイモンドが目を閉じると、黒い油の炎がわずかにゆらぎ、勢いを減じた。瞬間的に荒れ狂った上昇気流がおさまり、燃え尽くされた油の粒子が火の粉となって霧散する。ほんの少しずつ炎から解放されてゆく巨大骸骨が、沸騰する脳液を眼窩と歯の隙間から垂れ流しながら、ゆっくりと地面に視線を落とす。
緩慢な動きで、しかし確かに拳を握ろうとした怪物に、塔の上から、苔の塊が飛び降りた。
炭化した頭蓋めがけて金槌を振りかぶるギドリットが、仲間の驚がくの声を背に、狂気の叫びを上げた。




