百二十四話 『炎と木炭』
ブレイズの家は倒壊した塔の残骸を利用した避難所で、半ば以上が蔦と苔、木々に取り込まれていた。
横倒しになった塔の頂部分から中に入ると、いきなり巨木の幹が目の前をふさいでいて、枝先に下げた洗濯物を突きつけてくる。
花柄の腰布を凝視する少女に、ブレイズが笑いながら「こっちの方に隙間がある」と右手側を示す。樹肌と石壁との間に、言葉通りの縦長の隙間が空いていた。
木の根を踏み越え、多少苦労して隙間をくぐると、だだっ広いトンネルのような風景が現れる。歴史を経た古い石材が、まばらに差し込む電気の光に照らされて鉛色に輝いていた。壁沿いをめぐり、前方に螺旋を描く階段や、天に向かって突き出た露台を見上げながら、サビトガは「良い家だな」と素直に感想を述べた。
「広くて、風通しが良く、暗すぎも明るすぎもしない。トンネルの先はどこに向かっている?」
「空さ。さっきまで居た大橋と同じで、空に向かってブチ折れてる。トンネル出口の真下は水路だ。道具なしで降りられる高さじゃないな」
ブレイズの言葉通り、トンネルはわずかに傾斜しているようだった。意識しなければ気付かない程度の傾斜が、長いトンネルを歩く内に高さを生み、出口を空へと向かわせるのだろう。
視界の奥に見える焚き火を目指しながら、しかしサビトガは「純粋な住居として使うには広すぎやしないか」と、トンネル内に点在する物置や便所を眺めて言った。広大な生活スペースに、物品や設備が数十歩以上の距離をあけ、互いによそよそしく散らばっている。
空間を贅沢に使っていると言うには、いささか不便さが際立つ間取りだ。ブレイズが足元を這う階段を大きくまたぎ、ウーン、と牛のような声を出した。
「生活に適した大きさの塔は、早い者勝ちで奪い合いになるんだ。特に集落の中心部、隣人がたくさん居る安全な塔は競争率が激しい。この遺跡が街だった頃も、きっと同じように地価が決まっていたんじゃないかな。富める者は中心に、貧乏人は外側に追いやられるものさ。
もっともこの塔自体は警備兵か、傭兵の詰め所だったんだろうが。階段一つ見ても幅がせまく、手すりもなく、安全な住居として作られた気配がない」
「兵舎か……。見張り番を押し付けられたと言っていたが、それもここに住んでいることと関係が?」
「……オーレンがここに住むといいと言ってきたんだ。塔の出口が物見場になってると知ったのは住居に決めた次の日だったよ。おかげで集落に居る間は必然的に見張り番か、その手伝いだ」
「一度騙された相手を信じる方もどうかと思うが」
ぼそっとつぶやくギドリットに、ブレイズがコウモリを振り回し「だってろくな住み処が残ってなかったんだもの!」と歯を剥く。
「屋根のない廃墟や橋の下に住むことを考えれば、よっぽど上等さ! 万年テント暮らしのお前と違って繊細なんだよこっちは!」
「よく言うぜ。一所に留まっていられない浮き草夫婦のくせに」
低く笑うギドリットに、サビトガが「夫婦?」と聞こえた単語を訊き返した時だった。
サビトガがまたいだ階段が、ぐぅ、とうめき声を上げた。ぴたりと動きを止めると、ふくらはぎをつつく者が居る。
視線を下ろせば、階段の陰に女が寝ていた。ゆるく波打つ黒髪が床に広がり、サビトガの靴がそれを踏みつけている。
靴をのけるよりも早く、ブレイズが笑顔で駆け寄って来て、信じがたい膂力でサビトガを抱き上げた。驚がくするサビトガの足元で女が起き上がり、こきりこきりと肩を鳴らす。女はブレイズと同じ、青い旅衣を着ていた。
「妻のチャコールだ。可愛いだろ? 置物みたいで」
「お、置物?」
ブレイズの腕をほどき地面に戻るサビトガが、再び女に視線をやる。地べたで寝ていた小柄な女は、大きな丸い目をしばたたかせ、ギドリットのつぶやきよりも小さな声で「どうも」と会釈をした。
目の大きな女性は美しいとされることが多いが、ひたすらに丸く円盤のような目には異様な圧があった。猫のようと言えば聞こえはいいが、どちらかと言えば鳥類のそれに近い。
サギの目がちょうどこんな感じだったなとひそやかに思いながら、サビトガは女ことチャコール夫人に会釈を返し、ブレイズへと視線を戻した。
「夫婦で魔の島に来たのか?」
「ああ。俺達は二人とも、根っからの冒険者でな。生きる時も死ぬ時も一緒と決めてるんだ」
「……魔の島の攻略法に正解はない。大切な人をそばに置く戦い方も『有り』なのかもしれんな……」
「あ、いや、別にチャコールだけが俺のすべてというわけじゃない」
あっさりと言うブレイズが懐を探り、一枚の紙片を差し出してきた。サビトガが少女とともに覗き込むと、紙片には精緻な幼子の絵が描かれている。
「娘だ」と説明するブレイズが、一同の顔を、福々しい親馬鹿の顔で見回した。
「アッシュ・ボーン。故郷に残してきた、俺達夫婦の『天使』だ」




