百二十三話 『招き』
レイモンドに新参者の歓迎を指示された異邦人達は、おおむねサビトガを無視して行動した。
昏倒したオーレンをいずこかへ引きずって行く者、決闘後の橋上をなぜか掃除し始める者、髑髏馬の周囲に集い、何かを話し合う者。
早々に興味をなくして引き上げる者もいれば、すべてが終わってから顔を出す遅参者もいる。
サビトガは周囲を行き来する人々を眺めながら、隣に座る少女に声を向けた。
「全員が優れた異邦人とのことだが……知らない顔はあるか?」
「いや、みんな見覚えがある。レイモンドとハングリンがかなりの古参だからもしやとは思っていたが、半年以上前に上陸した連中がごろごろ生き残っているな。逆に最近送り出したはずの新人の顔が、ほとんどない」
「同じ優れた異邦人の中でも、より強い者が生き残り面子が厳選されたのかもしれんな。いずれにせよ顔見知りばかりなら、あの髑髏馬の元の飼い主はやはりここには居ないということか……」
「さすがに十年前の上陸者が生存しているとは思えない。オーレンの前にも何人か、あの馬を連れ歩いた者がいたのだろう」
言いながら髑髏馬の方を振り返ろうとした少女が、鼻先に垂れてきたコウモリと目が合い、硬直する。
まるまると太ったコウモリの死骸を両手に下げた巨漢が、二人のすぐそばに立っていた。決闘の最中、サビトガにオーレンの素性を怒鳴って知らせた男だ。ごく短く刈り込んだ黒髪の下に、とび色の目が人懐っこい光を宿し、顔の下半分がひげで覆われている。たとえるなら、改心した山賊の親玉のような風体だった。
青い旅衣の肩を揺すって声なく笑っている彼に、サビトガは「何だ?」と問いを向ける。巨漢は少女にコウモリを押しのけられながら、「俺はブレイズ」と訊いてもいない名乗りを返した。
「あだ名はない。あんたと同じで、産道の長老に愛称をもらえなかった人間だ。もっともあんたの場合、長老と会えていれば間違いなく上等なあだ名を貰えたろうがな」
「……何か用か?」
「食事に招きたい。今日は良い日だ。馬脚のオーレンが鼻っ柱をへし折られたんだからな」
サビトガは食事と聞き、少女とともにコウモリを凝視する。狂犬病を多く媒介するコウモリを食用するリスクは、識者の間でも意見の分かれるところだ。噛まれなければ安全と言う者もいれば、わざわざ食う必要はないと言う者もいる。
ブレイズと名乗った巨漢が、病を連想させる死肉を振り回しながら上機嫌に言葉を続けた。
「オーレンはあんたが見抜いたとおりの、馬鹿でクズの跳ねっ返りさ。だが都合の悪いことに実力があり、喧嘩も殺しも熟達の域にある。どこかの大牢獄で千人の牢名主をやってたって噂もあるくらいだ」
「やつに辛酸を?」
「ああ、嘗めさせられたさ。俺はあいつに良いように使われてたんだ。見張り番を押し付けられたり、やつがレイモンドに任された仕事を代行させられたり、絶妙に『面倒』と『お安いご用』の中間ぐらいのことをやらされた。
激怒するにも諦めるにも中途半端な匙加減だ。集落に居たい異邦人が決闘に踏み込めないギリギリの線でこき使ってくる。嫌なヤツだよ」
「だがそれも今日で終わりだ」
会話に新しい声が混じった。三人が視線をやると、彼らから少し離れた場所に唐突に苔の塊が立っていた。
ごわごわとした、緑色の、人型ですらない意味不明の物体。目を見開きかけたサビトガが、ブレイズと少女の顔色を確認する。
二人がともに平静な顔をしていると分かると、「何だアレは」と率直に問うた。少女が「ギドリットという異邦人だ」と当然のように答える。
「ハングリンが、集落に猟師が居ると言っていただろう。ギドリットは金槌を使う猟師で、ギリーという森の精霊を信仰してあんな格好をしているんだ。ギリーはミドリゴケの服を着た若者で、自然の使者として人の前に現れる」
「苔でできた服はギリークロスとか、ギリーアーマーと呼ばれていて、人間の体臭と気配を消してくれるんだ。ギドリットの着ているものは衣擦れ音も出ない。彼の国の猟師はみんなあれを着ているらしい」
「……シュトロが俺の食文化に対して抱いていた気持ちが、少し分かった気がする」
「話を戻していいか」
評判どおりほぼ無音で近づいて来る苔の怪異に、サビトガは思わず立ち上がり、背をのけぞらせた。産道で見た長細い垂れ苔で覆われた顔面には、眼光すらない。表情はおろか、どこを向いているかも分からなかった。
「馬脚のオーレンがやっていたことは、せこくて小ずるい、引っかけ遊びのようなものだった。だが不死の水を求め明日をも知れぬ苦難に挑む我々にとって、非常に不快で迷惑な遊びだ。こんな状況で妙な格上意識を振りかざし、和を乱す輩は一度痛い目を見ておくべきだと常々思っていた。
詐術や罠で築き上げた格付けは、その失敗によって崩壊する。もうオーレンは私やブレイズに対してでかい顔はできないだろう。君の勇戦と勝利に対し、我々は心から感謝を表明する」
「……そうか。ありがとう……」
異形の猟師が喋るたび、垂れ苔が吐息に踊ってクズを飛ばし、サビトガの顔を汚した。
つまりは、かつてオーレンの罠に嵌まり集落での地位を損なわれた異邦人達が、サビトガに仇討ちの礼をしてくれようと言うのだ。
初っ端から決闘沙汰を演じたサビトガにとって、ありがたく心強い申し出だった。これでおそらくは当面の村八分を避けられるだろう。
ひげ面の巨漢ブレイズが、コウモリを振り回して集落の東側を示した。「俺の家に行こう」と提案する彼に、サビトガは少女から槍を受け取りながら口を開く。
「実は、森の入り口に仲間を待たせているんだが……」
「ああ、聞いたよ。すでにレイモンドが人をやってる。心配要らない」
「…………」
ある懸念に思い至り表情をこわばらせるサビトガに、ブレイズが豪快な笑いを向けた。「ハングリンだろう」と太い指を向けられ、サビトガの心臓が一度だけ跳ねる。ギリークロスのギドリットが、垂れ苔を揺らしながら息を吐き散らした。
「君は初対面のレイモンドを、集落の長と知っていた。誰が口はばったく教えたか、想像はつくさ」
「レイモンドも承知してるよ。ハングリンを嫌う者は多いが、それはそれ。あんたとあんたの仲間への評価が変わることはない」
さあ、とにかく飯だと、ブレイズ達が橋を歩き出し、先導する。
サビトガは数歩遅れて続きながら、隣の少女へ顔を寄せ、少しばかりひそめた声を送った。
「理知的な連中だ。オーレンが使い走りにして良い人々じゃない」
「あの二人が気に入ったか? 確かにオーレンやハングリンよりは正直な男達だ。けれど、あまり期待しすぎるな」
「……どういう意味だ?」
「魔の島に適応できる人間は、みんな多かれ少なかれ『狂気』を抱えている。島の最奥で何ヶ月も戦い続けている男なら、なおさらまっさらな人格であるはずがない」
少女が、目の前を歩くギドリットを指さし、「『獣潰し』」と唇を動かした。
わずかに振り返ったらしいギドリットが、腕と思われていた苔の集合の中から、血錆まみれの金槌の頭を覗かせる。
少女が「アイツは五匹は潰した。跡形もなくなるぐらいに」と、おそらくはウェアベアのことを言うのを聞きながら。
サビトガはシュトロ達の居るだろう方角へと、何ともいえぬ視線を注いでいた。




