百二十一話 『橋上の決闘 中編』
衝撃がひじまで突き抜けてくる。拳の感覚がなくなり、痛みが熱となって手首の辺りに停滞する。
まるで焼けた鉄のブレスレットをはめたかのようだった。それはオーレンも同じらしく、目を見開き手首をかばいながら「ギャン!」と犬のような悲鳴を上げる。
悲鳴に優位を感じかけた瞬間、刃のような横蹴りが不意打ち的に飛んできた。身をひねってかわすと、次の瞬間にはオーレンの姿が視界から消えている。
足元に凄まじい衝撃が走った。狸のように身を低く丸めたオーレンが、サビトガの足に全身を叩きつけ、力任せにすくい上げていた。
逆転する天地。とっさに受け身を取ると、仰向いた体にすかさずオーレンが飛びかかってくる。
拳打の嵐。詐術に頼る馬賊が身につけるにはあまりにも重い拳が、鞭のようにしなやかな筋肉のバネを通して繰り出される。
この男、本性は体術師だ。人体そのものを武器として戦う、徒手格闘の達人――。
「槍を手放さなきゃ勝てたかもしれないのに! 残念な男だねぇ!!」
懸命に拳を防ぐサビトガの腹に、オーレンが笑いながら尖らせた両ひざを叩き込んだ。
ひしゃげる内臓。喉を上がってくる胃液をすんでのところで呑み込むと、サビトガは歯を食いしばりオーレンのひざに手を伸ばす。
勝ち誇った顔でさらに拳打を繰り出そうとしたオーレンが、しかしサビトガの指がひざ頭に触れた瞬間、ぞっと顔色を青ざめさせた。
立ち上がり、逃げようとするひざ関節に、親指が鋭く突き刺さる。酷吏の貌をしたサビトガが、己の宿業としてきた人体解体の技を、体術師の足に炸裂させた。
ねじ込まれた親指が関節の動きを封じるや、ひざの皿がサビトガの掌中に握られ、瞬間的に外される。にぶい音が響き渡り、激痛がオーレンに生の悲鳴を上げさせた。
崩れ落ちるオーレンが、それでも体術師の意地で肘鉄を繰り出そうとした。だがサビトガはその肘すら抱え込み、倒れるオーレンの勢いごと背後の地面に叩きつける。
橋の石材に肘鉄を食らわせたオーレンが、意味をなさぬ声を上げてのたうち回った。苦しみもがきながら敵との距離を取ろうとする彼が、勢い余って観戦していたレイモンドの靴に手をついた。
はっと顔を上げるオーレンが、自分達の長の視線を受け、硬直する。
レイモンドは戦いが始まる前とは打って変わって、熱っぽく楽しげな表情をしていた。
「凄えじゃねえか、お前ら。所詮素手の喧嘩で、よくもまあここまで『華』を見せられるもんだ。見ていて楽しい決闘だ」
「……いい気なもんだ……自分が傷つかないからって……」
「何ぬかしやがる。拳闘や処刑が娯楽として成立するのは、観客が安全圏に居るからだろうが。頑張れよ、オーレン。まだ腕と足が一本ずつイカれただけだぜ」
オーレンはレイモンドの靴を支えに立ち上がると、背後に迫っていたサビトガに振り向きざまの裏拳を放った。
飛燕を落とさんかというキレの一撃を、しかしサビトガは片手で受け止める。軸足の利かぬオーレンに、もはや不意打ちの妙技はなかった。
サビトガはオーレンの横っ面を、固めた拳で力の限り殴り飛ばした。拳骨が顔肉に埋まり、骨をめきめきときしませる。眼球を上転させたオーレンが「ぐぇっ」と絞められる鴨のような声を吐き、しかし拳を捕まえられているせいで倒れることもできず空を仰いだ。
突っ張った腕を、サビトガは一気に固め、背負い投げる。受け身も取れず背中を強打したオーレンが、橋上にばったりと足を投げ出した。
場の緊張が、急速にゆるむ。観戦者の多くがオーレンの様子に『勝負あった』と判断したのだ。
だがサビトガは全身汗だくになりながら、ぴくりとも動かぬオーレンにあえて「参ったと言え」と声を降らせた。上転した眼球を中々戻さない相手に、酷吏の貌が奥歯の音を立てる。
「ひじの方は知らんが、ひざ関節は治るように外しておいた。負けを認めればすぐに入れてやる。とどめを刺さずにな」
「……やっぱり、ド三流かよ……魔の島で人情が通じると、本気で思ってんの? この島は……」
「俺が人情で動いていたら、お前はひざではなく喉の骨を外されていた」
サビトガはオーレンの拳を放しながら、深く息を吐き出した。卑劣な馬賊を見下ろし、心底忌々しげに声を続ける。
「お前のようなクズでも、戦力は戦力だ。今ここで叩き潰すより、魔の者との戦いで多少なりとも敵を道連れに果ててもらった方が都合が良い」
「……冷徹ぶりやがって。馬畜生に同情するような間抜け野郎が……。島でも、外でも、哀れがましい家畜の姿は間抜けを陥れる最高の商売道具さ。旅人は戦士も兵士も、商人も、奴隷ですら老い馬には寛容で無警戒だ。下手すりゃ人間の女子供以上に同情を誘える。だから僕ら馬賊なんて人種が生まれるんだよ」
「俺の国の馬賊は、馬を虐待などしなかったがな。自分が捕まっても馬だけは助けてくれと懇願するような連中だった」
サビトガは目を細め、わずかに声を落としながら「お前、ひょっとして」と、オーレンに言う。
「他人から盗んだ馬にしか、乗ったことがないんじゃないか」




