百十六話 『黄色の道標』
愛馬詐欺。魔境で乗馬を見つけた人間の興奮と同情心を利用した、騙しの手口。
ブナ森で襲いかかってきたクルノフ達よりもはるかにタチの悪い、盗賊行為だった。
サビトガは少女を放し、髑髏馬の去って行った方角を睨む。すでにひづめが落ち葉をまき上げる音も聞こえなくなっていた。
地面を見れば馬は土をほとんど踏んでおらず、足跡はとぎれとぎれに三つ四つ散らばるのみ。
常習犯。確信するサビトガに、少女が手の平に残った白馬の体毛を見つめながら言った。
「ここに居るのは、ハングリンのような変わり種の探索者を除けば、ほとんどが産道の民が認めた『優れた異邦人』のはずだ。さっきのヤツも、きっとワタシの仲間が選んだ使命のパートナーなんだろう」
「実際優れてはいる。俺達をまんまと出し抜いた知能も、盗みの手際もだ。……しかし」
「ああ、許しがたい」
サビトガのとなりに立つ少女が、手の平を白毛ごと握り締める。
一瞬の喧騒を経験した森は、今再び遠い樹上の気配や、風の音の漂う空間に戻っている。
二人は何を相談するでもなく、自然と髑髏馬の去って行った方角へと、進路を取った。
異形の植物と、悪意ある第三者が息づく森。ハングリンが避難所と称した場所を、サビトガ達は歩き続ける。
時折件のりんりん、らんらんという謎の音が聞こえては鳴り止んだが、それ以外には特に変わったこともなく探索が続いた。
食料や水筒の入った荷物袋を盗まれたサビトガに、少女が何度か自分の分の水を差し出してくれたが、そのたびにサビトガは丁重に辞退した。
森の外で待っているシュトロ達のためにも、何としても今日中に集落にたどり着かねばならない。
少ない水を分け合う行為が、そうせざるを得ない状況を受け入れることが、なぜか目的地への到着を遅らせるような気がした。
験担ぎのような思考は、神経が張り詰めている証拠だ。髑髏馬のことがあってから、行き場のない怒りや警戒心が体内で渦を巻いている。
理知的な判断をして頭を冷やす必要があった。
森の中には探索者が集落にたどり着くための仕掛けがしてある。ハングリンの言葉を思い返すと、サビトガは周囲を注意深く観察して活路を探し始める。
そうした理知が実際に活路を誘い寄せたのは、さらにしばしの時間が経ってからだった。
「あの木、変だな」
景色を彩る緑の一角を指さすサビトガに、少女が視線をめぐらせる。
巨木に成長する中途の若い木が、サビトガ達の方ヘ黄色い丸い実の生った枝を突き出していた。近づけば結実している枝は一本きりで、他の枝には葉すらついていない。
人為的に枝葉を刈られた形跡があった。
「この枝、他の枝とは微妙に色が違う……。後から接ぎ木されたんだ」
「接ぎ木?」
「樹木の枝を切って、別の木の枝を移植することだ。誰かが一本だけ枝を差し替えたんだ」
サビトガは黄色い実を一つもぎとり、槍の刃で割る。白い乳液が出たのを確認してから、枝の伸びる方角を振り返った。
視界の果てに、トゲだらけの木苺や山ぶどうの色彩に混じって、細かな黄色が踊っている。走り寄るとやはり黄色い実の枝は一本だけ樹木に接ぎ木されていて、新たな黄色に向かって枝先を伸ばしていた。
これが集落にたどり着くための仕掛けだ。少女と顔を見合わせたサビトガは、森に散らばる黄色い実をたどり続ける。
途中何本か実を全て落としてしまっていた枝もあったが、接ぎ木の土台となっている樹木が全て同種だったおかげでそれらを見失うこともなかった。接ぎ木行為に気づいた者だけが拾うことができる、道しるべだ。
しだいに樹上の獣じみた気配が遠のいてゆく。ほほに当たる風が冷たくなり、開けた空間の存在を予感する。
樹皮が隠れるほどに巨大な実をつけた一枝をくぐった時。サビトガ達の前を、白い光が満たした。
「……集落だ!」
歓声を上げる少女がウサギのように飛び上がり、両の拳で空を突く。
森の広間とも言うべき木々の切れ目に、明らかな人の手で造られた建物群が、電気の光を浴びて輝いていた。




