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棺の魔王 (コフィン・ディファイラー)  作者: 真島 文吉
棺の魔王0 -魔王の処刑人- (旧題 ヘッズマン・グレイブ)
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九十四話 『屋根上の攻防』

 雨が強まっていた。黒い雲から風が鋭く吹き下りては、水滴を横殴りに叩きつけてくる。


 サビトガは露台の床板から屋根のかわらへと降り立ち、闇に沈む西の寝所へと視線を走らせた。


 明星妃の言葉通り、屋根瓦は中庭の側面を一直線に寝所へと伸びている。


 下級妃達の声がうそのように消えていた。サビトガは一人、風雨の中を歩き出す。


 後宮の古瓦にはコケが生えていて、うっかりむとくつをとんでもない方向にすべらせる。


 ここまで来て転落死など御免ごめんだった。腰をかがめ、両手を瓦に近づけて慎重に進む。


 一階の水晶の灯りが、遠い星のようにきらめいていた。


 手元を照らす光が欲しい。指先でコケを探しながら思った、その時だった。


 不意にはるか前方で硬い物が砕ける音が響き、真っ赤な火花が風雨の中にはじけた。ぴたりと動きを止めるサビトガの耳に、屋根上を走る無数の足音が届く。


 瓦に落ちた火花が、煙を上げながらぶすぶすと明滅している。その細かな光の上を平たい靴が通り過ぎる。獣の皮をたっぷりと使った、すべり止めつきの『かんじき』。雨ざらしの屋根の上で戦うための装備。


 迫り来る足音に、再び硬い破裂音が混じる。飛散する火花は油と動物のふんを混ぜた、水中でも燃える火薬(つぼ)の火だ。


 雨中の闇に火花を散らし、足場を照らし出して的確にこちらへと向かって来る相手方。


 周到な襲撃者を、サビトガは一瞬自身が警戒し続けてきた『忍ぶ者』と勘違いした。


 だが、すぐにそんなはずはないと思い直す。忍ぶ者は雨と闇を味方とし、同化する術を得意とする暗闇の化身だ。


 彼らが足音を響かせ、闇を火花で切り裂くことなど絶対にありえない。闇夜に火を必要とする者は忍ぶ者ではない。


 サビトガは背を伸ばし、骨鋸をゆっくりと構える。断続的に炸裂する火花はすぐ目の前に迫っている。人影が三つ、雨と煙の中にはっきりと輪郭りんかくをさらした。


 人影のひとつがサビトガを指さし、殺意を叫んだ。怒声と共に叩きつけられる火薬壷。舞い散る火花が襲撃者達の姿を浮き上がらせる。


 やはり、まがい物だった。苧頭巾からむしずきん面頬めんぼお、全身をおおう厚布の服は確かに忍ぶ者のデザインだったが、襲撃者達はそれらをことごとく真っ黒に染め上げている。


 本物の忍ぶ者は、渋柿しぶがき色の色彩を身にまとっているのだ。それは闇に潜むさい、渋柿色が最も人間の輪郭を散らし、視認を困難にするからに他ならない。


 黒や暗青といった色は、闇にっては存外それをまとう者の輪郭をくっきりときわ立たせる。


 黒い闇に潜むのに黒を選ぶのは、素人の考えだ。


 サビトガはまがい物達が、やたらに長い毒剣や鎖分銅を慣れない手つきで抜くのを視界に収めたまま、素早く火花の明かりの届かぬ闇の間に目を走らせる。


 すると雨の中に亡霊のようにうろんな、ほとんど気配だけの輪郭の残滓ざんしがさまよっているのが見て取れた。


 本物の忍ぶ者は向こうだ。まがい物達の後方で、足音も、恐らくは呼吸音すらもらさずにじっと機をうかがっている。


 特殊技能を持つ先王の精兵と、その姿を模倣する付け焼刃のまがい物。


 サビトガとウダイ達の関係と同じだ。ミテンは忍ぶ者すらも自分流のものを求めた。


 ならば目の前のまがい物どもの中身は、サビトガに取って代わろうとした親衛隊のやからと同じ。


 十中八九の、下衆げす者だ。


「――お前達に用はない!!」


 背負った毒剣を抜きざまに振り下ろしてくる敵を、サビトガは骨鋸も振るわずに前蹴りで退しりぞけた。


 後続の仲間と衝突し、毒剣を取り落とすまがい物の腹に、さらに連打を叩き込む。


 仲間と仲間の間にはさまれた者が、ふところに残していた火薬壷を割られて火花をまとった。絶叫と共に火だるまと化し瓦の上を転げ回るまがい物どもを、サビトガはさらに追撃する。一人を素早く喉を裂いて殺し、次の一人の後頭部を骨鋸の背で殴打おうだして潰し、最後の一人はただれた背をかかえ上げ、中庭に投げ落とした。


 梅の林に、火薬壷の火柱が立ちのぼる。サビトガは喉を裂かれ痙攣けいれんしている敵のふところをあさると、ありったけの火薬壷を屋根上のうろんな気配の方へとばらいた。


 炸裂し、風に流れる火花が、渋柿色の二人の存在をあばく。まがい物どもの真新しい頭巾と違い、真打しんうちの頭巾はやなぎの葉のようにすり切れて、死体の皮膚を思わせる恐ろしげな質感をまとっていた。


 面頬は一切の意匠いしょうのない木の板だ。その奥に眼光はなく、忍ぶ者のかおは真の闇に沈んでいた。


 二人の真打が、毒剣を抜く。背になどわず、腰元に一振りだけ差された必殺の小刀が、雨粒をせて糸のような光を放った。


 無言のまま、忍ぶ者が屋根を駆け出す。足音なく迫る彼らの靴はサビトガのそれと同じで、滑り止めのほどこされている様子もなかった。


 剣閃が走る。骨鋸を振るう。


 一人の毒剣が鯨骨の刃で止まり、二人目の刃先が、わき腹に迫った。

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