八十六話 『謀り』
サビトガは敵の言には応えず、骨鋸を手に大股に歩を進める。
背後で長刀の衛士が倒れる音がした。仲間が全滅してもなお平静を保っている敵はゆっくりと腕をほどき、自身の口元に張りついた顎骨を親指でなでる。
小さな顎骨は明らかに乳幼児のものだ。歩調を速めるサビトガに、敵は変わらぬ余裕の声音を向け続ける。
「俺は元近衛兵団、警備頭のウダイ」
サビトガが歩調を速める。
「卑劣漢『背中刺し』とは」
骨鋸が風をまとう。
「……一度手合わせしたいと思っていた!」
敵が、名乗りに恥じぬ程度の身のこなしで腰の剣を抜き放つ。骨鋸と剣がかち合い、火花を散らし、鋭い剣戟の音が部屋に響いた。
サビトガは骨鋸の最も柄に近い刃、『鬼刃』の部分でつばぜり合いを演じながら、ぎろりと敵の剣に目を落とした。見事な抜刀の腕で振るわれた刃は、しかしサビトガの神経を逆撫でするような無様な形をしている。
連刃。敵の鍔からは並行に、二本もの刃が伸びていた。しかも所々に『返し』が付き、まるで炎のように歪な線を描いている。
敵が乳児の顎骨の奥から、至極楽しげな声を吐いた。
「新型処刑刀剣『臓腑貫き』。返しのついた連刃を腹に突き入れられると引き抜く時に臓物がからまり、雑多に引きずり出される。必殺の剣である反面一突きでは死にいたらず、負傷後三、四日は生きて苦しみ続ける」
下卑た剣を誇る敵がせり合っていた鍔を激しく打ち鳴らし、一度背後に退く。
次いで大上段に振りかぶられる連刃に、サビトガはすかさず体を前に出し、骨鋸を突き出した。
並行に並んだ刃の隙間に鯨骨が入り込み、再び鍔と鬼刃が接触する。サビトガは敵の膂力を受け止めながら骨鋸の上端をつかみ、気合と共に真横にねじった。そのまま連刃を、力任せにへし折る。
「おおっ!」と感嘆の声を上げる敵の顔面を、サビトガの拳が殴り抜ける。のけぞる敵の喉を骨鋸でかっ切ろうとしたが、伸ばした刃は新たに敵の腰から引き上げられた刀剣に防がれた。
今度の剣は平たい刀身に、無数の丸い虫食いの穴が空いている。顎骨から血を滴らせる敵が、こりもせず再び得物を誇り始めた。
「新型処刑刀剣『肉掻き』。刃を突き入れられた人体は自然に肉を締め、出血を止めようとする。その時にこの虫食い穴に肉が入り込み、そこを一気に引き搔くことで二重に身を削ぎ取る」
敵は口上を終えると、疾風のように丸い剣先を突き出してくる。技だけは上等な刺突を体を開いてかわすや、サビトガは虫食いの穴めがけて骨鋸を叩き込み、そこから一気に刀身を断裂させた。
舞い散る刃の破片の中、再び感嘆の声を上げようとした敵の利き腕を、サビトガは鬼の形相で一撃した。鮮血が飛び散り、長く掘り起こされた肉の溝から白い骨が露出する。
「貴様のそれは刀剣ではない。悪趣味な玩具だ」
そんな物で人を殺してきたのか。
どこまでも低く殺気を声に載せるサビトガは、重傷を負った敵の頭部を叩き割るために骨鋸を振りかぶる。
半端に死道に立った己の最後の影法師を粉砕せんと、拷問具がうなりを上げる。
「――なるほど」
平静な声に、ぞわりと毛筋が逆立った。
露出した自分の腕骨を見つめる敵は、目元に浮かんだ弧を消すことなく笑っている。
この男、痛みを感じていない。
サビトガは急激に膨らむ危機感に骨鋸の軌道を変え、敵の右腕をさらに一撃しようとした。
瞬間、目の前を光がよぎる。骨鋸の鬼刃が、かろうじて男が無傷の左手で抜いた三振り目の刀剣を受け止めていた。
頭部を狙い続けていたら、拳を貫かれていた。敵が逆手で繰り出した一撃は今までのどの攻撃よりも鋭く、疾い。
サビトガは敵の手にある刀剣に視線を当てる。ぎらぎらと光を放つ鉄剣は、下卑た趣向など一つもない真っ当な剣。
近衛兵団の、本来の装備だった。
「――貴様! 悪趣味を装っていたなッ!!」
「ついでに本当の利き腕はこっちだ。左利きでね」
敵が、近衛兵団のウダイと名乗った男が、笑顔の中に鋭い殺気の色を混ぜた。
影法師ではなかった。この敵は初めから自分の名を名乗っていたではないか。
欲と悪意のままにサビトガに成り代わろうとする、有象無象ではない。
サビトガは咆哮と共に鬼刃を押し出し、笑うウダイと眉間をかち合わせた。




