六十八話 『底』
横穴の中は当然に闇に支配されていたが、不思議と閉塞感を感じなかった。
天井が高く、外気が通いやすいということもあるが、何よりも足下に草が生えていることと、洞穴内にちらほらと小木が立っていることが大きいのだろう。
陽を浴びない草木は外のものよりも貧弱で育ちが弱いが、それでもこの場所が外界と地続きになっているのだということを、視覚的に教えてくれていた。闇をランタンや松明の光で切り裂けば、そこに植物の色彩がある。その事実が一行の神経をなぐさめ、緊張感をほぐしてくれていた。
ハングリンがランタンの強い光線を、まるで順路を示すラインのように長く遠く闇の中に引くと、何かが光に直撃されてバタバタと音を立てた。
身構えるサビトガ達の前方で、複数の影が地に落ちる。慎重に近づくとそれは洞窟コウモリの群だった。よほど光に弱い種類と見えて、ことごとく気絶して目を回している。
シュトロがハングリンの持つランタンに視線をやり、「どんだけ強力なんだよ」とその光量に舌を巻いた。
ハングリンは再び歩き出しながら、シュトロに肩だけをすくめて応える。
「この光は金属が燃える光だ。数種類の鉱物粉と錆、油を練り合わせた粘土で火縄を作り、それに火をつけることによって生じる。目がくらむほどの光は、金属を経由しなければ生み出せない。木や草をいくら燃やしても『まぶしさ』は作れないのさ」
「確かに松明や蝋燭で目くらましはできねえな」
「コウモリは狂犬病を運んで来る。やつらを追い散らすためにも、攻撃力を備えた光源は洞穴探索に必須のものだと私は思うね」
シュトロは自身の持つ燈火用樺皮の静かな火を見つめ、それからすぐに「チッ」と舌打ちの音を立てた。ハングリンはその様子を一切気にかけることなく、先へ進んでゆく。
サビトガは皆とともにハングリンの後を追いながらも、松明の灯りの領域に浮き上がる小木や岩の表面に視線を走らせ、時折有益なものを見つけては手に取り採集した。
穴底にはなかった食用のミズゴケや、マメ科の植物の芽が洞窟内には群生していた。
ふと視界に入った小木にはなんとグミの実が生っていて、色は白く抜けているものの口にするとほのかな甘みと酸味がある。
少女を呼び止めて二人で採集していると、先を行っていたレッジが戻って来て小声で「変だよ」とささやいた。
「この洞窟、ずっとまっすぐ続いてる。大穴の底が島の中心、最古の秘境だったはずなのに、これじゃ島の外側へ戻っちゃうよ」
「……だが、地面の傾斜は微妙に下り坂になっている。地下へ向かっているのなら、とりあえず後戻りしていることにはならないんじゃないか」
「だけど……」
「おーい! 何してんだよ、はぐれっちまうぞー!」
洞窟を飛んでくるシュトロの声に、サビトガ達は顔を見合わせ、仕方なく会話を切り上げて先へと進む。
一行はそれから、実に何万歩分も足を運び、暗闇と草の世界を歩き続けた。
想像以上に長い洞窟だ。一本道なので迷うことはないが、すでに時間感覚は消え失せていた。
松明の樺皮を交換し、休憩をはさみながらひたすらに前へと進む。ミズゴケも豆の芽もグミも、もはや十分すぎるほどに採った。いつしか光線に気絶するコウモリすらいなくなり、じょじょに忘れていた閉塞感が頭の上にのしかかってきた。
その時。
不意に、何の予告もなく、ハングリンがランタンの火を吹き消した。
闇に没する彼の姿に、一瞬裏切りの気配を感じるサビトガ。だが直後に「こっちだ」と、ハングリンの声が響いた。
視界に、唐突に明るい世界の断片が飛び込んできた。遠く洞窟の出口が見え、その先に光満ちる景色がある。
青々とした草に覆われた地面、灰色の石に、苔の生えた土壁。
サビトガは走り出しかけるレッジを制しながら、仲間達とともに遠景へと向かった。やがて闇から再びハングリンが現れ、落ち着いた足取りでサビトガ達の前を行く。
洞窟の闇が薄れる。光が差し込んでくる。暗闇の世界と決別する。
靴底が今まで以上にみずみずしい草を踏み、頭に光が当たった。
洞窟を抜け出たサビトガ達は、そのまま道なりに数歩進み――眼下に広がる光景に、言葉を失った。
「ようこそ、魔の領域へ」
つぶやくように言ったハングリンが、そのまま両ひざを地面につき、頭を抱えて静かに笑い出した。
サビトガは、海抜よりもはるかに低い、地の底の底を目指していたはずのサビトガは。
目の前に広がる白い雲海に、ただただ、絶句していた。




