六十五話 『夕飯前』
夕刻。釣り罠を引き上げたサビトガは、レッジとともに釣果を確認しながら何とも言えぬ微妙な表情をした。
針にかかっていたのはほとんどが雑魚で、燻製にもできぬような小粒なものばかりだった。唯一亀の骨の針に大きなナマズがかかっていたが、体中にびっしりと藻が寄生していて、なんとももっさりとした、さえない個体だった。
水草の生えた魚はあまり味が良くない。もちろん貴重な食料ではあるが、どう料理してもスカスカした食感の食べ物になるような気がしてならなかった。
マスを狙っていた少女も今日は調子が悪いと見えて、腹に吸盤のある奇妙な魚を一匹だけつかみ取ってきた。残る希望はシュトロだが、彼の引き上げたヤナからはなんとカブトガニが出てきた。
カブトガニは本来淡水ではなく、海水や汽水に生息する生き物だ。水たまりに居たのは淡水に適応した特殊な個体だからなのか、あるいは水たまりの水自体が実は純粋な真水ではないのか。
いずれにせよ取れるはずのない獲物を取ったシュトロは困惑し、一同を見回して「食えるのか、これ?」と正直に疑問を口にした。
サビトガはヤナの中を動き回る五匹ほどのカブトガニを眺めながら、少し考えて「食えるよ」と断じた。
「尻尾の断面が角ばっているものは無毒で、丸いものは有毒だ。だがどちらも、適切に調理すれば食用が可能だ」
「適切に調理できるのかよ。カブトガニ」
「エラに毒が溜まるから、その部分を取り除けばいい。オスはほとんど食べるところがないから、メスだけを調理しよう。ツメの数や大きさで判別が可能だ」
言いながらカブトガニを選別し、オスを水たまりに返すサビトガに、シュトロが腕を組みながら「あんたさ」と、なかば呆れたような口調で言った。
「なんでこんな気色悪い生き物の食べ方まで知ってんだよ。魚や亀は分かるよ、でもなんでわざわざカブトガニなんだよ」
「お前が訊いたんじゃないか」
「ここまで詳しいとは思わなかったんだよ」
サビトガはメスのカブトガニを三匹、逃げ出さぬよう足を全て切り落とし、シダの葉で包んでから火に放り込んだ。
ナマズや雑魚の方に手を伸ばしながら、シュトロに片眉を上げて答える。
「パージ・グナは島国だ。四方を海に囲まれているし、河川も多い。だから水棲生物の食用研究に関しては特に情熱がある」
「情熱ってか。単に悪食なんじゃねえの。ヒトデやフジツボまで食らいそうだぜ」
「ヒトデは卵を食用できる種があるし、フジツボは石ごと採って来て丸焼きにしてツメの中を食べる。ナマコもウミウシも調味料に漬けて食べるし、イソギンチャクは油で揚げて酒のつまみにする。他国人が敬遠しがちなタコもイカも美味いよ。それが俺の国の食文化だ」
サビトガは「だが、悲しいかな」と、しぶい顔をするシュトロをナマズの頭で指した。
「カブトガニだけはどう料理してもまずい。卵を加熱して食べるんだが、魚類やエビ類のそれと違って味も色もドブのようだ。そのくせエラの毒はフグと同じ種類で、場合によっては人間を何人も殺せるほど強力ときてる」
「フツーの国はな、そういう生き物は『食えない』って素直に認めるんだぜ」
「腹の足しにはなるからな。食わずに飢えるよりは食った方が良い。このナマズもたぶん美味しくないだろうが、今夜の大事な糧となる」
少女から借りたナイフでぞりぞりとヒゲでも剃るかのようにナマズの藻を剥がすサビトガに、シュトロはますます顔をゆがめてそっぽを向いてしまった。
焚き火から、カブトガニの匂いだけはおいしそうな甲殻類の焼ける気配が漂ってくる。ナマズの頭を落とし、身を開いて湯引きをしたところで、サビトガの目の前に不意にごろごろと緑色のキノコが転がってきた。
顔を上げればレッジがキノコを山ほど抱えて立っている。サビトガ達が目を細めると、レッジは鼻を鳴らしながら水辺で採集した草木を洗っているハングリンをあごで示した。
「ハングリンさんに教えてもらった食べられるキノコ、アイタケだよ。『かすり模様』が特徴なんだってさ」
「……食べる気か?」
「僕は食べる。ハングリンさん自身が目の前で毒見してくれたし……それに燻製にして保存しておけば、後でみんなも試して食料にすることができるだろ」
後で。それはハングリンやレッジが毒に当たらなかったのを見届けた上で、ということか。
じっと自分を見つめるサビトガ達に、レッジは焚き火の燻製器に向かいながらさらに言葉を続けた。
「あの人、正直いやな感じの人だし、信用もできないけれど、明らかに僕より知識も経験もある。だったら僕があの人の言うことを実践して、それを盗んでやろうって思ってさ」
「盗む……?」
「ハングリンさんの言葉を、僕の経験として吸収する。どの植物が食べられるって聞かされたら、実際に食べてみてその真偽を確認するんだ。食べ物のことだけじゃない、あの人が口にする、行動に移す有意義そうなことは、全部僕がこの手で実践するんだ」
「危険だぞ。前も言ったが彼は生を諦めかけている」
「だからこそ良いんだ。消えゆく人間の知識こそ貴重じゃないか。それにもし僕があの人にハメられてひどい目に遭ったとしても、それはそれでハングリン・オールドは敵だっていう『情報』を得られるだろ」
シュトロが少しばかり驚いたふうにレッジを見た。「お前」と口の端を引き、ゆっくりと声を吐く。
「なんか、いつもと違わねえか。ちょっと頭良さそうになってるっていうか……さっきサビトガと揉めてたけど、関係あんのか」
「いつまでも役立たずの馬鹿じゃ駄目だって気付いただけだよ。役に立ちたいんだ。僕も。僕にしかできないことがなけりゃ、シュトロだっていつか僕を見捨てるだろ?」
とたんにシュトロが目を吊り上げ、レッジの尻を靴先でどすりと突いた。みょうな声を上げてもだえるレッジに「馬鹿がよ」と吐き捨てると、地に転がったアイタケをなんとそのまま生でかじった。
ぎょっとするレッジとサビトガに、シュトロはまずそうにキノコを柄まで呑み込んで、言う。
「こんなモン食らったからって何が変わるもんかよ。いいかレッジ、お前がいつか恐ろしく馬鹿なマネをして、救いようのないカスな裏切りをかまして、どうしてもぶち殺さなきゃ気が済まねえって事態にでもならねえ限り、俺はお前を見捨てたりはしねえ。
役立つバカになりてえって? 結構じゃねえか。どんどんやりゃあ良い。ハングリンの知識を吸収してヤツ並みの探索者になるってんなら大歓迎だ。
けどよ、みょうな捨て身根性でがむしゃらに突っ込むんじゃねえ。慎重さを忘れんな。お前は俺らの仲間であって、飼い犬じゃねえんだからな。勝手にくたばるんじゃねえ」
使い捨ての猟犬がほしいなら、最初からそう言うさ。
まくし立てるように言い切ったシュトロが、最後に「うまくねえぞソレ」とアイタケを指し、踵を返す。
ずんずんとハングリンの方ヘ突き進み、何ごとか悪態をぶつけてはやり過ごされているシュトロを見ながら、レッジは頭をかいて小さく「厳しいなあ」とつぶやくように言った。
サビトガは、そんな仲間達に特に何かを言うこともなく、ただ少しでも彼らの夕食を美味くしようと、ナマズの身に細かく、ていねいに、下ごしらえの刃を入れた。




