六十話 『演技』
前のパーティーの夢を見た。
祖国『ハスク民主国』で出会った、心正しい人々。若者らしく、世の悪習や偏見思想に侵されていない、純粋な義侠心を持った冒険者達。
外見も中身もキラキラと輝いていて、いかにも将来偉大なことをなし遂げそうな、そんな予感をさせる顔ぶれだった。
レッジは、だから彼らが都の路上で己が正義を語り、魔の島行きの道連れを募っているのを見た時、まるで餌に食いつく豚のように鼻先から彼らに駆け寄ったのだ。
実の父親を半殺しにして家を出てから、十日と経っていなかった。一人暮らしの目処すらつかず、家から持ち出した金も半分以上を使ってしまっていた当時のレッジにとって、魔の島行きの話は決死の大冒険のための募兵ではなく、まるで現実から逃避できる夢想旅行へのお誘いだった。
幼い頃から憧れていた英雄譚。その登場人物に、他でもない自分がなることができるかもしれない。たまたま出会った資質ある人々の正義に、理念にタダ乗りすることで。
レッジは持ち金のほとんどをつぎ込み、高価な鎧と剣を買った。初めて振る剣は重く危うげだったが、まがりなりにもガラス工房を第一線で支えてきた体力と、金属の扱いに対するカンのおかげか、すぐにパーティーの誰よりも鋭い突きを放てるようになった。
仲間達はレッジを力持ちだとか、頼りになる男だとか、喧嘩の強い特攻隊長だとか言って誉めてくれた。剣の実戦経験は一切積まなかったが、つまらない酔っ払いとの喧嘩程度なら朝飯前だった。
かつて父親にしたことを、再現すればよいのだ。顔面を殴り、目を指で潰し、頭に物を叩きつけ重い物を倒して下敷きにしてやればいい。そして泣くまで蹴りを入れてやれば、大抵はそれで終わった。
人間は経験が全てだと、レッジは思う。正しい経験さえあれば人間は何度でも成功を収めることができる。成功体験こそが、勝利のための一番の力だ。
だからレッジは、パーティーの中で一番人を傷つけた経験のある自分を、本当に力持ちで、頼りになる、強い男だと思い込んでいた。仲間達の前でことあるごとに強者として振る舞い、強者に似つかわしい性格を演じてみせた。
本当は体も心も芯が弱い、ただ憎悪をまっすぐに相手に叩きつけられる程度には性格がゆがんだ、ちっぽけな若造だとしても。それを絶対に仲間達には悟られたくなかった。
国の危機も伝染病も本当はどうでもいい。ただ自分を価値ある人間だと思い込みたいがゆえに魔の島に行くのだということも、絶対に秘密にしなければならなかった。
キラキラした外見。キラキラした心。正義と理想を何の疑いもなく抱き口にできる純粋さ、心根の優しさ。
それを自分も持っているのだと、だからこのパーティーに自分はふさわしいのだと、そんなふうに己の人間像を偽装してでも、恐ろしい魔の島への旅に同行したかったのだ。
レッジのそんな欺瞞と未練にまみれた演技は、祖国での準備期間を終え、長い船旅の果てに魔の島に上陸し、ブナ森でクルノフ達と遭遇するまで続いた。
一切の嘘や虚勢を許さぬ、あまりにも純粋な、本物の暴力。それにさらされたレッジ達はまるで嵐の中の子羊のようで、あらゆる薄っぺらい虚飾を剥ぎ取られ無理やりに正体を暴かれた。
正しい人々は正しいままに蹂躙され、偉大な伝説を残すことなく生涯を終えた。一度は逃避した現実が、最悪の形でレッジの前に戻って来たのだ。
レッジは、一度はクルノフを父親と同じように叩き伏せようとした。成功体験を信じ、剣ではなく拳で、クルノフの恐ろしい顔面を殴りつけようとした。
だがレッジの固めた拳は、巨漢のクルノフの首元にさえ届かなかった。渾身の力はぶよぶよの脂肪のどこかに吸収され、次の瞬間には大きな手の平に、逆に張り飛ばされていた。
その天地が割れるような衝撃に比べれば、かつての父親の暴力などないも同然だった。レッジはクズのような男に勝利した経験を、クルノフのような怪物との戦いにあてはめてしまった愚かさを心底後悔した。
あるいは比較的平和な人間国家での正義と理想を、人外跋扈する魔の島に持ち込んで戦おうとした仲間達もまた、同じ後悔を残して死んだのかもしれない。
正しければ負けない。多くの命を背負っていれば強くなれる。どんな巨悪にも、打ち勝てる。
それはきっと、妄想だったのだ。世界はもっと具体的な法則で動いている。
より強い者が全てを得る。それが戦いという現象の全てだった。
体の強さ、心の強さ、技術の高さ、狡猾さ邪悪さ、敵意の強さ。
それらに正しさが並ぶことは、多分ないのだ。正しさだけで勝てる戦はない。
まして正しさを装っている者に、なぜ勝利がつかめようか。
レッジは、夢の中で再びクルノフに蹂躙されながら、あの夜考えたことと同じ思念をめぐらせた。
自分に正しさが似合わないことは、分かっていたはずだ。
キラキラしたものは、純粋な思考や魂は、髪を梁にくくられる日々の中に取り落としてしまった。自分は正しい仲間達と共に居る価値のない人間なのだ。それがなぜ分からない。
喧嘩の強い頼りになる男は、自分の立ち位置ではない。それは他の人間に、本当に強い人間に譲るべきだった。そうすれば仲間達もむざむざ命を落とさずに済んだかもしれない。
自分はもっと汚い人間なのだ。愚かな人間なのだ。実の父親に暴力を振るい踏みつけにできる、そんな凶悪な人間が素晴らしい若者達に混じって、国を背負い戦おうなどと、おこがましかった。
やり直したい。ちっぽけで未熟で、自分の憎悪も飼いならせない、でも何も偽らない本当の自分の姿で人生を戦いたい。
誰かが、救ってくれれば。この最悪の一幕だけ救ってくれれば。
今からでも、自分一人だけでも、救い出してくれれば――きっと、少しずつでも、本当の自分を――本当の人生を――――。
「大丈夫か。レッジ」
かけられた声に、土を握りしめながら目を覚ました。
穴底の夜は明け、目の前に真っ青な空がある。レッジは汗まみれの胸を上下させながら、渇いた口を大きく開けて言葉を吐いた。
「僕は馬鹿だ。邪悪で、残酷だ」
「人はみんなそうさ。多かれ少なかれな」
視界の端から、大きな手が伸びてくる。その指に挟まれた湯を含んだ麻布が、レッジの目元を流れていた涙をふいた。
瞳を転がし、サビトガを見る。悪魔のようなクルノフを殺した彼は、今のレッジにふさわしい仲間だろうか。レッジよりはるかに強く、賢く、人生における経験量も確実に勝っている。だが彼からは、少しだけレッジと同じ種類の『邪悪』の臭いがする。
レッジは、まだ自分の本性を全てさらけ出せていない。
愚かさと間抜けさと、子供っぽさはきっと上手く表現できている。だが一番醜い部分は、どうしても怖くて、表に出せないのだ。
演じている。自分はまだ、本来の自分と別の人格を演じている。それが自分に機会を与えてくれたサビトガに対する不実であるかのように思えてならなかった。
冷静な思考が、愚かで間抜けな、不完全な『レッジ』の思考に置き換わる。
レッジはむくりと体を起こし、にへら、とサビトガに笑みを向けた。
「朝ごはんは何だい?」
「もうできてるよ。先に顔を洗って来い」




