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百四十話 『剣』

 アドの体が溶けてゆく。剣を突き込まれた場所から、どろどろと崩れてゆく。


 切り飛ばされた下半身はもはや動かない。熱した鉄板に載せた氷のように、何の抵抗もせず得体の知れない液体と化し、土に染み込んでゆく。


 逆に頭部の残った上半身は獣のような声を上げ、腕をばたつかせてもがいた。


 腹から胸へと侵食する傷口を、白骨の手が自ら打ち壊し、破壊する。体の溶解を食い止めるため自身を攻撃する。


 その様子をアッシュはただ見ていた。アドに走れと言われたのに、足が地にい付けられたかのように動かなかった。


 目の前には壊れてゆくアドと、彼女を両断した血まみれの男。


 男の顔には見覚えがある。神の目の中から、神喚び師と共にアッシュ達を睨んだ男だ。


 彼の手にある真っ白な刃に、その柄にはめ込まれた漆黒の宝玉に視線を落とすと、アッシュはひくつくように喉を鳴らした。


 魔王の遺物であるアドを一突きでここまで破壊できる剣――もはや疑いようもない。


 この男がユーク将軍だ。回帰の剣は、未だ彼の手にある。


 周囲で瓦礫をあさっていた人々が騒ぎに気づき始めた。


 武器を持つユークの姿に悲鳴を上げ、逃げ出す者。踏みとどまり遠巻きに「剣があったぞ!」と叫ぶ者。不運にもその誰もが兵士や戦士ではない、一般人だった。


 胸から上だけになったアドが、虫の息で地面をう。ユークはまっすぐにその背中を見つめて言った。


「不死の巨人を石壁に倒した……むくろのバケモノに乗っていた、女どもか」


 女ども。アッシュは男の視線の外にいながら、はっきりと向けられた敵意にあやうく尻餅をつきかけた。


 粗悪な鉄の剣を抱えたまま浅く息をする彼女に、アドが瓦礫の間に落ち込みながら叫ぶ。


「走れ! ……バカ野郎! すくんでる場合かッ!!」


「よく聞け。この剣は俺の剣だ。このユーク将軍のためだけに存在する、聖剣だ」


 男、ユーク将軍がずるりと足を引きずる。瓦礫を乗り越えられずもがくアドの方ヘ、近づく。


「魔をはらい、時代を救う剣なのだ。分かるか? 俺が……この剣で、魔王も、亡霊どもも、貴様ら野蛮人どもも……全てを斬り滅ぼすのだ」


「てめえ殺すぞアッシュ! さっさと行きやがれッ!!」


「運命が認めたこの世の主役は一人だけだ。常に一人だけなんだ。その俺に……ほんの一時でも、勝つつもりだったと言うのなら……」


 アッシュの名を叫び続けるアドの前で、ユークが突然勢い良く体を返した。


 無意識に粗悪な鉄剣を構えていたアッシュを、血走った目が真正面から睨む。いとも簡単にひざを笑わせながら、それでもアッシュは懸命けんめいに声を飛ばした。


「剣を捨てなさい! すぐに人が来るわ! そんな……けがをした体で戦えると思う!?」


「俺に命令するなッ!!」


 凄まじい気迫でぶつけられた怒声に、アッシュの足が勝手に何歩も後ずさっていた。後方からも遠巻きに見ていた人々の短い悲鳴が聞こえてくる。


 実際に相対したユーク将軍は、話に聞いていたよりもはるかに恐ろしかった。強大な神と兵団に守られた、不遜ふそん傲慢ごうまんな少年。過ぎた権力を与えられた子供。アッシュはユークを、なんとなく権威を振りかざすだけの実のない人物と考えていたが……今、目の前で野獣のような殺気を放つ相手に、微塵みじんも勝てる気がしなかった。


 間接的にでも直接的にでも、人を殺し国を滅ぼし続けてきた男のまとう雰囲気とは、ここまで暴力的なものなのか。ユークは回帰の剣をまっすぐにアッシュに向け、空気が震えるほどの大声を容赦なくぶつけてくる。


「どいつもこいつも図に乗りやがって! こんなふざけたことは初めてだ! 兵士を多少倒される程度なら我慢しよう、神への弓矢や投石器での攻撃も許そうじゃないか、全てが無意味だからな!

 無限に補充できる寄生体の軍と不死身の神ならばこそ、蛮人どもに傷つけられようと構わなかった! だが貴様らは俺の軍団をことごとく壊滅させ、神とマリエラさえ壊してしまった!!」


 ずるりと一歩進み出るユークに、アッシュが鉄剣を取り落とす。あわてて拾い上げるその頭に、さらに怒声が浴びせられた。


「カスに等しい端役の分際でよくもここまで大それたマネをしてくれたな! 魔王だと!? コフィンの王女だと!? フクロウだの狩人だのマグダエルだの! あまつさえハルバトスだのアルスだの……亡国の負け犬どもだの……!! 貴様は何だ! 魔王の情婦いろかッ!!」


 びくりとアッシュの手が震えた。ひざをついて鉄剣を握る彼女に、アドが何かを叫んでいる。だがその声は、休む間もなく飛ばされる怒号にかき消される。


 ずるりと、また一歩ユークがアッシュに近づいた。


「しかし勘違いするな、全て殺してやる! 何を失おうとどれほど負傷しようと、このユークが敗退することなどありえない! 神も兵団もあくまでこの俺の、主役の添え花だ! 俺さえいれば事足りる! 俺だけで貴様らを討伐とうばつできる!」


「……あ……」


「そこのバケモノをぶった切ってやったのが証拠だ! 俺はまだやれる! 魔王を回帰の剣で滅ぼせば、貴様らの意気は潰れこの戦争の趨勢すうせいは……!」


「あなたは……ここで、死ぬの……」


 ふっと、ユークの表情が消えた。


 アッシュは剣を手に立ち上がりながら、ユークを上目づかいに睨む。やはりひざは笑っていたし、全身が冷や汗にぬれていたが、それでも目だけはまっすぐに、敵に向けられていた。


「私が……私が殺すから……私がこの剣で、あなたを刺すから……だから、あなたは、ここでおしまい……」


「――貴様――!」


「図に乗ってるのはどっちよ!!」


 アッシュの目から、汗とも涙ともつかぬものが筋を引いて流れた。


「よくもアドを! よくもダストを! よくもモルグを!! 私達は端役なんかじゃない! あんたの物語なんか――ここで終わらせてやるッ!!」

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