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百三十九話 『国』

 アドとアッシュは路上に金属の輝きを探しながら、王都の奥へと進んで来ていた。


 スノーバの将軍が持っていた回帰の剣は、順当に考えればスノーバ軍が展開していた草原や、神が倒れこんだ石壁周辺にある可能性が高い。ゆえに剣を探す人々の多くは石壁を中心に行動していたが、アッシュ達はあえて石壁から離れ、王都の中心部に近い場所を探す方を選んだ。


 神や魔王、モルグがこれほどに暴れ回った今、戦場に転がっていた回帰の剣が瓦礫や土と共に吹き飛ばされ、予想もつかない場所に落下している可能性を考えたからだ。


 捜索の手は可能な限り広げた方が良い。同じように考えた人々が、視界にちらほらと影を落としていた。


「でも……これじゃまるで、わらの中から一本の針を探すような……」


「いや、もっと悪いよ。大農場で針を探すようなもんだよ。藁に混じってるかもしれないし、地面に落ちてるかもしれないし、ブタが吞み込んで持って行っちゃったかも。

 下手すりゃ永久に見つからないよ……そこに埋まってるのは?」


 アドがアッシュの足元を指す。瓦礫がれきの間に血にまみれた剣の柄が見えた。触れると固まった血にたっぷり砂利じゃりが取り込まれていて、手の平をちくちくと刺してくる。


 苦労して引き抜くと、それは剣身けんしんに茶色い夾雑物きょうざつぶつ(不純物)がたっぷり混じった、ただの粗悪な鉄の剣だった。ぐっと唇をむアッシュに、アドが背を向けて別の瓦礫の陰を覗き込みながら言う。


「ねえ、もし剣が見つかって、色々上手くいって……魔王が勝って、この国が救われたりしたらさ。私達の扱いって、どうなるんだろ?」


「……え?」


「私と、アッシュちゃんと、ダストの扱い。魔王ラヤケルスと、勇者ヒルノアのこの国での評価は、どうなるのかなって」


 安物の剣を握ったアッシュが、じっとアドを見る。アドは足元に転がっていた篭手こての残骸を蹴っ飛ばしながら、針金のような髪をざらざらと揺らした。


「私達って、はっきり言って悪者のがわだよね。二人の魔王は元々裁かれるべき存在だし、その遺物と関係者だって同じこと。勇者ヒルノアもいまやその遺産で世界をおびやかした大悪党よ。この国の人間達は、戦後に私達をどんな目で見るんだろうね」


「そんなこと……今はどうだって……」


「私やアッシュちゃんが首をチョッキンされないって保証はある?」


 アッシュは、燃えさかる魔王がいる方角を振り返りながら「ねえ、アド」と、知らず知らずにとがった声を出していた。 


「時間がないの。こうしてる間にも魔王は傷つきながら、スノーバの怪物と戦ってる。私達も今できることをしなきゃ」


「剣を見つけたら。魔王が勝ったら。一目散に逃げ出した方がいいかもしれない。この国が混乱してる間に、二人でどこか遠くの国へ……」


「アド!」


 声を荒げるアッシュを、アドが一瞬、凄まじい目で睨んだ。肉を刻んだばかりの刃のような、あぶらのようにぎとついた感情にぬれた目。


 思わず一歩退くアッシュに、アドは顔を背け、瓦礫を蹴散らしながら口を開く。


「あの王女がきっと私達をかばうだろうってことは分かってる。コフィン人の大半がダストのことを良く思ってるってことも。でもね、アッシュ。それでも私達は迫害されることを恐れなきゃいけないんだ。それが『国』ってものの怖さなんだ。

 一人一人の人間が集まってできているのに、個人の考えや感情では制御できない。非人間的なバケモノなのさ。ラヤケルスの遺物と、同じようなね」


「……アド……」


「ラヤケルスの時もそうだった。彼の事情や心情を知ってる多くの人が、彼の助命を乞って声を上げたんだ。でも色んな建前や、制度や、文化や、倫理や、個人の敵意悪意がそれを許さなかった。ラヤケルスを悪役にすることで産まれるメリットも大きすぎた。

 だから結局ラヤケルスは色んな罪を押し付けられ、国が正常に存続するために利用された。当時の王家や国家が腐ってたってだけの問題じゃない。それが国なんだ。残酷で、理不尽で、暴力的。国の本質はそういうものなんだよ」


 「私はあんたを国の犠牲にはしたくない」――アドは倒壊した家屋の窓を蹴破りながら、吐き捨てるように言った。


「魔王ラヤケルスと勇者ヒルノアの伝説が、古代コフィンの毒の雨の罪をひっかぶったように。今度もまた新しい伝説が国の体裁のために作られるかもしれない。

 ラヤケルスもヒルノアも悪役の側に寄せられ、その遺産、遺物を受け継いだダストと神喚び師もまた悪役。忌まわしい古代魔術の引き起こした災厄を、賢明なコフィン王家と英雄達が打ち破った。

 そんな伝説が、歴史が作られたら、私とアッシュも生かしておけない悪党だろ」


「アド。聞いて」


 アッシュが、血まみれの剣の柄を抱きしめるように握りながら、アドを見る。


 残酷な歴史のうず翻弄ほんろうされ続ける死体人形に、アッシュはどこか、祈るような響きを含ませた声で、言った。


「今のコフィンは……ダストが、命がけで守ろうとした国なんだよ……ダストが、きっと……色んな事情もあったけど……きっと、心から愛してた国なんだと思う……」


「……愛してた?」


「……ダストがこの国のことを……文化や、気候や、食べ物や……人々のことを話す時は……いつも、楽しそうだったもん」


 ぎゅっと、アッシュが唇を噛んだ。二人の間を、炎の熱を帯びた風が通り過ぎる。


「私も、好きでいたい――この国のこと――」


「あっしゅ」


 アドの顔が、大きくゆがんだ。その表情は怒っているようでもあり、悲しんでいるようでもある。「何?」と問い返すアッシュの前で……


 アドの白骨でできた腹が、どろりと溶けた。


 がく然とするアッシュに手を伸ばすアドが、液化した骨をぼとぼとと落としながら、ぐらりと体を揺らす。


 溶解するアドの傷口から、真っ白な雪のような刃が、覗いていた。


「走れ…………っ!!」


 がくがくと震えるアドの体が、次の瞬間粘土(ねんど)のように真っ二つに切り裂かれた。


 絶叫するアッシュの目の前でアドの二つに分かれた体が地面を転がり、彼女が立っていた場所に、血まみれの男が進み出る。


 アドが蹴り破った瓦礫の窓から、青白い衣のすそがずるずると這い出て来る。


 真っ白な剣を握った男は、アッシュをまっすぐに睨みながら、人のものとも思えぬ濁った声を出した。


「糞のような国だ」


 悪魔のかおが、真っ白な歯を剥く。


「俺の呪いに、沈むがいい――!」

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