百二十八話 『誘い』
「……なあ、おい……感じるか」
マグダエルの問いに、狩人は答えない。
肉色の地獄の中、人々が死に戦う中、二人は大兜とヘラジカの頭蓋の奥から、崩れた石壁の方ヘ目をやる。
神が、最初に破壊した石壁。魔王がいた場所だ。
「喚んでいる」
マグダエルの背後から、フクロウの騎士が声を上げた。息を乱した彼が、鉄兜の中から歯ぎしりの音を響かせる。
「だが、『彼』ではない。我々をこの戦いに喚んだ男の召集ではない。それだけは、直感的に分かる」
「だれかの意志だとかいう感じじゃねえ。ただ、なんとなく……今すぐあの場所へ行かなきゃいけねえ、そんな気がするんだ。本能に何かが働きかけてる。何かに、急かされてる」
「我々を現世に引き戻した魔力が、あそこへ誘っているんだ。……見ろ」
フクロウの騎士が、右手を篭手を外して掲げて見せる。彼の霊体の指先が、その形が、まるで風にあおられる炎のように、ゆがんで流れていた。石壁の方に、吸い寄せられているようだ。
「抗えないほどの力ではない。だが、確実にあそこで何かが起きようとしていて、そのために我々が必要とされている。このまま目の前の敵と戦い続けるのと、どちらを選ぶ?」
「石壁に駆けつけたら、俺達はどうなるんだ?」
問うマグダエルを、フクロウの騎士と狩人が同時に見た。「いや……」と大兜の中のあごに手をやるマグダエルの背後で、肉色の化け物が家々を呑み込む。
「死人がどうなるも糞もねえか。俺達の寿命はとっくに終わってんだからな」
「まもるべきものは、みのうちにはない」
ヘラジカの頭蓋が、初めて言葉を漏らした。
「このあおじろいからだの、れいたいの、そとにある。だいじなものは、われわれからはなれた、とおくにある。とおくに、のこしてきた」
「けっ」
マグダエルが血の通っていないかりそめの胸をかきむしった。彼らの本来の肉体は、それぞれの場所でとっくに朽ち果てているはずだ。
霊体に生命はない。ただ死者の名残が、面影が、形をなしてくすぶっているだけだ。
そんなものに変わってまで現世に立ち戻った理由を、今更互いに確認する必要もなかった。
狩人の言うとおり、今一度、背に何かを守るために戻ったのだ。破壊されつつある国を、人を、仲間を、魂を燃やして守るために帰って来た。
霊体は惜しむべき命などではない。武器だ。魔王ダストから貰い受けた、戦うための武器だった。
「……槍を投げ上げるのにも飽きてきたところだぜ。効いてるのか効いてないのか分からねえ小粒な『手』は俺のガラじゃねえ。
やっぱりよぉ、どんな相手も立ち上がれなくなるぐらいの、死ぬほど痛え派手な一発をぶちかまさねえと、観客は沸かねえよなあ!」
「魔力の誘いに乗ることが反撃につながるとは限らないぞ。ダストの明確な意志を感じない以上、半ば賭けだ」
「上等じゃねえか! 賭けなら俺が勝たせてやるよ! 賭博ってのは運じゃねえ、痛い目見ても貪欲に勝ちに行く気迫だ! 勝ちが似合う男にしか幸運は転がり込んでこねえんだ!」
武器を捨て、こぶしを叩き合わせるマグダエルに、フクロウの騎士がゆっくりと息を吐いた。
「では、勝ちに行こう」……その言葉を合図に、三人は己の魂を吸い寄せるような魔力の誘いに応え、走り出した。




