こんな夜は、たこ焼きでも食べない……? 後編
伯父の葬儀は、とてもひっそりとしたものだった。
一族から疎遠だったとはいえ、公民館の親族控室にいるのは私と母、そして顔もよく覚えていない喪服の老人達が数名といったところだ。
彼らは長机に並べられた通夜振る舞いを、所在なさげに箸で突いている。
会話がない代わりに、ズズッというお茶を啜る音が時々響く。
それを遠目に見ながら、母はぼそりと言う。
「……こうなりたくなかったら、あんたもいい加減結婚しなさいよ」
喪服を着た母は、記憶の中の母よりも更に深い縦皺を眉間に刻んでいた。
ああ、まただ、と私は母の付けている白い喪章を眺める。
葬儀の規模には少し不釣り合いなくらいに大きくて真っ白なリボンの花が、母の溜息に合わせて微かに揺れていた。
一点の染みもない、綺麗な、純白の花----。
「……伯父さんは事業を失敗して借金を作ったからでしょ? 結婚以前の話だと思うけど」
「違うわよ、まともに結婚してたらまともな仕事に就いてまともな人生送ってたって話よ」
噛み合わない。
いつもそうなのだ。
だから私は、母が苦手なのだ。
「何も難しい事言ってる訳じゃないでしょ? もうあの事は忘れて早く新しい人を見付けてくれないと、孫の顔どころかあんたの花嫁姿も見れないで死んじゃうかもしれないんだから」
私は曖昧な笑みを浮かべて、飲みたくもないお茶を啜る。
母は、どこか芝居じみた感じでハンカチを目元に押し当て始めた。
「もう、やっと安心できると思ったのにねぇ……」
「だから、その話はもういいでしょ」
こうなる事は分かっていたんだから、だから来るのは嫌だったんだ。
そう思いながら、私は立ち上がる振りをして日焼けした畳の目にそっと爪を立てる。
「だって、あの火事さえなければ、今頃は……」
「ゴメン……ちょっとお線香の様子見て来るわ」
まだ言い募る母の声を背に、私は逃げるようにして伯父の棺へと向かったのだった----。
告別式の後、四十九日法要までを纏めてやったお陰で、全部終わった頃には夕方近くになっていた。
逃げるように公民館を後にした私は、部屋に戻って喪服のままベッドに倒れ込んでいた。
「……ご飯、作らなきゃ」
皺だらけになった喪服を舌打ちしながら脱いでいたら、インターホンが鳴った。
綸子だった。
「ご飯これから作るの?」
「これからですね」
そう答えると、何を企んでいるのか、少女は白い歯を見せてニッと笑った。
「じゃあさ、これから駅のとこのスーパー行かない?」
地下鉄の駅からちょっとの所に、その二十四時間営業のスーパーはある。
立地としては小さな商店街の入口といった感じだけど、向かいの居酒屋以外はほとんどシャッターを下ろしている。
歩いているのは私達二人くらいといったところだ。
だけど、綸子はそのスーパーの前を通り過ぎてしまった。
「先にこっち」
「……?」
スーパーの脇に、たこ焼き屋さんがあった。
二階建ての、古びた店構えだ。
「あ、やってるやってる」
綸子は『焼鳥』と書かれた赤提灯の横に立ち、「たこ焼き二つくださーい」と店の奥に向かって叫んでいる。
なんだか、やけに慣れた感じだ。
(……前も来た事あるのかな?)
「いらっしゃいませー」
ひょっこりと奥から出て来たのは、三十代後半くらいの痩せぎすの男性だ。
顎髭を生やしていて目付きがちょっぴり鋭いテキ屋のお兄さん的風貌に、ちょっとビビる。
「ええと、どっちもソース……あっ、マヨありで」
綸子は小銭入れから大事そうにお金を出し、お兄さんに手渡した。
看板には『京風たこ焼き』と書いてある。
(京風……って、何……?)
首を傾げる私の横で、綸子はニコニコしている。
「ここね、色々売ってるんだよ」
「そうみたいね」
赤い提灯の他にも、張り紙や、かき氷の旗が間口の狭い店頭を賑やかに飾っている。
(……なんか、本当に縁日みたい)
「あ、焼ける前にちょっと飲み物買って来るね」
そう言い残して、綸子は一人でさっさとスーパーに行ってしまった。
(あれ、今日の晩ごはんの材料を買うんじゃなかったの……?)
という事は、このたこ焼きが晩ごはんという事なのだろうか?
(いや、別にいいんだけども……)
ふと私は、たこ焼きをひっくり返しているお兄さんの手元の違和感に気付く。
(あれ? たこ焼きの鉄板……ちょっと色が違う……?)
いわゆる鉄板が、まっ黒ではない。
新品の十円玉みたいな色をしている。
(あー、銅板使ってるんだ)
鉄と銅なら熱伝導率が高いのは銅だ。
だから銅板の方が多分早く焼けるし、その分沢山作れる----んだと思う。
(銅板を使うと京風……なのかな……?)
考えてみたけれど、よく分からない。
だけど、鉄板の上でひっくり返されるたこ焼きを見ているうちに、俄然お腹が空いて来た。
漂って来る香ばしさも強くなってきて、そろそろ焼き上がりだと分かる。
「お待たせー」
綸子がお酒の缶らしき物を二つ、掲げながら小走りで戻って来た。
そのタイミングで、
「はい、お待たせしました」
たこ焼きも焼き上がる。
ひょいひょいひょいと、鮮やかな手付きでたこ焼きが六個、白い容器にあっという間に詰められた。
「そこで食べてこ?」
お嬢様は店の横の空地を指差す。
確かに、ビールのケースは積んであるが、人が二人くらいなら並んで立てるスペースがある。
「へ?」
「だってさ、家まで持ってったら冷めちゃうじゃん」
白い蓋付き容器に入れられたたこ焼きは、ビニール袋に入っていても分かるくらいに正真正銘の出来立てアツアツだ。
そして蓋の上には輪ゴムで止めた割り箸。
(確かに、今食べた方が絶対美味しいんだろうけど……)
「でも、ちょっとお行儀悪くない?」
「えー、今日のふーこ、なんか保護者みたい」
最近分かって来た事だけど、これが綸子なりの私へのディスりである。
「雇われてるとはいえ、大人ですからね」
「大人ねぇ……」
なんだかんだで結局、私達は車が一台停められそうな空地(というか駐車場?)に向かって、お店の壁にもたれるようにして並んでいた。
私は悪くないぞ。
お嬢様の強引さに負けただけだ。
「あー、これこれ」
ビールのケースの上に缶を置いてたこ焼きの容器を開けた綸子が、湯気を胸一杯に吸い込む。
街灯の明りがやっと届いてるくらいのぼんやりとした闇で、それでもとても嬉しそうな顔をしているのが見える。
「久し振りにこれが食べたかったんだよね」
ソースとマヨネーズとかつお節と、あと刻み海苔。
ちょっと大きいかなと感じる以外は、見た目は普通のたこ焼きと変わらない。
(うーむ、京風とは……?)
「それじゃ、いただきます」
私もお行儀悪く割り箸を口で割り、一つ目のたこ焼きを摘む。
「わ、柔らかい!」
「でしょでしょ?」
綸子が、まるで自分が焼いたかのように胸を張る。
「こんなに柔らかいたこ焼きって初めて……」
箸先で突いた途端に、ふわっとした感触が伝わって来る。
なるほど、これだと割り箸じゃないと食べにくいかもしれない。
そして割り箸でも上手く挟まないと、地球の重力に持って行かれそうになる。
(焼きたてだから絶対熱いよね……?)
アツアツのたこ焼きを前に、私の咽喉がゴクリと鳴る。
冷まして食べないと熱いのは、もちろん分かってる。
(分かってる……分かってるけど……!)
私は、えいっとばかりにたこ焼きを口にした。
「……あっつ……ッ、でも、美味しい……!」
中までふわふわなのかと思いきや、ぶつ切りのタコと一緒にとろりとした中身が口の中に溢れて来る。
もちろん、ちゃんと火が通っていての、このクリーミー感だ。
(出汁の量が普通のタコ焼きより多いのかな? でも、味はしっかりしてるから水っぽさとかは全然ないや……これが京風って事……?)
はふはふ言いながら色々考えるが、なかなか冷めない。
「美味ひいけど、ふぁッ、熱ひねこれ」
するとすかさず綸子が缶のプルタブを開けてくれる。
なんか、気が利きすぎて怖い。
「はい、ふーここれ好きでしょ?」
確かに私の好きな銘柄のやつだけれども。
「あ、ありがと……」
良く冷えた缶酎ハイで流し込むと、またすぐ次が食べたくなる。
「あ、ちなみに私のはノンアルだかんね」
お嬢様はそう言ってへへっと笑う。
「保護者同伴だから、いいでしょ?」
「……だからその保護者っていうのなんかイヤなんですけど」
目の前の歩道を通り過ぎて行くカップルに聞こえないように、私達はぼそぼそと言い合い、合間にたこ焼きを食べる。
「……じゃあ、ふーこは私の何なの?」
「へ?」
いきなりの質問にびっくりして、私は酎ハイの缶を握り潰してしまいそうになる。
そんな私の顔を、綸子が覗き込んで来た。
「いや、何なのって言われても……それは、最初に契約した通りで……」
「だからってさ、もうちょっと話してくれてもいいんじゃない?」
少し酔いが回り始めた視界の向こうで、少女は目を伏せた。
「ふーこは大人だから我慢してるんだろうけど、でも……なんかあった時はさ、私に話してよ……」
「……べ、別に何もないって……」
私は慌ててたこ焼きを口に入れる。
「……そんな訳ないでしょ? 今日のふーこ、絶対元気ないじゃん」
「お葬式の後に元気な人の方が珍しいと思うけど……」
そう言ったら、キッと睨まれた。
「またそうやって誤魔化すんだから!」
なんだこれ。
たこ焼きを食べてるだけなのに、どうしてこんな展開になってるの----?
「そりゃ、私にできる事なんて何もないけど……でも、ご飯作りたくない日とかあったらさ、代わりに私が作ったり……は、しないけど……」
しないんかい。
私は心の中で突っ込んだ。
「いや、どうしてもって言うなら作れるけどさ……でも絶対マズいよ?」
「う、うん……?」
綸子はたこ焼きを割り箸で慎重に摘み、口に放り込む。
「いや、まぁその……マズくてもその……気持ちが伝わればいいんじゃないの……? その、一般論として」
私のフォローに綸子は首を傾げた。
「うーん、なんていうか……」
たこ焼きを噛みながら、しばらく考え込むような顔をする。
「……なんていうかさ、下手くそだけど頑張って作ったから食べてね、ってよく少女漫画とかで見るけど、あれって私ダメなんだよね」
そう言って、缶を呷っている。
気のせいだろうか、顔が少し赤い----?
「ああいうのって、なんか傲慢じゃん?」
「傲慢……?」
綸子は唇を噛んだ。
「……あれって、この私の気持ちが籠ってるから断られるはずがないって前提があると思うのね」
「あ……うん……そう言われてみれば、まぁ……そういう見方もできるけど……」
私は最後のたこ焼きを口に放り込む。
なんか、今日はやけに酔いが回るような気がする。
「確かに……好きな人に手編みのマフラーとかもクラスの可愛い子しかやってなかったわそういえば」
「うん、とてもじゃないけど、私にはできないかな……こんなの要らない、って思われるって考えただけで無理」
グイと缶を呷って、綸子もたこ焼きを口に入れる。
「だから、そんな事するくらいなら、自分が作ったんじゃないけど美味しい物を食べさせた方がいいと思うの」
「……なるほど?」
話の着地点が見えなくて、今度は私が首を傾げた。
「……つまりね、つまり、そう、……私はぁ……ふーこに、私が大好きな美味しいものを……食べて、そして、元気になって欲しいなって……」
そう言いながら、すごく自然に----綸子は私の唇の端をペロッと舐めた。
「へへ……っ、マヨネーズもーらい」
「ちょ……ッ、綸子ちゃん……!?」
やっと気が付いて、私は少女の手からノンアルの缶を奪い取る。
「あッ! これノンアルじゃないじゃん!? ってか度数高っ!?」
「あー、バレちゃったぁ……」
真っ赤な顔で照れたような笑いをしながら、少女は上体を大きくゆらりと揺らす。
完全に、酩酊してる。
「ああああッ、もう! だからダメって言ってるんですよ! 弱いのに! 飲むから!」
「だって……えへッ、飲みたい気分だったんだもん……」
ブチ切れながら私は缶の中身を呑み干し、少女を背負う。
高くなっている体温が、背中に伝わって来る。
「やったぁ、ふーこにおんぶしてもらってるぅ……! 大人ってやっぱりしゅごいねぇ……!」
「今回だけですよ! 結構重いし! っていうか次外で飲んだら置いて帰ります!」
そう言ったけれど、答えは返って来ない。
(マンションまで行けるかな? でもタクシー拾うにしても通りに出ないといけないし……)
やがて、すうすうという寝息が聞こえて来て----私は観念して明りのある方へと歩き出したのだった。




