14:決断・後
激しく身体に伝わってくる衝撃。
それが何かを理解するよりも先に、頭の上から声が掛けられて、そこでようやく目を開くことが出来た。
「お目覚めですか」
地を駆けながら語りかけてくる彼――ガルニアは、僕の顔をちらりと見ると、少しだけその表情を緩ませたように見えた。
その反応と、聞き覚えのある敬語。それにその見た目から、やはり彼は僕の知っている人間だと確信した。
「私を覚えておりますか?」
「……はい」
少し返答に迷い、けれど嘘をつく意味もないので正直に答えておく。
真面目な彼のことだ。人違いじゃないか、ととぼけたところで、すぐに見破られるのがオチだろう。
「貴方は、今でもあの家に?」
「いいえ、今はもう国仕えの身です……失礼しますよ」
不意に口元に手をかけられて、口が閉じられる。
直後に一際強い衝撃が身体にかかるものの、痛みまで感じることはなかった。ガルニアが僕を抱えたまま跳躍し、太い木の枝に飛び乗ったのだ。
「追手は……ないか。さて」
厳しい目付きで辺りを見渡した彼は、幾分それよりか柔らかな、しかし真剣な目付きで僕を見据えてくる。
それに少し身をすくませた僕だったが、負けじとその目を見返した。
「教えてもらいたい。一年前に、一体何があったのですか? アルマイア家の人間は皆、貴方の名前すら口にしようとしない。まるで、元からいなかったかのような扱いになってしまっている」
「……知らないんですか?」
「私が貴方を最後に見たのは、貴方が祝福を受ける少し前。丁度その頃に王国から通達があり、しばらく留守にせざるを得なかった訳ですが……。私が戻った時には既に、貴方はそこにいなかった」
なるほど。
僕が捨てられた理由を知って尚その質問をしてきていたのなら、指でも咬み切ってやろうかとも思っていたが……。
ガルニアは確か、あの家のお付きの騎士隊長だったか何かをやっていたはずだ。家に居た頃は接点が少なく、また今のようにステータスを閲覧出来る訳でもなかったので、彼に深い印象を抱くことがなかったわけだが。
「知ってどうするつもりですか」
平坦な声で、僕は聞く。
出来ればあまり人に教えたくない内容であるし、思い出したくもないことだ。
それに、今更それを知ったところでどうしようと言うのか。
少し、自分の心が冷えていくのを感じた僕は、そのまま彼の顔を見詰め続ける。
それに対して、彼は。
「……出来ることなら、連れ戻したいと考えています。今なら、まだ間に合うはず」
――――。
「ハハッ」
「?」
ある意味予想出来ていた通りの答えに、乾いた笑いが抑えきれなかった。
ガルニアは悪くない。彼は本気で言っている。一年経った今でも、まだ僕の居場所がそちらにあると思っている。思ってくれている。
――しかし、そんなことは有り得ない。
「ガルニア。妹は元気ですか?」
「? リシュメリア様なら、健やかに育っておられますが」
「なら、良いです。リシュを可愛がってやって下さい。僕はそれで充分です」
「何を、馬鹿な! レイア様、貴方は――!」
「ガルニア」
僕の声が、彼の身体を縛り付ける。威圧的とも取れる僕の言葉は、強制的にガルニアの言葉を断ち切った。
そして、膨れ上がったステータスで、力任せに彼の懐から飛び出して。
「レイアの名前は捨てました。――僕は、あの家には戻りません」
唖然としたガルニアの顔は、長く見ることなく景色の彼方に消え去った。
落下していた僕の身体は、地面に当たる直前で何かに救われ、今は猛スピードで移動している最中だ。
「助かったよ、クリス」
「あぁもう! 心配したんだからね! 無事で本当に良かった……!」
走りながら顔を擦り寄せてくるクリス。それに擦り返しながら、僕は思う。
元より、僕は一度死んだ身だ。無かったはずのこの命。何に使うのかを考えたなら、救ってくれた、このヒトの為に使うのが一番正しい。
人間を殺す覚悟はまだ無いが、命を賭ける覚悟なら、今出来た。
このちっぽけな命が、少しでも彼女の為に使えたならば、僕はきっと満足だ。
――勿論、死ぬつもりなんて欠片も無いけれど。
「……レイア様」
残されたガルニアは、暫く呆然としたままその場から動けなかった。
かつての主人、その長男であり、神童と呼ばれて将来を期待されていた子供。
ガルニア自身は、当初さほど接する機会は無かったが、周りから聞こえてくる評判は良いものばかり。
まだ年端もいかぬ子供だというのに、読み書きどころか簡単な計算までこなしてみせる。残念ながら魔法や剣術等の方は芳しくなかったみたいだが、それを補って余りある理解力、思考の柔軟性。
悪い噂なんて探そうとしても見付からず、探せば探すだけ、元ある良さが際立ってくる始末。ガルニアもまた、その口でレイア――リオに、人知れず惚れ込んでいった人間だった。
ガルニア自身、才能に溢れた人間だ。授かった祝福の通り、今は王国に数える程にしかいない聖騎士の一人に名を連ねるまでになった。
しかし、彼は思う。果たして私は彼と同じ頃合いに、あそこまで立派に振る舞えていただろうかと。
まだ二十代の後半に差し掛かったばかりのガルニアだったが、そう考えると彼の将来がたまらなく楽しみになって仕方がなかった。
そんな矢先に、ふと彼は姿を消した。
まるで最初からいなかったかのように、彼の存在そのものが消し去られてしまっていたのだ。
家の誰に聞いても、返ってくる答えは変わらない。そんな人間は家にはいない、と。可愛がっていた両親でさえ、淡々とガルニアに答えるばかり。
王国の騎士として引き抜かれた今でも、そのことが不可解でならなかった。それでも今回何の悪戯か、リオと再会することが出来たのだが――。
「……わからない。なぜ、レイア様は捨てられたのだ」
言って、彼は空を仰ぐ。
一年の月日が経ってなお、彼はガルニアの知る彼のままだ。少し痩せたようにも思えたが、その整った容姿は変わっていない。
落ち着いた口調も、丁寧な言葉遣いも。一年前と何ら変わっていない。
――わからない。一年前のあの時に、レイア様の身に、立場に。一体何が起こったというのだ。
「ガルニアー」
「……ターニャか。作戦はどうした」
不意に聴こえてきた、間延びした幼い声。ガルニアは思考を即座に切り替えて、声の主に視線を落とした。
そこにいた少女――ターニャは、木の上にいるガルニアを見上げながら、あくまでもマイペースのままにとあることを告げる。
「少し魔力補給に戻ったんですけどねー。その時に隊長から撤退命令が降りちゃいましてー」
「撤退命令? いや、それより……作戦開始からまだ少ししか経っていないだろう。魔力補給が必要になるほど消耗したというのか、お前が」
「しぶとい害悪がいましてー」
下から語りかけてくる声に、ガルニアは木から飛び降りて少女の横に着地する。
肩に付いていた草を払いながら立ち上がったガルニアは、少女の言葉に顎を当てて考え込んだ。
ターニャは、こう見えて王国屈指の魔術師である。使える魔術こそひとつの属性に限られるが、それを補って余りある魔力量を誇る存在だ。
その魔力は常人とは比べ物にならず、一般的な魔術師の数倍以上にも昇る。
そんな彼女が、一時間にも満たない間に補給を必要とした。そこまで考えて、ガルニアは撤退命令の意味を理解した。
「一応聞くが、相手は一人だったんだな?」
「はい。一匹ですねー」
わざわざ匹と数え直したターニャに、一瞬顔を引きつかせつつもガルニアは頷いた。
そして、彼女の横を通り抜けて歩き出す。
それを小走りに追い掛けたターニャは、少しだけ不満げにその頬を膨らませてから口を開いた。
「撤退、ですかー?」
「お前がそれだけ手間取る手練れが、少なくとも二人以上存在する。私達二人だけでは手に負えん」
「二匹?」
「私の方にも、相当な手練れの狐の獣人がいた。お前と近いタイプだろうが……正面からぶつかったとして、無傷ではすまんだろうな」
スキルで誤魔化しつつ、逃げることを優先したからこそ無傷で切り抜けはしたが、そうでなければ相応の傷は負っていただろう、とガルニアは思う。
そして、ターニャを短期間で消耗させたもう一人の手練れのことを考えれば、ここで足掻いたところで得られるものは何も無い。ならば、余裕のあるうちに命令に従っておくのが正解だ。
その考えの通りに、彼は足早に森を歩いていく。
「狐の獣人の方は、リストに載っていたアルマ・アルグルマだろう。ターニャの方は……」
「多分、メルニャ・クルーニーとかいう奴ですねー。リストよりも遥かに厄介だと感じましたがー」
「私もだ。並の兵じゃ話にすらならん。正直、国も何故もっと戦力を投入しないのか」
此方から仕掛けない限りは、何もしてくることはないらしいからまだ良いものの、とガルニアは考える。
「まぁ、全くの無意味と言うわけでもない。少なくとも、個人の力は私達と同格、もしくはそれ以上じゃないと対抗すら出来ないことがわかったしな」
「非常に不愉快ですが、同感ですー」
今回の作戦は獣人側の戦力を、より細かく把握する為のものだとガルニアは理解している。だからこそ無意にこちらか仕掛けるようなことはせずに、一部の兵士を足止めに使い、ガルニアとターニャが里の内部に潜入。偵察を行う手筈だった。
結局はベアクルの結界式の変更による迅速な索敵と、アルマとメルニャという二人の獣人に阻まれてそれも上手くいかなったものの、収穫が無かったわけではない。 現在、王国が驚異としている戦力は、クリスを筆頭にアルマとメルニャの三名が挙げられる。しかし、過去に五百名もの兵を軽く返り討ちにされていることから、その三名がどれだけの力を持ち合わせているのかが不透明だった。
しかし、今回ガルニアとターニャは予定外とはいえその内の二名と相対することが出来た。ターニャに関しては交戦までしている。
向こうがどれだけ力を温存しているのかはわからないが、少なくとも戦闘スタイルが掴めただけでも、ガルニア達王国サイドにとっては収穫だ。
今は、その情報だけでも持って帰るのが優先。上から命令が出ているなら、尚更な話だった。
――実のところ、この撤退判断は実に正しく。
一番の怪物であるクリスが前線に出てきている上、リオが拐われたという事実が彼女から遠慮というものを無くさせていたあの状況。
仮に、今彼女の前に立ちはだかるものがあれば問答無用で叩き潰していただろうことを考えると、万全の装備を整えたガルニアとターニャであっても手に余ることは確実だったからだ。
気が立っているクリスと相対することが無かったことが、彼等にとっての一番の幸運だったのかもしれない。
「急ぐぞ。背中を切られてはたまらん」
「返り討ちにしてやりますがねー」
言いながらも、どこか後ろ髪を引かれる思いで振り返ったガルニア。
しかしすぐに前を向くと、既に先を行っていたターニャの背中を追い掛けるのだった。




