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9:それでも、僕は。

 僕を抱えたまま、アルマさんは軽い身のこなしで木から地上へと飛び降りた。


「立てるか」

「……大丈夫、です」


 降ろされて、自分でもわかる程度には硬い動きで、周りを見渡した。

 辺りには、緑の深い香りに混じり、濃い血の匂いが漂っている。

 人の死体が当然のように転がっている風景は、どこか現実味が無いように思えた。先ほどよりも近い距離で直視していると言うのに、吐き気が込み上げてくることは無い。

 散らばる内臓。飛んだ目玉。頭を落としたまま座り込む身体。

 頭が、考えるのを拒否している。理解してはいけないと、じくじく痛むように訴えかけてきているようだ。

 それでも身体は、嫌がおうでも反応してしまう。後ずさって、なにかに躓いて尻餅をついてしまう。


「うっ」


 躓いたのは、頭が爆発したかのように飛び散っていた兵士の身体だ。

 地に突いた手に刺さる、にちゃりとした感触の中にあった何か。見ては駄目だと本能が叫ぶ。しかし、顔は自然とその手のある方に向いてしまう。

 そこにあったのは、血に混じるピンク色の何かと、折れて弾け飛んだであろう人の歯だ。


「――――っ!!」


 叫びそうになった。

 前世でも、こんなえぐい死体何て見る機会は無かった。それでも発狂せずに済んだのは、その前世の経験があるからだろう。もし、僕がただの六歳の子供であったのなら、この心はガラスのように砕けていたかもしれない。


「…………」


 この惨状を作り出した張本人である彼女は、僕に背を向けた状態のまま動かない。

 その横に転がった人の頭からは兜が外れており、生きていれば精悍な顔立ちだったであろう人物が、憎々しげな表情のままで固まっていた。


「……はっ。派手にやったじゃねえか」


 袖に手を突っ込んだままのアルマさんが、それでも普段通りの口調でそう言った。

 その身体の回りには、青白い炎が、二個、三個と。増えていく狐火は、数と共にその大きさも増していく。

 そして、僕の目からはアルマさんの身体が全く見えなくなる程になった瞬間、その『狐火』は爆発したかのように、辺り一面に燃え広がった。

 その火力は凄まじく。

 転がる肉塊だけを、それだけをその場から消し去るように燃え盛った。

 僕が躓いた死体も、炎に侵食されるかの如く消えていく。手にこびりついた血液さえも、青い炎は残さない。

 鈍い頭で、あぁ、今までもこうしてきたんだろうな、なんて。

 何処か他人事のように考える僕がいた。


 ものの数分で、辺りに転がるのは鎧と骨だけになっていた。

 むせかえるような血の香りも消えていて、森が少しずつ元の状態に戻っていくのを感じる。

 鳥のさえずりや虫の音が耳に届き、次いでナイトとサピィの姿が目に入った。それだけで、ひと心地がついた気がして、僕はその場で立ち上がる。


「……クリス」


 そして、依然として動かないままの彼女へと声をかける。

 彼女は、暫く反応を示さなかった。しかし、その手にもった細身の剣を、すぐ近くに転がる鎧の傍に突き刺すと、


「…………」


 血にまみれたその身体を、ゆっくりと僕に向けてくれていた。

 俯いたその顔は、長い髪に隠れて表情を伺えない。

 いつもは何かあるごとに反応を示す耳も、今は飾りのように微動だにせず。赤く染まった尾も力なく垂れるのみだ。

 僕は、そんな彼女に歩み寄る。



 ――何を言えばいいのかなんて、正直言ってわからない。



 人が目の前で死んでいく光景を目の当たりにして、なおかつそれをやったのがクリスであることに、正直頭は混乱したまま動いていないのだから。

 それでも、この身体は彼女に向かって歩いていく。


 そうして、手が触れられる距離まで近付いた僕は、彼女の顔を見るよりも先に――


「……ぇ」


 頭上で、小さく困惑したような声が聴こえてきた。

 僕は、それを聴いて、更にその腕に力を込める。腰の辺りに回した両腕で、強くその身体に抱き付いたのだ。

 普段の彼女の香りはしない。どこまでも血の香りだけが鼻に付き、僕の頭に鈍痛を響かせる。

 けれど、離さない。今にも消えてしまいそうな彼女をこの場に繋ぎ止めるように。ともすれば、僕よりも不安定で揺らいでいそうな彼女を捕まえておくために。


「リ、オ」

「…………」

「まだ、私を……? あんな私を見ても、まだ……?」


 答えない。答えられない。何を言えばいいのか、わからない。

 けれど、今こうしていることだけは、間違いなく僕の意思だ。そこに裏も表もない。

 それを少しでも伝える為に、全力で彼女に抱き付き続ける。


「リオ……リオ……! ごめんなさい、ごめんねぇ……」


 それを聞いて一度腕を離すと、座り込んだクリスが、泣きそうな顔で僕を抱き寄せた。

 その手は、今までと同じように僕の頭を撫で下ろす。僕もまた、血に汚れるのを構わずに、その身体に擦り付いた。






「なんてことだ……」

「気持ちはわかるが、正直時間の問題だったと思うがな。てめぇら嘘つけねぇし」

「そういう問題じゃない!」

「そういう問題だったんだよ。こいつ無駄に賢いから、遅かれ早かれ気付いてたとおもうぜ? てめぇらの知らないところで感付かれて、勝手なことされるよりかは良かったと思うがね」

「ぐ……」


 珍しく激昂したメルニャさんを、アルマさんが冷めた視線で正面から論破する。

 森から帰ってきた僕らは、アルマさんの当事者を交えて話をした方がいい、との言葉により、メルニャさんの家に訪れていた。

 クリスは一度家に帰り、色々と汚れを落としてから来るようだ。


「にしても、段々露骨になってきやがったな。今回に関しては、隠れたりしねぇで堂々と乗り込んできやがった」

「……数は?」

「百と少し、ってとこだな。全員ただの武装兵で、見た感じじゃただの様子見だったんだろ。勿論、あれで押し切れるようだったら、連中はあのまま進行、後詰めが来て里を制圧。俺達は皆殺しだ」

「不吉なことを言うもんじゃない。その後詰めとやらは大丈夫なのか?」

「逆に皆殺しにされて、連絡が途絶えただろうからな。連中が馬鹿なら分からねぇが、恐らくは暫く何もしないで様子見が続くんじゃねぇか?」

「そうか。……まぁ、何かあればベアクルが感付くだろうから、取り敢えずは大丈夫か……」

「あぁ? あの雌熊、そんな結界式使えたか?」

「どうやら、迷いの術式が突破されているみたいだからな。思い切って索敵の術式に変えたらしい」

「……そんな気軽に変えれるようなもんじゃねぇだろ、それ」


 呆れ返ったようなアルマさんに、ようやくメルニャさんも表情を崩してクスリと笑う。

 最近よく思うのだが、アルマさんのこの一貫した態度って、こういう局面じゃ非常に貴重なものなのかもしれない。

 というか、今ベアクルさんの名前が出てきたけれど……。ステータスを見たことが無いから分からなかったが、どうやら彼女も普通ならざる力を持っているようだ。


「すまない、リオ。隠して事をしていたのには理由があるんだ。……落ち着いたかい?」

「はい。もう大分」


 こちらをみやり、申し訳なさそうに頭を下げるメルニャさん。

 色々と厳しかった精神状態も、彼の淹れてくれたハーブティーのおかげでかなり落ち着きを取り戻した。

 今はもう頭も回るし、里の置かれた状況を受け入れるだけの余裕もある。

 ……それでも、あの散々たる光景は、暫く夢に出そうではあるが。リアルスプラッターの悪夢……少し、憂鬱だ。

 そんなことを考えている内に、扉が開く音がする。

 普段着に戻ったクリスが、どう見ても元気とは言えない――有り体に言えば、浮かない顔で。


「クリス」


 それでも、ベッドにいた僕の隣に、躊躇いながらも座ってくれた。

 それを見て、少しだけ安心する僕。


「さて。この際だから洗いざらい喋っちまおうぜ、お二人さんよ?」



 どこまでも変わらなく、アルマさんがそう言った。

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