ユーディシアの伝道師・ルートA(2)
夢。夢を見ている。
随分と懐かしく、遠い夢だ。
この世界に生まれおちてからは完全に隔たってしまった世界。
そこにいた時代の末期に見た景色の夢だ――。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
遠藤始という日本人青年の生涯は、その時まで酷く平凡で平和なものだった。
普通に生まれ、学校に通い、会社に勤める。
勿論、その過程で平凡な人間なりの苦しみや悩みにも行き当たったが、それはここで書くべき事ではない。
晩婚化が叫ばれる昨今では、結婚を急がねばならない時期にはまだ微妙に遠い年頃。
これといって深い付き合いの恋人もおらず、家庭に幾分か金を入れていればある程度は趣味に走ることも許容されている。
慎ましいが穏やかで幸福な日常が、もう数年は続くかと思われたある日のこと。
……彼は死の淵に瀕していた。
原因は全身に負った刺し傷。
遠藤が偶然立ち寄った立ち寄ったコンビニエンスストアが、強盗に襲われた。
店員が素早く警報装置を動かしたため、犯人は取るものも取らず逃げ出そうとし、そこでうっかりとぶつかった遠藤を刺したのである。
犯罪を行っているという後ろめたさ、その失敗による混乱、警察に捕まる恐怖、そして逃走の邪魔になる障害への怒り。
そんな感情が綯い交ぜになって爆発した挙句、犯人は遠藤を不必要に何度も何度もナイフで突き刺した。
挙句が、この様である。
重要な臓器を破壊され、血も失い過ぎた遠藤の身体は、急速に冷たい死に包まれていった。
胡乱な意識で、自分が救急車に乗せられて病院に運ばれているのを、何となく察する。身体の周りを救急隊員が取り囲み、懸命の処置を行っているのも感じた。
だが、同時にその行為は無駄になるとも直感している。
自分は、死ぬ。
遠藤はそう思った。
朧ながらも意識があるのが奇跡の様な態である。この上、生還という幸運にまで恵まれるとは思えない。
まったく、意味の無い奇跡だなと乾いた唇を歪めようとするが、それも上手く行かない。
力が入らず、身体を僅かに動かすこともままならない。
(やっぱり、神様なんていないな。即死させないで、意識があるままじわじわ死ぬのを感じさせるだけの奇跡なんて、何の意味があるんだよ)
傷の開いた胸の内で、そう呟く。
特に神に深く帰依した覚えは無く、強いて言えば受験合格や交通安全を祈った程度の男が、言えた言葉ではなかった。
(そう言えば、受験の神様って祭られる前は目茶目茶祟る神様だったんだっけ? だったら、せめて俺を刺したヤツを呪い殺すくらいの奇跡は起こしてくれよな……)
かつては怨霊であったという学問の神にまで、愚痴の矛先を向ける。
もしそれが聞き届けられたとしても、遠藤の方が先に不遜のかどで祟られたに違いない。
≪ふむ。そんなものが貴様の最後の望みかね?≫
(……え?)
不意に耳朶を撃った声音に、止まりかけた心臓が僅かに脈打った。
遠藤の独白は全て心の中でのみ語っていたことだ。
甲斐甲斐しく死に体の遠藤を見る救命士には聞こえないはずである。
では、誰がこの独白に応えたのだ? どのようにして、その言葉を聞いたのだ?
疑問に駆られる遠藤の前に、ふわりと何かが降り立った。
(……っ)
それはこの世のものとは思えない人物だった。
髪をしなやかに長く伸ばし、空間に金の粒子を巻く様なブロンドの男。
顔だちはルネサンス期を代表する彫刻家が入魂の気迫で掘り上げた彫像の様に整い、穏やかさと威厳とを矛盾せずに湛えていた。
身に纏うのは古代の地中海世界で用いられていたようなトーガ。それもさやさやと音を立てんばかりの艶やかな布を用いている。
そして、なによりその相貌。現れた男の両目は、およそ自然界で有り得べからざる黄金。
こんな男が、現代日本に――それも死に瀕した患者を運ぶ救急車の中にいるはずがない。
(な、なんだこれ? げんか――)
≪幻覚ではないよ。妄想の類でもない≫
男は薄い笑みを浮かべつつ遠藤の答えを否定する。
では、何だ。と重ねて問おうとする機先を制して、正解が齎された。
≪私は、神だ≫
(……はあっ?)
突拍子も無い、だがある意味で最も状況にそぐう答えだった。
人間の死に際に現れ、言葉に出していない胸中の考えを酌んで語る。なるほど、神か悪魔の所業である。
これが遠藤の死に際に見ている幻覚でなければ、だが。
≪その名も『偉大なる黄金の創造神』ブレイティスと言う。もっとも、私の存在は貴様が知るどの神話体系にも残されていないだろうがね。
我が信徒たちが滅ぼされて、人間の時間で言うとどれ程経ったものだろうか……最早、私の痕跡は世界中のどこにもない。
今ここで死にかけている貴様と同じく――消滅の危機に瀕している神さ≫
(ふーん……で、その無くなりかけの神様とやらが、死にかけの日本人に何の用なんだ?
こちとら、地元日本の八百万の神様すらほとんど信じてないんだぜ。そんなヤツの死に目に、何しに来たわけ?)
≪む。神を目前にして不遜な物言いであるな……まあいい。特にさし許して遣わす≫
そう言うと、自称・神は尊大な口調で話し出した。
≪科学万能の考えがまかり通る今の時代、ほとんどの神は信仰の力を失い消滅しかけている。
貴様の様な無神論を恥ずかしげなく口にする者、一神教に帰依する故に他の神を認めず貶める者、そんな人間が蔓延するが故だ。
いまや残された神は絶えることなく伝統ある信仰を受けた一握りの者のみ。
私の様に信徒を失った神や、新たに発生するも世界に定着できなかった神は、消滅と言う運命から逃れえん≫
世知辛い話である。
会社で言えば後継ぎの耐えた中小企業や屋台骨の脆いベンチャー企業が潰れ、体力のある大企業のみが繁栄している、と考えれば分かりやすいか。
≪……神々を見舞った難事を、俗な物事に置き換えるでない≫
たちまち遠藤の思考を呼んでジロリと一睨みをくれるブレイティス。
(し、仕方ないだろ! そうした方が分かりやすいんだから!)
≪……そうか。すまぬな、矮小な人間の前に触れ合うのは久方ぶり故、貴様らの理解力に限界というものがあることを失念していたぞ≫
全然謝罪になっていなかった。
だが、機嫌を直しただけマシかと遠藤は思い直す。
ブレイティス、と名乗った神は話を続けた。
≪どこまで話したのだったか……ああ、そうそう。この世界は神が定着するのに向かなくなったという話だったな。
それで、だ。多くの神格がこの世から消え、我が身も既にそれに倣うのは時間の問題であった。
だが、私にはそれに抗う術が存在する≫
ここで取っておきの悪戯を仕掛ける子供の様にニヤリと笑い、
≪幸いにも私は創造を司る神。残った神力と幾許かの信仰を得れば、この世とは別の異世界への門を『創る』ことが出来るのだ≫
(異世界への、門?)
≪左様。この世で信徒を得ることが敵わなければ、別の世へ行けばいいだけのこと。
科学への礼賛が神を逐う程浸透せず、競合する教団がこの世界の宗教ほど確立されていない世界。
そこであれば私の信徒を再び増やし、ゆくゆくはかつてを上回る規模の信仰を得ることも不可能ではない≫
途方も無いことだった。非現実的過ぎて、巡る血の少なくなった半死人の頭では理解が追いつかない。
≪そして貴様には、この世界での最後の信徒となって貰い、門を『創る』ための最後の後押しをしてもらいたい。
報酬として、その門の向こう側には貴様の魂も連れて行こう。そして彼の地にて再び肉体を得ることが出来れば、貴様も死を免れよう。
私が貴様に望むのは、いわば相互の存続を目的とした取り引きだ≫
(死を、免れる……?)
その言葉に、冷たくなりかけた身体にカーッと熱が入った。
死ななくて済む。こんなところで、因縁も何も無い者に殺されて、偶然に死ぬ運命から逃れられる。
それは遠藤にとって無上の福音だった。
彼は平凡な男である。だが、平凡なりに安上がりに得られる幸福を愛していた。
噛みしめた飯の美味さ。酒の齎す心地よい酩酊。いい年をしながらも誰憚らず漫画やゲームに熱中する至福。
神は異世界に渡らなければならないといった。そこでは遠藤が好む――愛していたと言ってもいい対象はほとんどなくなるだろう。
だが、それでも、それらに愛を注ぐ主体である遠藤始自身が消えるよりはマシだった。
≪このような生臭な餌をチラつかせての取り引きは本意ではないのだがな。しかし、まあ現世利益――この場合は来世利益か?
そうした題目は布教の常套手段ではある。……以前はこのような手間を惜しんだ故に、教団を大きく出来なんだかなあ。
それで、貴様はどうする? このまま死ぬか。それとも私と共に行くか。二つに一つである≫
(その返事の前に、聞きたいことが幾つかある)
≪質問を許そう。とはいえ、お前が完全に死ぬ前には返答を出さねば手遅れだが≫
……どうやらこの会話の間にも、遠藤の肉体は死に向かっているらしい。
とはいえ、ろくすっぽ確認も無しに取り引きに応じて、後で後悔するのも癪であった。
遠藤はひたひたと迫る末期の時から逃れるように問いかけた。
(まず初めに、何で俺を選んだ? 自慢にならないけど、俺って普通も普通の一般人だぜ? 神様に選ばれる様な特別な資質とか、そういうのは持ってないはずだ。
オマケにそんなに信心深くないし……ハッキリ言って、今も心のどこかでアンタのことも幻覚じゃないかと疑っている。
もうちょっと、神様とか異世界とか信じそうなヤツに話を通した方がいいんじゃないか?)
≪仮にも自身の命脈を握る相手に、大胆なことを言う。まあ、いい。そうした疑問を持てる程度の知恵は、私の好むところだ≫
苦笑しつつ、口を開くブレイティス。
≪第一に、初めから取り引きの相手は無神論者を選ぶつもりであった。特定の神に帰依している者を改宗させるのは骨であるからな。
故に初めから、無宗教を標榜する人間の多いこの地で相手を探すことにしたのだ。
不思議なものでな。この日本という国の民は、神秘を遠ざけながらもどこかで突き放し切れておらぬのだ。
日々の運不運で自らの行いを省みたり、切羽詰まると行ったことも無い神社のお守りを買いに走ったりな。
苦しい時の神頼み、と言ったか? 頼られる方からすると苦々しい言葉だが、至言である。
現に貴様も、死から逃れたい一心で半分私を信じているだろう? もう半分は疑っていると言いながら、な。
後はこの国で二進も三進も行かなくなっている者に、順繰りに声を掛けていけば、取り引きに応じそうな輩を見つける可能性は高い≫
(成程、よく考えたものだよ。……お前、本当は神じゃなくて悪魔なんじゃないか?)
≪ふん。悪魔という存在には一神教に弾圧され、悪に祭り上げられた元神が多い。であれば、両者の際はほとんど無いさ。
……次に、貴様の資質や才能に対しては、特に問う所ではない。力無き者こそが神に縋るのだ。であれば、信徒に才あるか否かを分ける篩を用意する謂れがあるか?
いや、無い。私が必要とするのは、我が力を望む切なる祈り。そう言う意味では、むしろ凡夫である方が都合が良い≫
(凡夫って、おい)
あんまりにもな言い草に遠藤が声を荒げるが、ブレイティスは涼しい顔のままである。
≪三つめ、これが最たる理由でもあるが≫
(な、何だよ? まさか程良く馬鹿そうだから上手く乗せやすいとか言うんじゃないだろうな?)
≪そう己を卑下するでない。きちんとした理由がある。それは――≫
(それは?)
≪――勘だ≫
……。
(な、なんだそりゃ!? ふざけてるのか!?)
≪至極、真剣な理由であるぞ? 信徒に加える対象を選ぶに、私がいちいちその人間の人格や資質、経歴を調べると思うか?
そんなものは手間でもあるし、第一転移を控えているのに神力の無駄遣いは避けたい。
であるのならば、己と波長の合いそうなものを勘で見繕うしかあるまい≫
(自分の存続が掛かった取り引き相手を選ぶのに、そんな適当で良いのかよ!?)
身体が動くのであれば、頭を抱えたい気持ちになる遠藤。
それを前に、鼻で笑う神。
≪人間のよくする出鱈目と同列に扱ってもらっては困るな。勘とはいえ神の直感であるぞ。
おそらく貴様の魂の資質は我が加護と相性が良い。であればこそ、死に掛けた貴様の気配を察知して現れることが出来たのだからな。
……貴様を選んだ理由はそんなところか。他に聞きたいことは無いか? あれば手短に言うことを勧めるが≫
(分かったよ。じゃあ、最後に一つだけ)
少しずつ、視界が暗くなってきている。
残された時間は少ないのだろう。
遠藤は直截に聞いた。
(取り引きに応じなかったら、俺はどうなる?)
神もまた、簡潔に答える。
≪消滅する≫
薄笑みを消して、真っ直ぐとそう断定した。
≪この国で一般的な宗教――仏道に帰依する者ならば、死後は生前に積んだ行いに応じて六道を輪廻転生する。
十字架を奉じるかの一神教の場合は、審判の日まで霊魂は保存され、その後やはり生前の所業によって裁かれる。
神道とやらではどうだったかな? ……いずれにせよ、どの神にも帰依せぬままでは、お前は死後の世界にも行けぬよ。
なにせ死神すら信じておらぬのでは、冥府の道行きを先導する者がおるまい?≫
取り引きを拒めば、死後は消滅。
であるならば是非も無い。
この神とやらが遠藤を乗せるために脅している可能性もあったが、その真偽を確かめる方法は実際に死んでみるしかない。
そうである以上、生かすと言う取り引きに賭けるしかなかった。
(分かった、取り引きに応じよう。……信じるぜ、神様。心の底からよ。何せ俺は、まだ俺であることを続けたい。
そこが異世界だろうと、どこだろうとな。こんな馬鹿みたいな偶然で、俺を失って堪るか!)
≪良い答えだ。自己の存続を望む思い。それが私と貴様を繋ぐ、何よりの共通項である。
なればこそ貴様が貢ぐ信仰は、私へ捧げるに相応しき純なるものとなるだろう≫
寿ぎの言葉と共に、神は新たな信徒へ頬笑みを向けた。
……それが全ての始まり。
遠い遠い彼岸の世界に、創造と破壊の嵐を齎す神と信徒の、契約の瞬間――。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……んさま。ご主人様」
「ん……」
優しく肩を揺すられる感触で、ラルゴ・グリチナは目を覚ました。
寝惚けた胡乱な目付きのまま寝台の上で軽く伸びをする。
肩や腰から関節の鳴る音が響いた。
「くぁあ~っ……おはよう、ドゥーベ。くそ、どうにも寝ざめの気分が良くない。寝過ごしたかな、こりゃ」
「おはようございます、ご主人様。私見ですが、ご主人様の睡眠時間は適正であったと判断します。
おそらくは疲労が回復を上回っているため、倦怠感や身体のしこりが生じているものかと」
欠伸しつつぼやくラルゴに平坦な声でフォローを試みるのは、メイド姿の従者ドゥーベだった。
白皙の美貌を彩る二つの眼光は、血を思わせる深紅の光を宿している。彼女の主のオッドアイほどではないが、これも十分に異相である。
とはいえ、ラルゴにとっては見慣れたものでもあるし……何より自分がそうしたのであるのだから、特に思うことは無い。
「そう言うものかな。まあ、確かに疲れは溜まっているかもな。このところやらなきゃいけないことが多過ぎる。……ふわぁ」
言う端から、また欠伸を噛み殺す。
そんなラルゴを、従者たるドゥーベは無表情ながら気遣わしげに立ち上がらせ、次いで着替えの手伝いに取りかかった。
最中、ドゥーベが不意に訊ねた。
「ご主人様、僭越ながらお尋ね申し上げます。ご就寝の間、俄かに魘されておいででしたが、如何なされたのでしょうか?」
「おいおい。寝ている間に魘されていたら、何があったかなんてすぐ分かるだろう?」
ラルゴは苦笑しつつ返事を返す。
「夢を見ていただけだよ。ただそれだけさ」
「夢、ですか」
「そう、夢。お前が造られるよりずっと前の、昔の夢だよ」
言いながら、部屋に設えられた鏡を覗きこむ。
そこから見つめ返してくるのは、青と金色の色違いの瞳だった。
「しっかし、いつ見ても違和感が半端じゃないなー、この目の色は」
創造神の加護の証、煌々と輝く黄金の左目にそう毒づく。
……ラルゴ・グリチナは転生者である。
それも前世は異世界の人間・遠藤始という、およそ現実味の無いオマケも付いてくる。
極めつけは、その絵図面を引いたのが異界に渡ることを画策していた神だということだった。
そして現在は、その傍迷惑な異教の神のために、絶賛布教活動中である。
どれをとってもこの世界――ユーディシア大陸では噴飯物の、異端の塊のような存在であった。
知る人が知れば真っ先に排除されかねない自分が生き残るため、ラルゴは今日も今日とて奔走する。
「手始めに、礼拝を済ませるか。付いて来い」
「はい」
従者を連れて、廊下へと出る。
ここアンファング城は、ラルゴが農民反乱を扇動しそれに乗じる形で乗っ取った辺境の小城である。
領主の居館を兼ねた砦、といった造りになっており、当然その特性から立地は周辺の村落から離れたものとなっていた。
この城を中心に地域全体に支配の根を広げ、布教の根拠地としようと目論むラルゴにとって、この便の悪さは頭が痛いところである。
しかしその反面、この城には小なりと言えど日々の生活に不可欠な施設が一揃い存在している。
毎日の感謝を神にささげるための礼拝堂もその一つだった。
お陰でラルゴは、自分の奉じる神の居所を一から造る羽目にならずに済んだのだが。
≪遅い。一体、いつまで惰眠を貪っているつもりだ、我が信徒よ≫
礼拝堂の扉を開いた途端、そんな声が演壇上から飛んでくる。
豪奢な金髪を靡かせつつ不機嫌を宿した金色の眼光を送ってくるのが、ラルゴが仕えている神である。
「おいおい、信者を一気に数十倍まで増やしてやった功労者だろ、俺は。もう少し労わりの言葉くらい掛けても罰は当たらないんじゃないか?」
≪ふん。これまで二十年近く、信徒は貴様一人だったではないか。むしろよくぞ今まで私が忍耐に甘んじていたと、自分で自分を褒めたい気分だ。
それに私は神であるから元々罰は当たりはせん。よって、貴様を労わる必要性も感じんな≫
鼻息を荒げる姿もどこか厳かなのも、一つの神徳か。それとも整った鼻梁の為せる業か。
そう言い放って大袈裟な身振りでそっぽを向いて見せる自称『偉大なる黄金の創造神』ブレイティス。
ラルゴを科学礼賛の現代日本から、剣風渦巻く異世界に連れ込んだ主犯だった。
その神は、無駄に後光を輝かせながらぷりぷりと不満を鳴らす。
≪大体だな、ようやく私のために建立された最初の聖堂が、この小さな田舎城の異教の礼拝堂をちょちょいと改修した即席なのはどういうことなのだ!
斯様なことでは我が黄金の威光が新天地を照らすまでに、一体幾歳掛かるものと心得る!?≫
「良いんだよ、これで。まだ俺たちの教団はドが付くほどマイナーなんだから。
この状態で独自の様式の聖堂なんて立てたら、新規の信者がそこを聖堂だって認識できなくなる事態もあり得るんだよ。
だから昔からの礼拝堂に、神王教の剣十字の替わりにアンタのシンボルを掛けた程度で丁度いいのさ。その方がこの世界じゃ分かりやすくって有難みも出る」
立て板に水と荒ぶる神を宥めるための言辞を送るラルゴ。
「流石はご主人様です」
ドゥーベも追従して頭を垂れる。
その様に、果たして神は目を白黒させた後に手を打った。
≪む。そ、そうか。貴様がそこまで考えを巡らせていたとは、畏れ入る。その智謀、頼もしいぞ≫
「それはどうも。偉大なる黄金の我らが神よ」
空々しく言いながら、ラルゴは内心で舌を出す。
(ま、この金ぴか野郎の満足いく出来の聖堂なんて、いくら金を積みゃ出来んのか分からんのだけどね)
教団の規模はいまだ小さく、獲得した信徒は貧農ばかり。これでは喜捨だの寄付だのが入るはずも無い。
当面は既存の施設の改装で済ますか、村々の辻にほこらを建てる程度で満足してもらう他なかった。
「で、だ。取りあえず信徒の数は数十倍に膨れ上がったはずなんだが、力の戻るめどは立ったのかい?」
話題をずらすついでに、懸案事項の一つを聞いてみる。
ブレイティスは渋い顔で答えた。
≪無理を言うでない。長きに渡って蓄えた力を世界移動で消耗した挙句、二十年近くをほぼ貴様一人の信仰で賄ってきたのだ。
そも、大規模な現世への干渉に耐えうる神力を持つというのはな、数万数十万という信者に信仰を捧げられて初めて可能となるのだ。
当面は我が加護を受けた貴様が、なんとか力を尽くす他あるまい≫
(使えねー……)
言われてラルゴは頭を抱える。
「つまり当面は今まで通りに俺一人で布教にいそしめ、と?」
≪その通りだ≫
神の答えは追い討ちだった。頼りになるのは、自分と与えられた加護の恩恵のみ。
現状の小さな教団の規模の信仰では、死後の安息も期待薄だ。
ブレイティスは創造という分野を司る神であるので、天国地獄の様な死後の世界も、輪廻転生の法則も、その神力で造り出さなければいけない。
今のままでは、錬金術や芸術、発明関連に多少のご利益がある程度で、常世に関しては無力。
信仰が乏しい状態のままラルゴが死ねば、消滅の危機の再来である。
「ご主人様。私もお傍におります故……」
「ああ、うん。ドゥーベのことは当てにしてるよ、うん……」
とは言うものの、ドゥーベは戦闘要員だ。身の回りの世話をさせる程度のことは可能だが、基本的には荒事が起こるまで教団の役に立つ仕事は無い。
≪しかしそれにしても手が足りんな。どうだ、そろそろこの娘の同類を増やしてみては?≫
「そこら辺は言われずとも手を尽くしているよ。アンタも日がな一日礼拝堂に籠っているのも暇だろ。
俺のアトリエの様子でも見に来るか?」
≪ほう、手回しが良いな。よかろう、無聊を慰めるついでに、貴様の手配りを拝見させて貰うか≫
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
アンファング城の地下に、その場所はあった。
元々は囚人を捕えておく牢屋が設えてあったのだが、特に使用する予定も無かったこともあり、余計な壁などを取り払って改装したのだ。
ちなみに、工事はドゥーベが力任せに壁を壊して瓦礫を撤去するだけで、半刻にも満たずに終了した。
そこがラルゴ・グリチナのアトリエである。
彼が表向きに就いている職業は錬金術師。物質を術と魔力によって加工したり、組み合わせたり、はたまた全く新しい物を作りだしたりする、魔術師の一種だ。
ブレイティスが加護を与える『創造』の範疇に入る分野であり、加えて理論さえ確立していれば、術者本人の保有魔力量はさして問題とならない。
ラルゴがこの世界を生き抜くための武器とするのに、打ってつけの技術だった。
≪……確か、先の戦いで領主を虜にしたと記憶しているが、どこか別の場所に閉じ込めたのか?≫
地下牢を廃してアトリエに変えたことで、監禁に使える場所は無くなっている。その事についての疑念をブレイティスが口にするが、
「ああ、そいつなら即日で縛り首にした」
≪それはまた随分と過激な≫
「しょうがないだろ。食糧が無くて起こった反乱なんだから、とっ捕まえた敵の大将を生かしておく余裕も無い。
それにこれでも随分と穏当な処刑法だったんだぜ? 農民たちの中には、川に落として石を投げろだの、牛裂きにしろだの、過激な意見ばっかり出たんだから」
「それらの処刑法では、水源の汚染や家畜の無駄遣いに繋がる恐れがあります。ご主人様の決定は、英断でした」
飢饉状態で水を汚したり、労働力やいざという時の食糧にもなる牛を無駄に働かせるのは愚策である。
≪それもそうだな。む? この土の様なものは何だ?≫
床の所々には、盛り土の様に土塊が点在している。石の床の上である。自然にできたはずが無い。
「ああ、それ? ……化学肥料だよ。実りの土、とか適当に名前を付けて村人に撒かせれば、これも布教の道具になる。
食糧も増産できて一石二鳥だ。せっかく前世からの知識があるんだ、有効活用しなくちゃ勿体ない」
≪成程な。しかし悪影響を起こす恐れは無いのか?≫
「用法と用量を守れば大丈夫さ。そこら辺はほら、神の仰せで厳しく言い付けておけば守られるでしょ」
言いながら、アトリエの奥へと進む。
道すがら、魔獣の標本や色とりどりの秘薬で満ちた試験管やフラスコ、造りかけの武器らしきものなどと擦れ違う。
いかにも錬金術師のねぐららしい怪しげな光景である。
だが、最奥に鎮座するものに比べれば、どれもみな見劣りするだろう。
≪ほう……もう出来あがりかけているのか≫
創造神が愉悦混じりの息を吐く。
そこにあったのは、巨大な硝子の円筒だった。
床に書かれた魔法陣の中心に坐したそれは、内部を得体の知れない溶液で満たされている。
いや、そればかりではない。
――コポ……。
溶液の中で微かに身じろぐ何かが、小さく息を吐いて気泡を生じさせる。
「これが、私の妹……」
壁のランプの明かりに照らされてか、微かに赤く見える顔でドゥーベが呟いた。
「ああ。独立行動可能式女性型ホムンクルス『シュテルン・シュベスター』二号。名前はメラクにする予定だ」
硝子筒を軽く叩きながら、自分の力作を自慢するラルゴ。
そこには、力無く命のスープの中をたゆたう女性らしき姿があった。
従来、ホムンクルスとはフラスコの中で生まれ、そこでのみ短い生涯を送り、外に出れば崩れてしまう脆弱な小人に過ぎない。
しかし、ラルゴはそれを改良することを思いついた。
例えば、容器をフラスコからもっと大きなものに替えれば、人間大のホムンクルスを造れるのでは?
例えば、頑丈な骨と肉を用意すれば、外の環境にも耐えられるようなホムンクルスを造れるのでは?
例えば、魔力を内部発生できる機関を備え付ければ、より寿命の長いホムンクルスを造れるのでは?
そうした実験の果てに生まれたのが、現在彼の従者であるドゥーベと、今ここで生まれようとする二体目、メラクなのである。
得られた成果は莫大。先の戦いでドゥーベが獅子奮迅の働きを見せたとおりだった。
「順調にいけば、明後日には外に出せる身体に仕上がるはずだ」
≪ドゥーベの時も思ったが、早いな。確か通常のホムンクルスは製造に四十日を要すると聞いたが≫
「依り代となるフレームと肉の素材を容器に入れているからな。従来型は生命のスープと言うべき液体をフラスコに詰めて、後は自然に生まれるのを待つだけの製法だ。
その点、俺の方式は能動的。心臓の替わりになる魔力炉も取りつけているんだから、大幅に短縮できて当然だろ?」
≪ふ。貴様がそうした品物を造り出せるのも、私が与えた加護の恩恵だがな。感謝するがいいぞ、我が信徒よ≫
「はいはい、ブレイティス様々ですよ」
ブレイティスの言う通り、並の錬金術師では巨大な硝子容器に骨格の素材、肉体の維持と活動に用いる魔力炉を用意するだけでその生涯を費やしてしまう。
ラルゴがそれを調達できるのは、神の加護を受けて強化された錬金術あってのものだった。
≪しかし、ドゥーベと同じく鉄面皮の娘がまた増えるとなると、周囲から訝しまれるな。その点は不安だ≫
「……申し訳ありません、ブレイティス様」
≪あ、ああいや。被造物の娘よ、貴様を責めているわけではない。頭を垂れる必要は無いぞ?≫
「心配するな。メラクはドゥーベを作った時のデータを参考に、感情の領域にも改良を加えてるからさ。
多分、相当に賑やかな娘が生まれると思うから、お姉さんのドゥーベはしっかり面倒を見るように」
「はい……私を生み出したまうだけでなく、素晴らしい妹を賜る栄誉、誠に身に余ります」
ドゥーベはそう言いながら、石の床に片膝で跪く。
「つきましては、ご主人様とブレイティス様には、今まで以上の忠勤を示す所存です」
「ああ、うん……今後とも期待しているよ」
過剰なまでの忠誠心を示され、片頬が引くつくものを覚えるラルゴだった。
万が一にも裏切られることの無いよう、製造段階で強い忠誠心を植え込んでおいたのだが、時々やり過ぎたと思わないでもない。
≪ゴホン……で、このメラクという新しい娘は、どのように用いるつもりだ?≫
「あ、ああ。ドゥーベが多種類の兵器を状況に応じて使い分ける万能型だからな。二号のメラクは専門分野の特化型だ。
後方から広域を薙ぎ払う魔術師タイプの予定になっている。元々、シュテルン・シュベスターは魔力が並はずれて高いし、それを活かさない手は無い」
ホムンクルスとして肉体の維持に魔力は食うが、それを差し引いても人間の及ぶところではない。
計算通りの性能を発揮すれば、メラクはそこいらの魔術師ではおよびもつかない、大魔導師として戦場に君臨する姿を見せるはずだ。
そしてホムンクルスは誕生の段階で高度な知識を持っている、という特性を持つ。
元々は錬金術師に真理を教える存在、と定義されていた生命体なのである。
流石にラルゴも真理を知るほどのホムンクルスは造れず、また誰かが造ったという話も知らないのだが。
だが、それでも魔術師としての基礎知識を備えたホムンクルスとしてメラクを作るのには手間は要らない。
長い時間を要する教育をばっさりと省略できるのも、ホムンクルスの強みだ。
≪それにしても、これは――≫
チラ、とドゥーベの胸元に目を走らせるブレイティス。
……メイド服を押し上げるふくらみは、大きい。
続けて硝子筒の中で目覚めの時を待つメラクの裸の胸を検分する。
……ドゥーベに輪を掛けて大きい。
≪――貴様の趣味か?≫
「な、何だよ!? 悪いかよ!?」
頭痛をこらえるような表情で言うブレイティスに、ラルゴは喚くように反駁するのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
リヒテルラント王国王都アウクスブルク。その街を見下ろす小高い丘の上に建てられた城が、国王の座す王城である。
城は遠目には石造りの重厚な頼もしさを見せつけんばかりだが、近くによるといくらか粗が目立つ。
在りし日の戦火の後と思しき煤けが壁に張り付いた様は、国土を守るのに汲々とする為政者の苦悩を偲ばせるものがあった。
そんな城に東部反乱の詳報に届いたのは、アンファングの占拠から十日ほど日を置いてのことだった。
「なんと! 叛徒どもは領主を弑するばかりでなく、城まで奪ったとな?」
「嘆かわしい。平民どもは貴族による庇護を何と心得る……」
「いやいや、嘆くべきはその領主の不明よ。やはり東の辺土に流されるのは故あってのことであったな」
その報に面した貴族たちの態度は、まるで対岸の火事を見るとも言うべき危機感の乏しさだった。
彼らにとって王国の東は正に僻地。彼の地で反乱が起ころうが嵐が起ころうが、自分たちにはとんと関係が無い。そう言わんばかりである。
王国宰相を務めるマッケンゼン侯爵は、えへんと咳払いを一つし弛緩した空気の払拭を試みる。
「……しかし、これは問題であるな。居城を奪ったとなると、叛徒は根拠地を得たこととなる。長引けば他領への飛び火もあり得るのではないか?」
「むむむ。た、確かに……」
「そ、そうですな! 領主が身罷るような事態は東部故のことでしょうが、これを平民どもが勘違いしては困る」
「急ぎ鎮圧の兵を送り、禍根の根を断ちましょうぞ!」
反乱の他領への伝播。この一事を仄めかせただけで掌を返す貴族たちに、マッケンゼンは苦い思いを禁じ得ない。
(結局は自領のことしか目に見えんか、俗物どもめ)
そんな心中を持ち前の忍従で漏らさぬように努め、主である王を振り仰ぐ。
「この通り、諸侯も賊徒速やかに討つべしとの意見が大勢です。冬の迫る時候ですが、臣としてもこの乱は手早く鎮めるに如かずかと。
如何なされますか、陛下?」
「む? ……ああ」
臣下からの問いに対し、王の反応は魯鈍であった。玉座の上でもそりと身体を揺らしたかと思うと、もごもごと呟く。
「……宰相の思う様にせよ」
「……はっ」
王の裁可に、恭しく頭を垂れるマッケンゼン。
背後では、貴族たちの囁き声が聞えよがしに交されていた。
「陛下も相変わらずであるな……」
「この胡乱な有様では、在位もいつまでのことやら……」
「しっ、聞こえますぞ……」
(無礼者どもめっ!)
宰相の顎に力が籠り、ギシリと奥歯が鳴った。
……リヒテルラント王国では、諸侯の力が強い。というよりも、王権が弱いと言った方が正解だろうか。
弱体化した王の権威では、徒党を組んだ貴族たちの力に抗することが難しい状況にあった。
事の発端は二十年前。王国西部のサイアス地方を喪失したことに起因する。
ユーディシア大陸は、中央に存在するユディト湖を中心として人類が分布する。
その地理的特徴は、ラルゴが評するに『ヨーロッパを横から潰して、アルプスの替わりに大きな湖がある様な地形』である。
当然、湖の沿岸には水利から豊かな穀倉地帯が形成された。
王国の場合は、湖東岸のサイアス地方がその役割を担っていたのだが、
(あの戦争さえ無ければ……)
二十年前、隣国のブローニュ帝国の侵攻に屈し、王家直轄であったサイアス地方は多額の賠償と言う余禄付きで奪われてしまった。
以後、何度か奪還を期した逆侵攻を企図するも、その全てが失敗に終わっている。
王の土地を取り戻すために、何故我らが負担を負わなければならないのか。諸侯の間にそんな声が上がるのは時間の問題だった。
一大穀倉地帯からの歳入を失い、奪還も相次いで阻まれ、代地で補填することもままならず傷ついていく王家の威信。
……腹立たしいことに、ブローニュの側ではそんな事態に陥るのを見越して、あえて王を討ち取る機会を見逃しているようだった。
その帝国は王国とは対照的に、帝室が貴族を粛清し絶対的な支配権を確立したと聞く。
宰相の胸は痛んだ。隣国で断頭台の露と消えた貴族を思って、ではない。この国でもそう出来ればと思うと、歯痒いのだ。
(お労しや、陛下……)
国難への対策と貴族との権力闘争により、国王はすっかり老い衰えている。
豊かなブラウンだった髪は今や総白髪である。
顔に浮かんだ皺の深さは四十八という実際の年齢より一回りも二回りも年を経た印象を周囲に与えた。
往時には旺盛であった政務への意欲も失せ果てている。これで酒色に溺れていれば、或いは愚王と断じて見限ることもできたかもしれない。
しかし、元より酒をたしなめる性質ではなく、奥の方からも房事が絶えて久しいと聞く。
生きる屍。それが現在のリヒテルラント国王ヘルムートII世を形容するに最も相応しいだろう言葉だった。
「しかし、この乱を鎮めるに当たっては、どなたが適任でしょうかな」
「ここはやはり、王家の御威光をもって叛徒を調伏なさるのが道理では」
「しかりしかり」
諸侯たちの話題が変じたと同時に、マッケンゼンは我に返る。
……貴族どもは、この反乱を王家に押し付けようとしている。
東部の反乱を鎮めたとて、国庫には十分な恩賞を出す余裕は無い。であれば、鎮圧した東部の辺境を加増として与えることになる。
しかし、知っての通り彼の地は未耕地の多い荒れ野が大半を占めている。誰がそんな土地を欲しがるものであろうか。
諸侯の大半は己の財布を痛めるのを避けて、上手く王家の手勢を討伐の中心に据えようとしているのだ。
そうは行くか、とマッケンゼンは眉を吊り上げつつ口を開いた。
「しかし、……この頃とみに寒くなって参ったな」
「は? はあ、確かにそうですが」
「宰相閣下、それがどういう――」
貴族たちの間に困惑が広がったのを見越して、マッケンゼンは人の悪い笑みを浮かべる。
「こう冬が近うては、王都から兵を出すとなると現地に着く頃には辺境の厳寒に見舞われるであろうな?」
「――うっ!?」
「雪の中では兵の動きが鈍り、存分の働きは出来ぬのが道理。兵法の初歩中の初歩よ。叛徒どももそれを見越してこの時期に兵を挙げたのであろう。
どうかな諸兄。ここは東部にほど近い所領を持つ者が兵を出すと言うのは?」
「し、しかし……」
「しっ! 止さぬか、藪蛇じゃ」
雪中行軍を避けるため、対応には東部周辺の諸侯が当たるべし。宰相の提案に厄介事を押し付けられ返された諸侯は不服げに唸った。
だが、その案を蹴るには論拠が足りない。
反乱の鎮圧は急を要すること。
後手を踏めば彼らの領地へ飛び火しかねないこと。
そして、冬の迫った時候と王都から東部への距離。
どれを見ても、現地にほど近い貴族たちが鎮圧の役割を担うべしと指し示していた。
「では、討伐軍の編成について話し合おうではないか。ん?」
「くっ……」
「そ、そうですな。ははは……」
勝利を確信したマッケンゼンに対し、ある諸侯は歯噛みし、またある者は空々しい追従の笑みを浮かべる。
そんな光景を前に、国王はふと溜息を吐き、
「疲れた……余は部屋へ戻る」
「……陛下、閣議はまだ終わっては――」
「よせ、マッケンゼン。余が口を挟むことも、特にあるまい……」
「――はっ。では詳細が決定次第、裁可を仰ぎに伺わせていただきます」
玉座から身を起こし、のろのろと退室する国王。近侍の者が、慌ててその後を追った。
マッケンゼンはその背を何とも言い難い視線で見送った。
(陛下の御心は未だ現世と向き合わず、か。忸怩たるものはあるが――)
宰相は喧々諤々と閣議を進める諸侯に向き直る。
ある者は王の無関心ぶりに呆れ、ある者は何とか討伐の任を誰かに押し付けようとし、またある者はのらりくらりと話の推移を見守っている。
共通して言えるのは、誰も彼も王室の藩屏として頼むに足る貴族たりえないと言うことだけだ。
(――私にできることは、陛下の御心が良き方向へ変わった時に備えることだけだ。
さて、この乱を奇貨として、不心得者を追い落とすのになんとか利用できまいか……?)
斜陽の王国に残った数少ない中心の一人である宰相マッケンゼン。
彼にとって、東部で起こった反乱は、単なる政争の具に過ぎないものであった。
この時点では、まだ。
~解説~
・ラルゴ・グリチナ
トゥリウスのプロトタイプに当たる。
「死ぬのが嫌、死ぬのが避けられないなら天国に行きたい、その為に邪魔者は死ね」という何とも酷い男。
当時、いわゆるヒーロー的な主人公がどうしても書けず行き詰っていたので、気分転換がてらに悪役・俗物・小物な主人公を書いてみたのがコイツ。
宗教家なのに俗物で、その癖、神様を信じる気持ちは本物(だって目の前にいるし)というトリッキー過ぎるキャラ。当然、どう動かすかに詰まって『ユーディシアの伝道師』は未完に。
……が、当時の作者は何を血迷ったか「農民反乱なんてニッチなスタートがいけなかったんや! 成り上がりたかったら貴族に取り入るんや!」と別ルートを書きだし、そちらもまた未完に。
作者という生き物は、自分の作品に対する分析が足りていないと、簡単に迷走してしまうという見本です。皆さんも気を付けましょう。
なお、マジで神様からの祝福を受けているので、生産系チート能力はトゥリ公の完全上位互換。あまり洗脳タイプのマジックアイテムは使わないのでコミュ力もこちらが上。ただし、あまりイケメンではありません。
他にトゥリウスとの違いは、向こうがクスクス系、こっちがゲラゲラ系という感じでしょうか。どんな感じだ。
名前の由来は前世の名字をスペイン語にしただけ。全国の遠藤さん、こんなキャラですみません。
・ドゥーベ
ユニのプロトタイプ。名前は似てるけどドゥーエとは関係無いです。あったら嫌です。
無口クールメイドが書きたくて書いたけれど、どうにも型に嵌り過ぎている上にプラスアルファな部分が無い子です。正直、ヒロインと言い張れるだけのパワーが無い。むしろ神様の方がヒロインっぽい立ち位置のような……?
能力はいわゆるアイテムボックス。ラルゴの作った武装を貯め込み、状況に応じて活用する万能型。ラルゴのアイテム制作環境が充実するにつれ、ドゥーベの戦力も向上していくという感じ。最初期型にもかかわらず最強クラス、というコンセプトもユニに通じているのかも?
名前の由来はおおぐま座α星のドゥーベ。北斗七星のスプーンの先の部分のアレ。
同系列のキャラを北斗七星由来の名前で七人(?)出す予定でした。
・ブレイティス
特に誰のプロトタイプでもないです。ただ、空気を読まずに主人公へ要求を言いまくる辺りは、シャールに通じるものがあるかも?
「神様転生ものを試しに書いてみよう」と思い立った際、「神様が日本人をわざわざ異世界に転生させる理由ってなんだろう?」という疑問にぶち当たり、考えた結果、「布教だな(確信)」という答えを得ました。
既存の宗教に駆逐された零細宗教の主神が、まだ新規参入の余地がある異世界へ。信徒も全滅しているので、あの世へいけない罰当たりな無神論者を脅して教祖にでっち上げるぜ! という俗っぽい神様。
行動も勝手気ままで、信者のことも飯の種程度にしか考えていません。ラルゴが苦労している横でフワフワ浮きながら「信者はよ! 神殿はよっ! お布施はよっ!(バンバン)」とわがまま放題するコメディ要員、けど時々深いことを言ったり言わなかったり……の予定でした。書けませんでしたが。
正直な話、『ユーディシアの伝道師』の登場人物ではコイツが一番気に入ってました。いつかリベンジしたいのですが、ポンコツ駄神様系キャラは商業でもネットでも既に結構な先達がいるので、やっぱりやらないかもしれません。
名前の由来は創世記のヘブライ語読み「ベレシート」を更に英語っぽく読んだもの。
いかにもなんか創りそう。
・ヘルムート2世とマッケンゼン宰相
癇癪国王陛下と陰謀爺のプロトタイプ。
宰相のキャラがなんか薄いです。テンプレ的な忠臣以上のものではないというか。なので、そのリベンジに当たるラヴァレの爺さんは女たらしだったり「国王より国」というより先鋭的な姿勢になったのかと思います。
王様は本当に玉座の上の置物なので、言うことは無いです。
・イルマエッラのプロトタイプ
お見せする部分では未登場(厳密にはそこまで筆が進まなかった)ですが、実はイルマエッラもこっちで出す予定のキャラでした。
ただ、性格も性能も全然違います。こっちのバージョンだと勇者なんか呼ばずに自力で何とかします。もし呼んだとしても良いように使い倒すでしょう。
『ウロボロス・レコード』の方のイルマエッラはちゃんと普通の女の子な面が強いので、勇杜くんは安心していいです。
~総論~
宗教・信仰をメインテーマに据えるには、私は力不足でした。
それよりも「生きることへの執着」の方が書いている側としては共感できたので、神様をパージしてこの部分を突き詰めてキャラを設定。結果、トゥリ公が爆誕しました。
いつか再チャレンジしたいテーマではあるのですが、ギミックやガジェットは大部分は『ウロボロス・レコード』に流用してしまっているので、次に作り直す時は新規の、全く別の形になっていることでしょう。




