04 大人の懸念と乙女の心
◆
「……なるほど、それで結局は物別れか」
「ああ」
レイアスト達とライドス達との顔合わせが見事に失敗に終わった後、夜になってからマストルアージはその経緯の説明も兼ねて、アスクルク王と二人、酒を酌み交わしていた。
本来なら、このような重大な案件はもっとしっかりとした場を整えて報告すべきなのだろう。
しかし、聖女と聖剣の後継者の会合は非公式かつ秘密裏であったため、こうしてこっそりと説明が行われていた。
何よりも大きな理由としては、王が溺愛する姪っ子がライドスにより傷付けられた事を知れば、おおっぴらに追っ手を放って逮捕させようとするかもしれないという、懸念があったせいもある。
そのため、マストルアージはこうして人払いをしつつ事後報告という形で、事のあらましを語っているのだった。
「しっかし、許せんなぁ……ラディウス殿の息子め。我が姉上の娘である、レイアストに傷を付けるとは……」
わずかではあるが、酒が入っているせいもあるのだろう。
アスクルクはギリギリと歯ぎしりをしながら、その姉の仲間の息子へと怨嗟の愚痴をこぼしている。
いつものシスコンを拗らせた友人の姿にマストルアージは苦笑するが、少し気になっていた顔見知りでもあるリセピアの言葉を確認するように、アスクルクへと尋ねた。
「……まぁ、概ね事実だろう」
「やはり、か……」
「ああ。ラディウス殿の故郷であるロウド国は、お前も知る通り小国だ。そこから世界を救うかもしれない英雄が出たのだから、ロウドの人々の期待は大きかったろうしな」
アスクルクの言う通り、もしもラディウスが魔王を倒していれば、人類の天敵を討った英雄の出身国として、かの国はそれなりの権威と共に他国からの実利も得られた事だろう。
それは、大国に対して鬱屈した思いを抱く小国の王や民にとって、大きな期待でもあったはずだ。
しかし、それが期待が破れた時、直接ではなくとも八つ当たりのような空気が生まれ、ラディウスの身に降りかかったのは想像に難くない。
「まぁ、英雄パーティが最初に挨拶に行った時から、あそこの王様は野心バリバリって雰囲気だったからなぁ……」
「だろうな。ロウド王とは何度か顔合わせをした事があるが、私もそんな印象を受けたよ」
「そうそう。それに、あそこの王太子はフレアマール色目使ったりしてたからな」
「潰すか、ロウド……」
姉にちょっかいを出していた輩がいたと聞いた瞬間、アスクルク王の額に血管が浮かび上がり、手にしてグラスにヒビが入る!
ついでに、彼の頭上に"!?"といった謎の記号が浮かんで見えた!
そんなブチ切れ寸前のアスクルクを、まぁまぁとマストルアージは諌める。
「昔の話だし、フレアマール本人が無礼な王太子を殴り倒してるから、安心しろ」
「さすが姉上だな!」
他国の王太子を身内が殴ったという不祥事にもかかわらず、アスクルクの顔には満面の笑みが浮かぶ。
そんなシスコン王に呆れながらも、マストルアージは今の問題へと話を戻した。
「しかし、聖女と聖剣の後継者が物別れっていうのは、世間的にはよくねえよなぁ……」
「まぁ、今回の顔合わせは向こうの国を通さずに、冒険者ギルドからの依頼という形で極秘裏にこの国に来てもらったから、表だって拗れる事はないと思うが……」
「それでも、人の口にとは立てられねぇ。いずれ巷間で話が広がる前に、なんとか和解させられるといいんだが……」
「そうだな……」
問題の解決は大人の役目だと呟いて、酒飲の入ったグラスを揺らすと、カランと中の氷が小気味のよい音を立てた。
「それで、肝心のレイアストはどんな様子なんだ?」
取りつく島もなく拒否された姪っ子の様子を、アスクルクが心配そうに尋ねる。
敬愛する母の仲間だった人物の息子に、魔族の血を引いているからというだけの理由で敵視された彼女の気持ちを思うと、心配でたまらない!
その考えが透けて見えすぎる姪バカの王に、マストルアージはひとつため息を吐いた。
「まぁ、多少はショックを受けていたようだ。なんせ、能力じゃなく出生を理由に拒否られたのは初めてだったろうからな……」
レイアストの生い立ちから、無能と見なされ拒否されたのなら、それはさほどのショックにはなり得ないだろう。
むしろ、今の彼女ならそのうち見返してやるといった、モチベーションアップの材料にしていたかもしれない。
しかし、半分魔族の血が流れているという、ある意味真っ当である意味差別的な理由で破談となった現状に、レイアストが何を思うかはマストルアージでも計り知れない部分が多すぎた。
「ぐうぅっ……もしかしら、レイアストが落ち込んでいるかもしれん!今すぐ、いっぱい慰めてやらねばっ!」
「落ち着けって!レイアストの側には、モンドもフォルアもいる。ひとまず、俺達の出番はねえよ」
「やだやだ!私も、レイアストをナデナデとかするぅ!」
ダダをこねる王の見苦しい姿から視線を外し、マストルアージは月明かりがわずかに差し込む大窓の外を眺める。
そうして、これからの若者達の行く末に、頭を悩ませるのであった。
◆
──その頃。
マストルアージやアスクルク王が懸念していた通り、レイアストはとあるひとつの考えに、身悶えしたくなるほど心が乱されていた!
しかし、それは聖剣の後継者であるライドスに拒否されたからではない!
それ以上に彼女をモヤモヤさせていたのは、ライドスの相棒であり恋人でもあるらしいリセピアとのやり取りが原因であった!
当然、キスなど数えきれないほど重ねている!
堂々、かつ勝ち誇るように言う彼の姿に敗北を味わい、さらに恥ずかしながらも満更でもなさそうなリセピアの姿に、レイアストは羨望を覚えた!
「キス……かぁ……」
フォルアにまだ早いと釘を刺されたものの、一度意識してしまえば恋する乙女の思考は一色に塗りつぶされてしまう。
「お母さんにはよくしてもらったけど、あれをモンドくんにしてもらったら……」
幼少の頃、母から愛情のこもった頬へのキスをしてもらった記憶が、レイアストの脳裏に鮮明に甦る。
そして、その時に抱いた幸せな思い出が、彼女の胸の奥を温かく満たした。
「……お姉様ともしたけど、やっぱりモンドくん相手だと違うんだろうな」
ポツリと呟き、レイアストは自身の頬を撫でる。
ライドス達との会見が破談に終わった後、それぞれの部屋に戻る際に、フォルアから「キスしたいならワタクシを相手にしなさい!」との提案があり、互いの頬にキスをした。
思わぬ役得に、顔を緩ませたフォルアはご機嫌で自室に戻ったが、レイアストの方はと言えばいまだにスッキリしていない。
もちろん、誤解が解けて敬愛する姉と親愛を交わすのは嬉しい事ではある。
しかし、親愛とは違う恋人同士の愛情は、きっと一味違うのだろうと、レイアストは妄想していた。
ただ、彼女 (とフォルア)はひとつ、認識を間違えている事に気づいていない。
そう、それは「キスという行為は、相手の頬にするものだ」と思っている事である!
だが、これは無理もない事で、そもそも魔族にはそういった愛情を確かめ合うといった行為自体が、存在しないのだ。
強い男、もしくは強い女が気に入った相手との子を成すといった、ある意味で野生動物のような営みが主流である魔族にとって、人間のように相手を愛でたり慈しむといったプロセスは必要としていない者がほとんどである。
故に、本来ならキスなどという行為も、魔族にしてみれば「なにそれ、美味いの?」といった感じだろう。
しかし、人間である母を持つレイアストは、物心つくまで愛情をたっぷりと注がれていたし、人間領域の文化を教わったりもしていた。
そして、フレアマールに懐いていたフォルアも、様々なスキンシップを受けていたからこそ、キスという行為の効果を知っているのである。
だが、当時子供だった故に、詳細を誤解する原因にもなっていた。
彼女達が知る『キス』とは、あくまで家族の範囲内、いわゆるスキンシップの類い止まりなのだ。
「ふぅ……」
そんな微妙なズレに気づかぬままではあるが、どこか熱を帯びたため息を吐き、レイアストはベッドに横たわると、そっと自分の指をとある部所へと伸ばしていく。
「ふぅ……んっ……」
自分の頬をさすり、唇に指を這わせ、レイアストはさらに切なげな吐息を漏らした。
この頬にモンドの唇が、そして自分の唇が彼の頬に触れる瞬間を想像するだけで、自然と身体が熱くなってくる。
愛しい少年を想うと沸き上がる、物足りないような感覚を埋めたくて、モゾモゾと何度もベッドの上で身体をくねらせた。
そうして、しばらくモンモンとした時間が流れて行ったのだが……ついに堪えきれなくなったレイアストは、ガバッと起き上がった!
そのまま夜着を纏ってさっと身支度を整えると、勢いよく部屋を出ていく!
(……なんか、ちょっとヤバかった気がするわ)
ドキドキと、鼓動が高鳴っている。
よく分からないが、このまま本能に従っていては、恥ずかしい行為に及んでしまうような気がしたため、レイアストは気分を変えるつもりだった。
しばらく散歩でもして、頭を冷やしてから寝てしまおう……そう思い、広い夜の宮殿内をブラついていく。
誰もいない宮殿の廊下はとても静かで、ほんのりと灯る魔力灯や月明かりがレイアストを照らす。
火照る心と身体が冷まされていくようで、徐々に気持ちが落ち着いていくような気がした。
だが、気づけば彼女の足は、自然とモンドの部屋の方へと向いている。
(……いやいや、あれよ。お休みの挨拶ついでに、ちょっと顔を見るだけだから)
誰に説明するでもなく、言い訳めいた思考を巡らせながら、レイアストは歩を進めていく。
しかし、その間にも少年の顔が彼女の頭に浮かんでは消え、いつの間にか歩く速度も早くなっていた!
(モンドくん、モンドくん、モンドくん……)
いつしか、思春期の溢れる情熱と、ほんの少しの性欲に後押しされたレイアストの頭の中は、愛しい少年の事でいっぱいだった!
それはまるで、クズノハと初めて魂霊合身した時の興奮状態になったような感じで……。
(っ!?)
と、ここに来てレイアストはふとある事を思いだし、足を止めた!
(あ……)
脳裏をよぎるのは、アガルイアと戦ったあの時!
魂霊合身を成功させたレイアストは、自分を『レイア』の愛称で呼んでとモンドに迫りながら、彼の額にキスをしていた場面が、目蓋の裏にフラッシュバックする!
(そうだ……私、モンドくんにキスした事があった!)
頬か額かの違いはあるが、それでもキスには違いない!
しかも、強引に自身の胸に彼の顔を押し付け、密着しながら頭をナデナデまでしていたのだ!
「は……はわわわ……」
人間の文化に照らし合わせれば、それはとてもはしたない行為だったハズである。
プルプルと身を震わせながら、唐突にその事を思い出し、急激な羞恥心に襲われて我に返ったレイアストは、一目散に自分の部屋へと引き返した!
あんなにも切望したキスという行為だったが、彼の了承無しにしていた自分がとんでもなく破廉恥に思え、とてもじゃないが今はモンドと顔を合わせる事なんてできない!
(うわあぁぁぁぁん!)
恥ずかしさのあまり、声にならない叫びを心の内側で上げつつ、茹で上がったように真っ赤な顔で部屋に戻ったレイアストは、流れるようにベッドへとダイブする!
そうして上掛けにくるまってイモムシの如く丸まりながら、再び呻くような声にならない掠れた叫びを口にした!
(あうぅぅ……モンドくんに断りも無しに無理矢理キスするなんて、とんでもない女の子だと思われていたらどうしようぅ……)
あの時は、魂霊合身の影響もあったため、ノーカンという事にはしてもらっていた。
しかし、ライドス達の事もあるし、モンドが当時の事を思い出していてもおかしくはない。
そうなれば、はしたない女め……などと思われてしまうかもしれなかった!
もっとも、モンドがその事を思い出していたとしても、少年にとっては嫌悪など一切なくむしろご褒美だったに違いないのだが。
(うぅ……どうしてこんなに、上手くいかないんだろう)
自分の方が歳上である事もあり、モンドには自分の事を『素敵なお姉さん』とか、『頼れるパートナー』とか、『大好き』とか思ってもらいたい。
だが、実際には思い通りに振る舞う事もできず、助けてもらったり空回りしてばかりだ。
そんな風に、時折自己嫌悪を感じているのに、いつだってモンドには会いたいし、彼の顔を見ると幸せな気分になってしまう。
そして、自分で自分の感情をコントロールできないというそんな状況が、もどかしくもあるがどこか楽しく感じているのも事実だった。
「私……明日モンドくんの顔が、ちゃんと見れるかな……」
思い出してしまった以上、どうしてもあの時の自分の恥態が頭にチラつく。
熱くなった顔を枕に押し付けながら、レイアストはちゃんとしなきゃと、ひとり溢した。
だが、それ以前に今夜はまともに眠れるかどうかも怪しい。
なんとか眠るべく、一角羊の数を数えたりしながら、ギュッと目を閉じるレイアスト。
そんな彼女の頭の中には、マストルアージ達が懸念するような、ライドス達との軋轢の事など欠片も残っていないのであった。




