03 思わぬ可能性
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「はあぁぁぁ~…………」
深いため息を吐き出しながら、心身共に疲れきったレイアストがフラフラと寝室へ戻ってくる。
後方支援を受けやすくするために、聖女だなどと祭り上げられる事に同意はしたものの、回りから向けられる期待は思った以上に大きく、挨拶回りに付き合わされただけだというのに、もう心労でヘトヘトだった。
だが、長く続いていたデルティメアとの小競り合いは、レイアストが想像していたよりも厭戦ムードを作り出していたらしい。
早く魔族との抗争を終わらせてほしいという声は、かなり多く聞かされていた。
(まったく……お父様はけっこう……いえ、かなり迷惑な戦いをしてたのね!)
魔族領域にいた頃は、国の運営方針に口を出すどころか、何かしらのアイディアを出す事も憚れたものだが、こうして父と敵対関係になってしまうといくらでも愚痴を言えそうだった。
「ううん!やっぱり私が魔王になって、魔族と人間の新しい関係を築かなきゃ!」
モンドのお陰で、父に対する恐怖感が薄れているレイアストは、ここぞとばかりに今まで抱えていた一通りの不満を燃料に、打倒魔王の目標を掲げる自分を鼓舞する!
そんな時、不意にコンコンとドアをノックする音が響いた。
もしかしたら、またお偉いさんとのご挨拶だろうか……などとうんざりしていたが、姿を現したのはここ数日で見慣れた魔術師だった。
「マストルアージさん!」
「よう、お疲れ」
軽く労いの言葉を投げ掛けながら、マストルアージは室内に入ってきたが、モンドは一緒ではないらしい。
少し残念だな……などとレイアストが項垂れていると、魔術師は自分とモンドの荷物をひょいと持ち上げる。
「それじゃ、俺とモンドは別室に移ることになったから、荷物は移動させてもらうぜ」
「えっ!?」
唐突なその言葉に、レイアストは思わず声をあげてしまう!
「ん?何を驚いてんだ?」
「あ、いえ……急だったもので……」
「そりゃまぁな……しかし、前はアルクルスとの密談もあったから、部屋をまとめておいたわけだし、それが終われば男女が同じ部屋で寝泊まりするのは、ちょっと……な」
「それは……そうなんですが……」
実をいえば、マストルアージは今後の話し合いなどに参加すると小耳に挟んでいた。
そのため、モンドが戻ってきたら二人きりになれるかも……などと、皮算用していたとは、流石に言えない。
なので、ゴニョゴニョと口の中で言い訳的なものを転がしていると、マストルアージは小さくため息を吐いた。
「なんだ?俺が出てる間に、モンドとイチャつくつもりだったのか?」
「な、な、な、何を言うんですか、このおじさんはっ!?」
浅知恵を見透かされて、下手すぎる誤魔化し方をするレイアスト!
そんなあからさまに動揺する彼女に、マストルアージも肩をすくめる。
「そんなに狼狽えられると、こっちが恥ずかしくなってくる……つーか、お前さんがモンドに気があるなんて事は、今さらな話だしな」
「ええっ!?」
まさか、秘めたる自分の気持ちが完全に知られているのかと、レイアストは内心で驚愕する。
だが、驚く彼女の顔を見たマストルアージは、逆に驚きを隠せなかった!
「いや……端から見てても、バレバレだったぞ?」
むしろなんでバレてないと思ったんだとのマストルアージからツッコミを受け、レイアストの顔は羞恥で真っ赤に染まる!
「そ、そ、それじゃあ……モンドくんにも……」
自分のちょっと重めの好意が、バレていたのだろうか?
それ自体はバレて困る事ではないのだが、歳上だからとどこかお姉さんぶっていた立場としては、なんだかとても気恥ずかしい!
しかし、その質問に対して、マストルアージは眉を潜めてううん……と唸る。
「どうだろうな……モンドの奴も、今までいっぱいいっぱいだったから」
「あ……」
そこで、レイアストはアガルイアとの戦闘中に聞いた、モンドの過去の事を思い出す。
彼の年齢で、故郷の家族が全滅の憂き目にあった元凶である、裏切り者とそれに結託した魔族への復讐の旅……それは周囲の人間の感情に気づくほど、ましてや色恋沙汰なんて考える余裕もない物だったに違いない。
「実際、モンドがあんなに明るい笑顔を見せるようになったのは、お前さんが来てからだ……あいつが心の支えになってくれるなら、俺としてもありがたい」
強くなる術は教えられても、心のケアは上手くはいかないものだ。
そう考えると、あっさりモンドの心を暖めたレイアストは大した物だろう。
やはり、男にとって女というのは偉大な存在だな……と、心の内で持論を展開しつつ、マストルアージはひとり頷いていた。
「……私は、モンドくんの支えになれますかね?」
ポツリと、レイアストの口からそんな言葉が漏れる。
それはつまり、彼の相棒を越えた相棒……所謂、恋人関係となれるだろうかという、疑問だった。
言うまでもなく、レイアストはモンドの事が好きだ!
いや、大好きだと言ってもいい!
しかし、当のモンドはどう思っているのだろうか?
正直な所、彼もレイアストに好意を抱いているだろうという手応えはあるし、十中八九はそういった関係になれる自信はある。
だが、復讐の旅という重すぎる環境にモンドが置かれている以上、彼がレイアストの想いに応えてくれるかはちょっと怪しい。
しかし、モンドに余計な悩み事を追加したくはないというのも、レイアストの偽らざる気持ちだ。
そんな風に、自分の感情とモンドの環境に悩むレイアストを見て、マストルアージは小さく笑ってしまった。
「ふっ……まぁ、モンドの奴があんなに懐いた女はお前さんと、あいつの姉くらいなもんだし、きっと大丈夫だろう」
「っ!?」
レイアストを励ますつもりだったが、そんなマストルアージの言葉を聞いた瞬間、彼女は突然カッ!と目を見開いた!
「マストルアージさん……いま、なんと言いました?」
「ん?だから、モンドの奴が懐いた女は、お前さんと……」
「その後っ!」
「……あいつの姉くらいだと」
「あねっ!?」
グッと身を乗り出して食い下がるレイアストに、マストルアージは戸惑いながら頷いた。
「お、おう……確か、お前さんくらいの年頃な姉がいたよ」
「…………」
その答えを聞いて、レイアストは様子は一転、まるで火が消えたかのように、ガクリと項垂れてしまう。
そこまで過剰な反応を示す彼女に、さすがのマストルアージも訳がわからないといった面持ちになるが、当のレイアストはそれどころではなかった!
(モンドくんに、お姉さんが……ええっと、それってつまり……)
彼に、姉がいたこと自体はかまわないのだが、問題はモンドが経験した悲しい過去にある。
彼がよく懐いていたという、姉と死に別れた体験を引きずっていないとは思えない。
そうであるならば……。
(モンドくんは……私の事をひとりの女の子としてではなく、亡くなったお姉さんの面影を重ねて見てた可能性があるって事!?)
突然、降って沸いたその可能性に、レイアストは愕然とする!
そして、それがかなりの高確率であり得ると思われる事実に、衝撃を受けていた!
モンドへの恋心を抱くレイアストからすれば、この仮説は受け入れ難いものがある。
なぜなら、彼女が姉のような物という立ち位置で見られていた場合、好意はあるけれどお付き合いしたいとかはまったく考えてない……という結末に、行きつくパターンが現実味を帯びてくるからだ。
(い、いやっ!落ち着くのよレイアスト……モンドくんは、私とよくスキンシップをしてくれてたし……ん?)
その考えに至った時、不意に彼とレイアストが始めて出会った、あの日の事が頭を過る。
濡れた服と、ひとつだけの毛布、そして男女が二人……。
だが、もうすぐ思春期を迎えるであろう少年が、その日会ったばかりでほぼ初対面の女に、「寒いでしょ?一緒に暖まろう♥️」などと誘われて、乗ってくるものだろうか?
そして、そんなレイアストの誘いに乗ってきたという事が、モンドは彼女を亡き姉に重ねていたという証明のように思えた。
(で、できれば、旅に出る前にモンドくんに告白したいと思ってけど……こんな状況じゃ無理だよぉ!)
もしも告白して、彼に「いや、姉さんみたいには思ってたけど……」みたいな断られ方をしたら、その後の旅がとんでもない空気になるのは明白である。
万が一にもそんな状況になったら……それはある意味、魔王である父と戦うよりも恐怖だった!
ひとり頭をかかえるレイアストを眺めながら、マストルアージは彼女が何に悩んでいるのかと、小首を傾げる。
(まぁ、若ぇもんの恋路をおっさんがつついても、ろくな事にはならんだろうしな……見守りはするが、自分達でなんとかしてもらうのが吉ってもんだろう)
そもそも、マストルアージとて若い内から魔術師としての修行に明け暮れていたため、色恋沙汰には疎い方だ。
まさか、ちょっとした自分の一言がレイアストを混乱させている元になっていると露とも思わず、早々に口出しするのを放棄した彼は、別の問題に話を持っていく事にした。
「……ところで、話しは変わるが俺達の出発は、一ヶ月後くらいになりそうだ」
「一ヶ月……ですか?」
ガラリと変わった話題を、悩み事から逃避したレイアストの思考はあっさりと受け入れる。
しかし、父から密命を受けた時はすぐに旅立たねばならなかったレイアストからすると、それは随分とのんびりしているようにも思えた。
「てっきり、数日ぐらいの準備期間で、魔族領域へ向かうのかと思ってました」
「……魔王相手に、それも随分と気の早い話だと思うが、まぁこっちにも色々と都合があってな」
聞けば、今回の魔族側からの奇襲を教訓として、王都全体を覆うような防御結界を製作するらしい。
その結界の中では、あらゆる魔法や魔術が大幅に減退する仕掛けらしいが、当然ながら大規模で複雑な構築式が必要となってくる。
そのためのアドバイザーとして、マストルアージとモンドが結界製作に参加するというのだ。
「モンドくんも……ですか」
「ああ。あいつの『五行術式』の知識は、この結界の構築に必要だからな」
確かに、この大陸の物とは違う『龍州』独自の魔術式は、魔族の魔法に対しても有効に働くだろう。
その実用性は、五行闘士化してアガルイアと戦った、レイアスト自身がよくわかっている。
しかし、そう心得ているはずのレイアストの表情は、なにやら浮かないものであった。
「……どうした、レイアスト?」
何かを察したのか、遠回しに尋ねてくるマストルアージに、レイアストは己が頭に浮かんでいた不安のような物を口にする。
「あの……私はたぶん、その結界作りの役には立たないんですけど、一か月も何をすればいいのでしょうか?」
魔術知識においては、多少なりともモンドから教えてもらっていたとはいえ、彼女にはそんな結界の製作に口を出したり手伝ったり出きるほどの腕は一切ないと言っていい。
旅の準備をするというのもひとつの手だが、その辺りは王でありパトロンでもあるアスクルクが、手配してくれているだろう。
そうなると、結界の完成まで必然的に彼女は手持ち無沙汰になるのだが、その間なにをすればよいのか、レイアストには見当もつかなかった。
「安心しろよ、お前さんを遊ばせておくつもりはないぞ」
ニヤリと笑うマストルアージの笑顔に何か不穏な物を感じて、レイアストはジリジリと距離を取ろうとしたが、素早く回り込まれて肩をポンと叩かれる。
「お前さんには、これからみっちりと戦闘訓練をしてもらう。なぁに、ちょっと……いや、かなり……ううん、相当にキツい……まぁ、多少の地獄は見るかもしれんが、たぶん大丈夫だろう!たぶん!」
「なんでそんなに、『たぶん』を強調するんですかっ!」
「そんなもん、気にするな!教官役には話は通してあるから、明日そいつの所に向かおう」
それがたんなる脅しなのか、それとも本当に地獄のような目に会うのかはわからないが、どうやら逃げ道はないらしい!
魔族領域にいた頃も、かなりハードな戦闘訓練をさせれていたこともあり、そのトラウマが目覚めそうな気がして、レイアストは震える事しかできなかった。
「まぁ……フレアマールも通った道だからな。あいつの娘である、お前さんならやれるさ」
「お母さんも……」
思いもよらぬ、マストルアージの言葉に、レイアストの震えがピタリと止まる。
第一、そんな事を言われてしまうと、もう覚悟を決めるしかなくなってしまうではないか!
「わ、わかりました……頑張ります……」
「よおし!それでこそ聖女様だ!」
今日はゆっくり休めよと言い残して、マストルアージは部屋を出て行く。
その背中を見送りながら、レイアストはどこか遠くで母が「ガンバ!」と励ます声を聞いたような気がした。




