#44
しまった、と。俺は歯を噛む。
しかし、ここで思考を止めれば、それこそ最悪が見えてくる。
無理矢理にかばったこともあって、肩から血が流れているが。気にせずに立ち上がり。
即座に、状況の把握に努める。
なにが起こったのか。突如として魔物が――神狼種が現れた。それも、小夜さんの懐付近から。
あんなところからの魔物の発生は、まずありえない。加えて、渋谷マルハチにも狼型の魔物は出てくるが、フェンリルほどに高位の魔物が出てくるとは聞いたことがない。それも、こんな浅い層なら、なおのこと。
そのあたりについてもより精査は必要だが、今、考えるべきは別のところ。
第一に、渋谷マルハチにいるべきでない魔物が出現したということ。これは、嫌なことに直近で類似の記憶がある。
阿蘇ダンジョンで起きた大侵攻。その際に現れた、あるいは、原因となった魔物は、阿蘇ダンジョンには出現しない――環境に適さなない魔物であるクリムゾンドラゴンだった。
そしてもうひとつの優先事項、小夜さんの腕が喪われてるということ。
彼女が取り出したなにかが周辺から急速に魔力を吸い込み始めた時点でまずいと思って動いたのだが、間に合わなかった。
後悔がないわけではないが、それで腕が返ってくるわけではない。今は、できることをするべきだ。
とはいえ、ふたつの時限が同時に迫ってきている。
前者は、大侵攻の発生予兆。こちらは、まだ発生こそしていないものの、だんだんとダンジョンの魔力濃度が上がってきているところを見ると、まもなく大侵攻が起ころうとしていると見て間違いない。
仮に起こらなかったとしても、そもそもフェンリル種の魔物は総じて最低でもB級指定の魔物である。こんなところにいること自体があまりにも危険。
そして後者の時限は、考えるまでもない。小夜さんの受けた怪我が、あまりにも深すぎる。
辛うじてなんとか現状は命をつないでいるが、出血の量を鑑みるに、それほど余裕もない。早急に、対処をする必要がある……が。
(腕をまるごといかれた、ともなると。俺の間に合わせの応急処置じゃどうにもならないな)
フェンリルからの追撃を警戒しながら小夜さんの元へと近寄り、治癒スキルを行使する。しかし、ほぼ焼け石に水。多少は出血量がマシになったかな、というレベルである。
正直、即座に病院に運び込まないといけない程度である。いや、それでもどうにかなるかどうか。
「……可能性があるとすれば」
心当たりに、考えを寄せたその瞬間。懐から通信機のベルが鳴る。
ダンジョン内のパーティと連絡を取るための通信機。ほぼソロ状態で潜っている俺に届く着信のアテといういうと――、
『月村様! 先程、夏色様が大侵攻の予兆があると――』
スピーカーから、千癒さんの声が飛び込んでくる。
「ああ、わかってる。ついでにいうと、発生源は俺の目の前だ」
『は、はい? ……いえ、理解はしていませんが、了解いたしました。それで、海未様が大侵攻の対処に向かわれて』
これだけの魔力濃度変化があって海未が気づけないわけがないし、あの海未が気づいた上で対処に向かわないわけがない。
ひとまず、もうまもなく海未がここに来る。とするならば、少しだけ対処の目が見えてくる。
「本来ならば、鈴音を連れてダンジョンからの脱出を指示するべきなんですか。……すみません、緊急でお願いしたいことがあるので。ひとまず、そちらに向かいます」
『……了解しました。月村様もお気をつけて』
通信機の接続が切れる。とにもかくにも、鈴音たちとの合流を優先しよう。
「悪いな。持ち上げさせてもらうぞ」
失血で半ば意識を失いかけている小夜さんの身体を横抱きにする。
先刻までは俺のことを警戒していたフェンリルだったが、ある種荷物を持ち上げたことに隙と見たか。ジリと一歩、こちらに近づいてくる。――実際、この状態では対処は難しい。
「とはいえ、こっちも時間がないんでな」
フェンリルに向けて、そう言い放つ。
一秒の遅れが、まさしく彼女の命を削っている現状。付き合っている暇など、ない。
無論、相手もこちらを逃してやるつもりなど、ないのだろうが。だが――、
「本来は、味方が近くにいるタイミングで使うべきじゃないんだけども」
《多重支援》で強引に威力を底上げしながら、眼前に分厚い氷の壁を生み出す。
調整の暇なく繰り出したことにより発生した威力のブレは、小夜さんの負担にならないように自身の身体でかばう。まあ、多少冷たいくらいだ。
「……とはいえ、これでも大した時間稼ぎにはないけれども」
分厚いとはいえ、高々氷の壁である。フェンリルともなれば直接突き破ってくるかもしれないし、あるいは少し遠回りをすれば普通に突破はできる。
だから、ロクに時間は稼げない……が、わずかには生まれる。それで、いい。
《風走り》を発動しながら、氷壁を背に、全力疾走をする。
案の定、氷壁を突き破ってきたフェンリルが、猛烈な速さで追いかけてくる。小夜さんはを抱えていることや森の中という環境もあり《風走り》込みでも逃走速度が十分とはいえない。
少しずつ、差が埋まっていく。
だが、これでいい。
先刻の氷壁生成で欲しかったのは、確実に逃げに転じられる瞬間。そして、発生した追いかけっこを、少しばかり継続することができるだけの距離。
もとより、向こうの方から近づいてきているんだ。こちらからも向かうことをすれば。
「押し付ける形で悪い、あとは頼んだ!」
すれ違った、その人影に。俺はそう叫ぶ。
形だけで言えば、引き連れてきた魔物を押し付ける、トレインという害悪行為だ。それも、フェンリルという最悪すぎる魔物の押し付け。
でも、今回ばかりは、これが最適解。
「えっ、なんで支樹が――ううん、わかった!」
彼女は、理解してかどうかはともかくとして。少しの困惑の後に、即座にそう答えてくれる。
本当に、頼りになることだ。
ふたつの時限に、ひとりでに両方対処するのは不可能だ。だが、ふたりならば、話が変わる。……それも、最強が味方なのならば。
「千癒さんっ!」
フェンリルを海未に託し、全力でダンジョン内を駆けて。鈴音たちに合流する。
「月村さん、いったい――」
なにが、と。そう言おうとした鈴音は、その表情を真っ青に変化させる。俺が抱きかかえていた冒険者の――彼女のクラスメイトである小夜さんの身体を見たからだ。
半身は血で真っ赤に染まり、対する肌は血の気が薄れてきている。
辛うじて息はまだ継続しているが、それもどんどんと弱々しくなってきている。
生きているというよりかは死んでいないと称する方が正確な状態だ。
「小夜さっ、月村さん、血が、病院にっ!」
「もはやこうなると病院に向かっても手遅れになりかねん。いちおう、ゲートの外側には有事の際のために医療スタッフが控えているが」
そこに行くまでに、果たして彼女の体力がもつか。もったとして、医療スタッフで対処できる程度か。
それらの可能性を加味すると、絶望的と言って差し支えない。
「それでも、急ぐに越したことは――」
「ああ、だから。ここに来た」
「……へ?」
最初から、病院はおろか、ゲート外の医療スタッフも目指していない。
鈴音たちとの合流を目指したのは、はじめから、目的地としてである。
より、正確には。
「千癒さん、やれますか」
「欠損部位が完全に喪われているので、確実にできるという保証はできませんが」
「やれるだけ、やってくれ」
「……わかりました」
俺の言葉に、千癒さんかコクリと頷く。
慎重に小夜さんの身体を地面に降ろすと、彼女に託す。
「あの、月村さん? これは、いったい」
ひとりだけ置いてけぼりにされてしまっている鈴音が、そう声をかけてくる。
「鈴音は、治癒スキルを知ってるよな?」
「はい。負傷を癒やしたり、簡単な毒などならば打ち消したりすることができる汎用スキルのひとつ、ですよね?」
「ああ。そして、治癒スキルに適正を持ち、専門にしている冒険者もいる。もちろん、そういった人物が使う治癒スキルのほうが、比べて効果は高くなる」
「……千癒が、その専門、ということですか?」
ここまでの説明。そして、小夜さんの治療に千癒さんがあたっているという現状を鑑みて、鈴音はそう理解する。
しかし。「でも」と、言葉を挟み込んで。
「治癒スキルは、あくまで傷の回復を速めるだけです。あの状態なら、病院での処置を優先したほうが――」
「そのとおり。教えたことを覚えていて偉いな。鈴音の言うように、治癒スキルは怪我の治りを早めることはするが、限界がある。負傷が大きければ大きいほど、治癒スキルでは間に合わなくなる。特に、完全に腕を欠損しているなど、もってのほかだ」
あるいは、腕のいい回復職ならば、命を繋ぎ止めるだけならばできるかもしれない。それこそ、強引に魔力の出力を上げて、負傷部位の治癒を促進させ、塞ぎ止めれば、あるいは。
俺も、似たようなことならばできなくはない。治癒スキルに支援スキルを多重で付与して、無理矢理に効果を底上げすれば、命だけなら繋ぎ止められる。
しかし。それでもなお、結果として食い千切られた腕がどうなるかは、明白な話であって。
「なら、どうして――」
「通常の治癒スキルならば、今までの話が限界だ」
「……へ?」
唯一の可能性が千癒さんであると俺が判断した理由。命を繋ぎ止めるだけならば、強引なやり方で治癒スキルをかけられなくもなかったところに、俺がそうしなかった理由。
「うぐ、ぁ……」
ちょうど、そんな話をしていたタイミングで。小夜さんの、そんな悶えるような声が漏れる。
鈴音が驚いて、彼女に駆寄ろうとするが。俺がそれを制す。今は、少し危ない。
「月村様。ここから先は、小夜様の体力を大きく消費します」
「ああ、俺が支援で補助する」
やや無理矢理なやり方にはなるが、小夜さんに対して俺が支援をかけることにより、消費される彼女の体力を担保する。
俺の準備ができたのを見て、千癒さんは小さく頷き。
「……それでは、参ります。《再生》」
柔らかな光に包まれた小夜さんの身体は、わずかに悶えながらも。しかし、喪われたはずのその腕が再生していく。
その様子に、鈴音は思わず目を見開く。
実際に見るのは、俺も初めてである。しかし、唯一の可能性――彼女の腕が元に戻る、たったひとつの手段。
「適正による得意不得意こそあるものの、誰しもが使う余地があるのが汎用スキルだ。だが、それとは別に、個人の適正にのみ依存して、他者には解釈できないスキルがある。それが、固有スキルであり」
「私の持つ、《再生》がそれに該当いたします」
千癒さんの《再生》は、治癒スキルの限界を超えて、欠損部位などを補完し、再生させることまでできる。
ただ、当然ながらに欠損の程度が大きいほどに再生できるかの難易度も変化することになる。同様に、必要となる体力や魔力も。
そして、下手に傷が塞がっていたりすると、身体がそれを正常と判断してしまい《再生》が適用されない場合もある。、とのこと。
そういう意味では、小夜さんを千癒さんの元まで連れて行く、というのは少々賭けではあったのだが。
千癒さんが、大きく息をついて、小夜さんから手を離す。
横たわっている彼女の身体は、まるで、先刻まで腕が喪われていたことなど、わからないほどで。
「無理を言って、すみません。千癒さん」
「……いえ、私にやれること、ではありましたし。月村様がお嬢様に教えたことでしょう。使えるものは、なんでも使うのが、冒険者だ、と」
疲れこそしっかりと見て取れる一方で、やりきったというような表情で、千癒さんはそう返してきた。
Tips:固有スキル
個人の適正に依存し、他者が解釈、使用することができないスキル。その性格上、特定の個人のみが使用することができる。
あらゆる理屈や常識を嘲笑うかのように覆す性能のものも少なくなく、発現を望む冒険者が多い。
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