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翌日、朝食の席で、アンナは店で扱えるような商材を探しに行きたいと言い、ミネットが案内役を買って出た。
「紗良様はどうなさいますか?」
「そうですね……役に立てそうもないし、私は私で出かけようかと思います」
「では、我が家の護衛を」
「あ、いえいえ大丈夫です。危険はないので」
「そう、ですか?」
悪意がある者は近づけない、という説明は省いたが、紗良があまりにはっきり言い切ったので、ミネットも首を傾げつつ納得したようだ。
実は、昨日、萌絵からメッセージが来ていた。
『クリスマス会しよう! プレゼント交換ありね!』
当然この世界にクリスマスはないが、要は飲み会をしようという話だった。
というわけで、萌絵へのプレゼントを買わなければね。
二人が出かけるのと一緒に馬車に乗せてもらい、昨日と同じ、海の近くで降ろしてもらう。
フードをかぶっているので、ヴィーは肩に乗った。
「本当に、帰りはお一人で大丈夫ですの?」
「大丈夫です!」
「そう、ですか?」
さて。
馬車を見送ってから、まずは市場に行ってみる。
早朝ではないが、昨日よりも大分早い時間のため、さらに活気がある。
もうほとんど怒鳴っているような店主たちの店の間を、きょろきょろしながら歩いた。
「うっ!」
「な、なんだ!?」
などという声が時折聞こえてくるので、よくない人間が安全地帯に弾かれているようだ。
「やっぱり、悪い人間はいるんだなー」
一人や二人の声ではない。だから思わずそう呟く。
「それはそうだろう。
そんな綺麗な恰好で、いかにもお金がありそうで、その上、場所に明るくない様子できょろきょろして。
狙ってくださいって言ってるようなもんだ」
すぐ近くで呆れたような声の返答があって驚いた。
真横を見ると、どこかで見たような顔の男が、並んで歩いている。
「あ。ミネットさんのおうちの護衛さん」
「どうも」
つまらなそうな顔をした男は、確か、昨日まで門の辺りに立っていたはずだ。
「あーみなまで言うな。護衛はいらないと言ったのは知っている。
けど、旦那様や奥様にしてみれば、とんでもない身分の相手が自分ちに滞在して、その間に何かあったら困るんだ。
だから俺をこっそりつけた」
「こっそり……?」
「結果的にこっそりではなくなったけどな、仕方ないだろう。
あんたはいかにも危なっかしいし、何かあってからじゃ、それこそ俺がクビになる」
男は、二十代後半といったところだ。
茶色い髪に日焼けした肌、護衛らしい体格だが、服装は街に溶け込んだものにしている。
「悪いがこの人込みを出て……うおっ!」
男は紗良の腕を掴もうと手を伸ばしたが、その手をシュッとかすめる鋭い爪に気づき、危ういところで避ける。
ヴィーが、肩に仁王立ちして、フンッ、と鼻息を吐いた。
「こりゃまた……ご立派な護衛がすでに」
彼に帰ってもらうことも考えたが、おそらく色々な立場の人たちが困ることになるだろう。
仕方ない。今回は、自由にふらふらすることは出来ないようだ。
危険はない、といくら口で言ったところで、伝わるはずもない。そのうちまた、一人で来よう。
そう決めると、諦めもついた。
「あのー、この辺で、魚を生で食べるところはありますか?」
開き直って、案内役をしてもらうことにする。
紗良の問いに、彼はぎょっとした顔をする。
「生で? いや、そんなことするやつはいねえよ」
「そうなんですね。もったいない」
せっかく新鮮なのに。男はますます、ドン引きの顔をする。
「じゃあ……あ、お名前は?」
「ジェレイド」
「私は、サラ・ツワノ。あんた、と呼ばれることにあまり慣れていないので、名前でどうぞ」
「……失礼した」
謝るタイプではないと思ったが、指摘されて初めて気づいたようにそう答えたので、意外だなと思う。
いわゆる、平民というやつなのかもしれない。
言葉遣いが、元々、丁寧ではないというか。
このところ、身分のある人たちとばかり接していたので、どうやらそちらに慣れてしまっていたらしい。
「こちらこそ、お手数おかけします。市場は出ますが、普通のお店が並んでいるようなところが見たいです」
「ああ。こっちだ」
喧騒を抜け、人通りの多い道を通って、生活区域のようなところまで歩く。
街は、漆喰仕上げのような質感の家が多い。
アンナの住む辺りは石造りが多く、あちらは湿度が低そうだったが、やはり海沿いの気候に合わせたものなのだろう。
白い壁が続き、青空とあいまって、ひどく陽気な印象を受ける。
一度人通りが減り、やがて、再び活気のあるエリアにやって来た。
やはり綺麗な街だな、と思う。
平民街だが、角には花屋もある。
花を買う余裕がある人々が多くいるということだ。
紗良は、野菜を多く並べている店に吸い寄せられた。
魚もそうだが、野菜も、その土地に特有のものが多い。
旅行に行くとつい、道の駅で野菜を覗いてしまうのと同じ原理だ。
その頃は、旅先から野菜を買って帰るのは難しく、泣く泣く断念したものだが、今は違う。
保存も出来るし、女神の懐も覚えた。買い放題だ。
「これはどうやって食べるんですか? これは? 生でもいけます?」
質問をしながら、ご機嫌で買い込む。
「おい、そんなに買って大丈夫か? どっか……遠いんだろ、家は」
「問題ないです!」
「なにがないんだよ、おおありだろ……」
何かぶつぶつ言っているが、荷物を持ってくれるのはありがたい。
魚屋では昨日とは別の魚を、乾物屋ではドライフルーツやナッツを量り売りで、スパイス店では少し高いが瓶に入ったものを買う。
「食いもんばっかだな!」
「えっ。……いえ、花を買いますから!」
食い気しかないように思われたので、花屋でアニエスのために花束を作ってもらった。
その時だ。
「誰よその女ぁぁぁ!」
突然、両手に荷物を持って突っ立っていたジェレイドが、つんのめるようにしてたたらを踏んだ。
面食らった紗良も、動きが止まってしまう。
ジェレイドの背後には、どうやら彼の背中を蹴り飛ばしたらしい恰好のまま、荒い息をついている女性がいた。
シンプルなワンピースだが、腰に華やかなスカーフを巻いていて、オシャレなお姉さんだ。
「な、な……ネリー! なにしやがる!」
「あたしというものがありながら、女連れでへらへら歩き回るとは見下げ果てたもんね!」
「何言ってんだお前、女なんてどこにいるんだよ!」
なんだとコノヤロー。
とはいえ、この恰好が少年に見えることは承知している。
思えば、最初にいきなり腕を掴もうとしたのも、乱暴な物言いだったのも、紗良を男だと思っていたかららしい。
「……お嬢さん、どこのもんだい?」
「私はウィンザーネ伯爵のお屋敷に招かれた客です。彼は伯爵がつけてくれた護衛です」
「ああ……」
ネリーと呼ばれた女性は、すぐに、頭を下げた。
「貴族様とは知らず、騒ぎ立てて申し訳ありません」
「いえ、私は貴族ではないですよ」
「そうなんですか?」
さすがに、ジェレイドが割って入る。
「貴族じゃないが、それなりの身分の方だ。やめとけ」
お前が言うな案件すぎる。
それなりの身分と知っていてあの態度だったのか。
紗良は呆れたが、別に平身低頭してほしいわけでもないので、スルーした。
ネリーは冷静になったのか、男の姿を上から下まで眺めた。
紗良が買った野菜や魚を、両手いっぱいに抱えている。
レジ袋なんてもちろんないから、持ち手のない紙袋を、まさに両手いっぱい、だ。
さすがに、色っぽい話ではないのが理解できたらしい。
「本当に悪かったね……」
「いえ。それより、この辺の名物が食べられる美味しい店を知りませんか」
「なんで俺に聞かねえんだ」
「味より量という感じなので」
「なんだと!?」
そうだねえ、とネリーがジェレイドを無視して考えている。
「銀の尻尾亭がいいだろうね。魚料理が得意な店だが、甘いパイも美味しいんだ」
まあめったには行けないけどね、と小さく付け足したので、それなりの店なのだろう。
「ありがとうございます」
「じゃああたしは店に戻るよ。ほんとに悪かったね」
「いえ」
ネリーはジェレイドをちらっと見てから、大きなため息をついて去って行った。
「なんだぁ、あいつ」
「私もよく分かりませんが、こういう時は、例え誤解だとしても安心させる言葉を伝えるものじゃないですかね」
「めんどくせぇ」
あーこりゃ駄目だ。
紗良の口からも、思わず大きなため息が出た。




