87.テディ
さて、前回ちょっと浮上したかに見えた勇者様。
しかし、今回は…?
書いていて長くなったので、きりのいいところで区切っています。
しかし、勇者様の心の闇はしつこく頑固でした…。
そのしつこさ、お風呂場の黴並です。
確かに、あの瞬間。
精霊が人知を超えた奇跡的な光景を披露してくれた瞬間。
あの時だけは、勇者様の心も奪われ、闇が介在する余地もなかったはず。
そのことは疑いようありません。
しかし。
しかし、ですよ…。
精霊が完全に立ち去って、しまって。
あの光景が維持されることもなくなり、消えうせて。
その途端、思い出したように勇者様のめそめそが復活しちゃったんですけど。
二番煎じネタはもう通用しないのか、それともあの感動は一度目故だったのか。
ネタの模倣という屈辱に歯を食い縛りながら、子竜らが同じ光景を再現してくれたのに。
なのに、今度は見向きもしません。
すんすんと鼻を鳴らしながら、また寝台の上でお籠り状態です。
その状態に、とうとうまぁちゃんが業を煮やしました。
「あぁもう! てめぇ、鬱陶しーんだよ!!」
まぁちゃん…それは傷心中のお子様(精神)に対して、あまりに酷では。
しかし、まあ。
アレです。
気持ちはわかる。
そうして、苛立ちに任せ。
ついにまぁちゃんが、最終防壁(=掛け布)を剥ぎ取り、奪い去ってしまいました。
「ていっ」
「…!!?」
そのまま衝動に任せて、窓からぽいしちゃいましたよ!? この人!
どれほど衝撃だったのか…勇者様が、完全に固まっちゃってるんですけど!?
「まぁちゃん、窓からポイ捨てはお行儀悪いよ!」
これが超合金とかで、窓の外に人がいたらどうするんですか!
落下物注意の立て看板を作らなきゃならなくなるじゃないですか。
「…そういう問題では、ありません!」
…あ。
珍しく、ええ本当に珍しいことですが。
勇者様のなさりよう、それ即ち万事容認…みたいな方針で生きているらしく、私達のアレコレにもツッコミの少ない、サディアスさんですが。
今回は珍しく血相を変えた様子で一声不平を叫ぶと、大急ぎで退室してしまいました。
様子を見るに、ポイ捨てされた掛け布を回収に行ったのでしょう。
もっととんでもないことも色々したと思うんですが、その時は何も言わなかったのに。
サディアスさんの沸点が、わからない…
様子を見かねたオーレリアスさんが、呆れたように一声。
「殿下の身の回りの品は、全て殿下に相応しい物を…とサディアスが厳選しているから」
「あの掛け布も、随分と苦労して入手した物じゃなかったっけ?
確か東の小国でしか作られていない伝統工芸品で、特注品だって言っていたような………」
「同じ物を取り寄せるに、何年かかるって言っていたか…三年?」
…サディアスさんはどうやら、勇者様の身の回りの品々にかなりの拘りがあるようです
サディアスさんが退場した、その後で。
取り残されたのはまぁちゃんと、私と、見守る人々と。
そして布団の上で硬直する勇者様。
…うん、こうして改めてみると、嘗てない弱々しい様にうっかり動揺します。
勇者様は隠れ蓑を奪われ、情けない顔で左右を見回します。
隠れる場所か、縋る縁を探すように。
手が無意識にでしょうか、何かを探して彷徨います。
超絶に良い顔をしたサルファが、絶妙な間で。
「勇者のにーさん☆ はい♪」
見かねたのか、面白がっているのか…用意の良さを思えば、完全に前者だと思いますが。
サルファが、勇者様の彷徨う手に抱かせるような形で。
勇者様が抱き枕に出来そうな、特大テディベアをひょいっと渡しました。
何の思惑があって、テディベア…
明らかに、サルファは遊んでいます。
勇者様が、こんなに大変な時だって言うのに。
私だって、流石に空気を読んで勇者様を労わる気いっぱいなのに。
むっとする私ですが、それは私だけではなかったようで。
先程行動を起こしていた彼が、目を吊り上げてサルファに素早く接近遭遇!
「こ・ん・な・と・き・にっ 遊ぶな!」
そうして、サルファはまぁちゃんに殴られました。
しかしそのお顔は満足に「やりきった…!」感が満載で。
ぐっと上に立てられた親指だけは、吹っ飛ばされてもそのままでした。
そんな私達の、ドタバタなど、意にも止めず。
縋るモノを探していたところ、目の前にソレを差し出された子羊様は…
何か掴むモノを探していたっぽい手は、反射的にがしっと。
テディベアを腕に抱き込み、勇者様はぬいぐるみに頓着しない様子で顔を埋めます。
そうして、顔を隠すことが出来てやっと。
ほっとしたように僅か力を抜いて、テディベアをぎゅっ。
テディベアの後ろからおずおずと警戒心たっぷりに私達の方を見上げてきました。
………うん、可愛いよ。
可愛いんだけど、ね?
これが大の男だとか、すっかり成長しきった青年だとか。
そんなことが関係なくなるくらい、可愛い光景なんですが…。
勇者様が我に返ったら、精神抉れるレベルの羞恥映像と化しているような。
自覚したら顔から火が出るどころか、自死しかねない気がします。
確実に、サルファを道連れに。
なんでしょう、この哀れっぽい生き物は…
普段も普段で、お可哀想にと思うことは珍しくありませんが。
気弱、とは違います。
普段とあまりにかけ離れた、悲痛なまでのか弱いお姿。
これ、本当にあの健やかな勇者様と同一人物ですか…?
きりっとしたお姿とかけ離れすぎて、本当に無残。
胸が痛むと申しましょうか、心が痛むと言いましょうか。
見ているだけで、優しくしよう…という気にしかなりません。
しかしまぁちゃんの心臓は強かった。
「てめぇ、いつまでもうじうじうじうじ…べそべそし過ぎだっつぅの!
いい加減、正気に戻って涙止めやがれ!」
日常回帰を叫んで、ぽかり。
まぁちゃんにしてみれば、軽く。
本当にかる~く、ぽかりと一発。
…殴りやがりましたよ、この人。
まぁちゃんとしては羽で撫でるが如く、優しく殴ったつもりなのかもしれません。
しかし、まぁちゃんにとっては軽くとも、他者にはそうではありません。
撫でるとか持ち上げるとか、触れるとか。
そう言う時にはそこまで力が強いという印象はありませんのに。
まぁちゃんは『殴る』『蹴る』となったら、多分、意図せずして『攻撃行動』に切り替わってしまうんだと思います。
本人、無意識に。
つまり、軽く撫でるように殴ったつもりでも、殴ると言うだけで…
「…いっつぅ!?」
………うん、良い音しました。
勇者様の目が、白黒しています。猫熊です。
ですが勇者様は、人間にしては尋常なく頑健で丈夫な方ですからね。
多分あれ、一般人がくらったら、地面にめり込むレベル。
でも勇者様は、一瞬目を回したくらいで済んだようです。
まぁちゃんも殴って気付いたのか、一瞬「やべっ」って顔をしましたけれど。
しかし何事もなかったように流すことにしたのでしょうか。
手の動きは戸惑いに緩むことなく、次の目標行動に移ったようです。
まぁちゃんの白い手が、勇者様の頭をがしがしと撫でています。
撫でながら、背を屈めて目線を合わせ、穏やかな口調で話しかけました。
さっきの一瞬垣間見せた、失敗顔は綺麗に包み隠して。
「勇者…お前な、辛ぇのはわかるが…いい加減、そろそろ頃合いだろ?
こうしてお前の為にって心を砕いている奴らもいるんだ。
よぉく、周りを見てみろよ。何を怖がることがあるんだ…?」
その口調は、「おにいちゃん」の口調で。
眼の奥には、見慣れた優しい光。
私達の兄貴分、まぁちゃんです。
………その姿が素敵なので、うっすら滲む冷汗には目を瞑っておきましょう。
「な? この部屋は明るいだろう? 怖いもんなんて、何にもねぇんだ。だから、大丈夫だ」
そう言って、更にぎこちなく。
だけど安心感をくれる笑顔が、勇者様に降り注ぎます。
あれ、美形オーラがズビバシ刺さってそうですね。
勇者様も興味を引かれたのか、まぁちゃんの麗しいご尊顔をひたと見つめます。
そこに宿るのは、量るような眼差し。
警戒の奥から、じっとまぁちゃんがどんな人か観察しているような。
魔王相手には、中々向けるに度胸のいる視線ですね!
今の勇者様の頭からは、まぁちゃんの情報もすっ飛んでそうですけど!
見つめ合うまぁちゃんと、勇者様。
警戒心の強い小動物みたいな勇者様。
いつしかまぁちゃんの眼差しも、色を変え…
保護者様の眼差しから、いつしか野生動物を相手取る保護施設の職員みたいな目に……
あれ、まぁちゃん………勇者様が人間だって、忘れてないよね?
根気強く、待ちの体勢で勇者様の気が済むのを待っているようですが。
でもなんだか、勇者様の扱いが希少動物相手みたいな雰囲気になってるんですけど…。
その空気に、呼ばれたのか。
やがて張りつめた両者の均衡を破る様に、加わる可憐な姿。
「よしよし、いいこ、いいこですの~」
「っ!?」
せ、せっちゃん…
いつの間に。
女性を怖がる勇者様ですから、皆、距離感には慎重に気をつけていたのに…。
気付けば、いる。
意識すれば、そこにいる。
そんな感じのさり気無さで、いつの間にかせっちゃんが!
女性こわい状態の勇者様へと、張り付くようにぴとり寄り添ってるんですけど…!
そのまま宥めるように勇者様の手をぽんぽんと撫でてから…
勇者様の頭を小さな白い手で撫で撫で~……って!
せ、せ、せっちゃぁぁぁあああん!?
誰の思惑をも関与させない空気で生きているせっちゃんが、眩しすぎます。
この神出鬼没感…慣れないと、ぎょっと度肝に訴えかける破壊力を有しています。
勇者様もいつの間に隣にいたのか、全然気付かなかったのでしょう。
裏も表もなさそうな、にっこり可憐な笑顔。
至近距離で食らったら、威力も半端じゃないでしょう。
しかし笑顔以上に、その存在と謎の接近に度肝を抜かれた様子で。
勇者様が、先程よりも更に硬直しちゃったんですけど…!
度肝を抜かれた勇者様の硬直ぶりなど、意にも止めず。
せっちゃんは相変わらずせっちゃんでした。
己のやりたいようにやる我が道の往きっぷりは流石は我が従妹…。
せっちゃんはにこにこと、勇者様のさらさらと金色の髪を指で梳いて流します。
「なぁんにも怖くありませんのよ? 良い子ちゃんですのー」
にこにこにこにこ、上機嫌なせっちゃん。
さっきまでは、せっちゃんも勇者様を心配していたんですが…
まぁちゃんが間近で接し始めたことで、もう大丈夫そうと思ったのでしょうか。
それとももっと直接的に、兄の行動をGoサインか何かと思ったのでしょうか。
穏やかな手つきで勇者様を撫でる指は、優しく。
頬笑みは、慈愛に満ちた温かさで。
固まったままの勇者様の額から、冷汗の滝が流れ始めました。
………絶世の美少女を前にその反応は、流石にどうなんでしょうか。
万民の庇護欲を抉る美少女せっちゃんを前にしても、勇者様は変わらないのでしょうか?
今はただ魔王兄妹の間で、息を詰めて身を震わせる。
そんな勇者様の様子に、私は万策が尽きようとしている空気を感じ取っていました。
弱っている相手には優しいリアンカちゃん。
相変わらず面倒見がいいながらも、どこか大雑把で豪華なまぁちゃん。
そして無邪気で無垢なせっちゃん。




