106.甘えて良いかな。
前回のあらすじ
ルシンダ嬢の真意と、現在の状態を探るため。
そんな意味合いで始まった反応実験。
だけど悪ノリしたサルファと、運悪く居合わせたフィーお兄さん。
争い始める二人の前に、連絡を受けた勇者様が二人を止めんと表れた!
暗黒のトラウマ、ルシンダ嬢がいると言うのに…!
さて、そんな折にリアンカちゃんは…!? ←今ここ。
今日はリアンカちゃんが思い切っちゃいます。見た目的に。
これはどうしたもんかと、頭を抱えて良いですか?
目の前は、先程以上の修羅場の芽が今にも爆発的に育ちそう。
だってこれ以上ないくらいに、不穏な面子が揃っています。
骨肉の争いを繰り広げる、フィルセイスの叔父甥コンビ。
そして因縁の元婚約者、勇者様とルシンダ嬢。
いきなり現れた勇者様を見る、ルシンダ嬢の瞳の奥に。
チラリと赤黒い熾火が燃えて揺らめいた気がしました。
それもまた、彼女は何をした人なのかと…
そんな先入観が見せた、幻なのかもしれないけれど。
目の前、私以上に混乱した様子が見て取れる人がいます。
勇者様です。
心なしか、膝が震えていませんか?
彼はぎこちなく鈍い動きで、それでも真っ直ぐに見ています。
視線の先にいるのは、サルファとフィーお兄さん。
不自然なくらい頑なに、ルシンダ嬢に目をやりません。
「殿下…っ?」
ルシンダ嬢の方でも、まさかいきなり勇者様に遭遇するとは思わなかったのでしょう。
さっと顔を青褪めさせ、口元を手で覆って後退りします。
ん?
その態度に、違和感です。
今まで見てきた、勇者様に魅了された人達の例とは何か違うような…
いえ、私もさほど多くを見てきたわけではありませんし。
勇者様のお側で多くの先例を見てきたオーレリアスさん達とか、側近さん達。
彼らなら、他にも見たことあるかも知れませんが。
でも、今まで私が見てきた例と比べると………
勇者様の魅了にやられて見境を失くした人。
彼女達は、どんな無礼な態度を取っても我を顧みず。
むしろこの熱情受け取って!とばかりに勇者様に精神攻撃を繰り返す。
接近遭遇を繰り返して、モンスター化すると思っていたんですが…
しかし、ルシンダ嬢の態度は…控え目、というべきでしょうか。
頬がうっすら染まって、目元も潤んで。
それを見るに、勇者様への想いがないとは到底言えません。
だけど顔にあるのは恋情よりも、悔恨。
とんでもないことをしてしまったと、己を責める気持ち。
これは、ひょっとすると、ひょっとして…?
理性と、正気。
勇者様の魅了にがっつりやられたことがある人なのに。
魅了されてなお、それを有している人。
私はそんな人を初めて見たのかも知れません。
どれだけ模範的に、淑女をやっていようと。
勇者様を前にしたら、理性も正気も吹っ飛んだモンスター化すると思っていたのに。
だけど勇者様との距離は、適正距離。
いいえ、それよりも遠く。
距離を保って、無遠慮に近寄ろうともしない。
己を恥じたような、泣きそうな顔で。
一歩一歩とゆっくり後退さる。
私は意外の念を隠せませんでした。
そしてそれは、オーレリアスさんも。
彼のその反応を見るに、これが破格の事態なのだということは自然と知れます。
今までに、例のない反応なのだと。
………改めて思いました。
勇者様、凄いな…と。
そっか、これ、初めてなんだ……って。
だけど勇者様は気付きません。
だってルシンダ嬢以上に顔を青褪めさせて。
異常なくらいに、顔を青褪めさせて。
頑なに、彼女の顔を見ないから。
眼差しは少しも泳ぐことなく、がっちりサルファをロック☆オン!
これで気付きようもないですよね…。
ルシンダ嬢の動向自体は警戒しているらしく、明らかに身構えているというか…
何がどんな反応しても即座に敵前逃亡できるように、警戒はばっちりだけど。
それ以上に踏み込むことは絶対にないと、そう思わせてくれる潔さです。
いや、女々しいのかな…?
まあ、今まで散々女性への身の危険と戦ってきた勇者様です。
きっとこれは、仕方のないこと…なのかな。
ルシンダ嬢の前で焦っているのでしょうか。
いつもより八割増し余裕のない勇者様。
「何してるんだ、お前達! ここを何処だと思ってるんだ。乱闘騒ぎは外でやれ!
そもそもお前達の決着は、御前試合でつけるんじゃなかったのか!?」
「あー! 勇者の兄さん、ヘルプミー!」
「フィサル! お前は王子殿下になんという口を…!」
「こんな感じでシフィ君がうっせぇんだよぉ~! 勇者の兄さん、助けてー!」
「フィサル!!」
「ああ、もう! 一度黙れ、お前達!!」
勇者様の雷が、二人の脳天に直撃しました。
そうする間にも、勇者様の目が虚ろになりつつあります。
どうやら身近な脅威に、心ががりがり削られていっているようですね。
残りの余裕はどのくらいでしょうか…。
勇者様の顔は、血の気を微塵も残さず失って。
倒れそうな顔色で。
そして、怯えと恐怖に瞳が涙の膜で、揺れていて。
いつも通りの調子は遥か遠く。
いつもの凛々しさはどこにもない。
怒鳴る様に怒る様に、問答無用で叫んでいるけれど。
その声は張りもなければ、普段の活力も全然なくって。
余裕ないんだなと、声だけでわかる位に震えていて。
今にも、割れそうな声。
がくがくと、足の震えは大きくなるし。
今にも倒れそうな、自分を失ってしまいそうな勇者様。
その表情は、なんだか売り飛ばされた子供のように見えました。
ああ、怖いんだな。
辛いんだな、泣きそうなんだな、と。
見ているだけで、わからずにはいられない。
放置していることに、ざ、罪悪感が…!
勇者様登場という有り得ない事態に、ぽかんと口を開けて。
呆けていたオーレリアスさんがハッと我に返りました。
「…ったく。シズリスはともかく、サディアスは何をしているんだ」
そうしてぶつくさ言いながら、腰も軽く立ち上がる。
そうして、物陰からガサガサ出て行こうとしています。
「オーレリアスさん?」
「殿下の精神力が心配なので。物の数にもなりませんが、傍でお支えしなければ…」
そう、使命感たっぷりに言いまして。
「丁度いい。貴女方も来なさい。
少しでも多く、安全と思える誰かがお側にいれば、殿下もご安心なされるかもしれない」
「えー…矢面に立つのは面倒です」
「………殿下に御厄介になっている身。つべこべ言わずに来なさい」
「それを言われちゃ、仕方ないですねー」
現状、私ったらタダ飯ぐらいですからねー…
世話になっている点を言われると、勇者様に助力しなくちゃいけないと思いますけど。
でも女性問題の時に別の女性を担ぎだすと、漏れなく面倒になりそうな気が…
慕う人の近くに自分以外の女性を見つけて、逆上しちゃったりとか、しないかな?
「それ、杞憂ですか?」
「……………」
貴女はここで待っていなさい、と。
オーレリアスさんからの許可が下りたよ、やったね☆
という訳で、高みの見物。
オーレリアスさんは面倒そうなむぅちゃんも引きずって行ったので、本当に一人です。
「………よっ」
そうしたら、背後から肩を叩かれた。
「まぁちゃん!」
「調子はどんな感じだー?」
「いや、なんでここにいんの。勇者様の傍にいてよ」
「ちょっと様子を見にきただけだろ? それに勇者の傍、俺以外にも色々いんじゃねーか。
ちょっとくらい可愛いリアンカの様子を見ても、構いやしねぇだろ」
「まぁちゃんってば…」
明け透けな物言いに、思わず脱力。
「本当に過保護だよね、まぁちゃん」
「お前とせっちゃん限定でな?」
「………いや、それ以外にも結構お兄ちゃんだよ」
なんだかんだ、うちの魔王様な保護者様には敵いません。
あまりに自然に私を庇って、守って、甘やかしてくれるから。
だからついつい、私も甘えちゃうんだよ。
素直に守ってもらって当然だなんて思いあがって、庇われることに満足しちゃって。
私を甘やかすのが最高に上手い魔王様には、本当に敵わない。
でもそれを言ったら、まぁちゃんはきっとこう言うでしょう。
前にそれを言った時。
まぁちゃんは真顔でこう言ったんです。
「それを言ったら、俺こそリアンカとせっちゃんには敵わねぇよ。
俺の頭だって上がんねぇんだから、素直に守られて可愛がられとけ」
甘えとけ、甘えとけ、と。
そう言ってちょっと乱暴にぐいぐい頭を撫でられて。
お返しにまぁちゃんの髪をお団子ツインテールにしたのはそんなに前じゃありません。
調子に乗って髪に花やら宝石やらリボンやら飾ったんですよねー…
…うん、あの時はまぁちゃんこそ可愛かったな。視覚的に。
うっかりそのまま頭部の状態を忘れて部屋を出ちゃった、まぁちゃん。
堂々としすぎた彼の姿が、行きかう魔族さん達を慄かせたのも楽しい記憶です。
さてさて、思い出への感慨に耽っている場合でもありませんでしたね。
私はまぁちゃんの肩をぽかぽか叩いて抗議します。
「まぁちゃん、まぁちゃん!」
「なんだ?」
「勇者様が大変だよー…っていうか、こうしている間にも顔色が超絶凄いことになってるんだけど! 放置してきちゃ駄目だよ!」
「俺の最優先&最保護対象はお前とせっちゃんなの。まあ、勇者が壊れると面倒臭ぇけどなー…」
「その面倒回避の為にも働こうね! ちゃんとお願いしたよね!」
「オーレリアスだっけ? あいつが来たから任せてよくないか?」
「オーレリアスさんは頼りにならないじゃない!」
正直なところを言いました。
ええ、本当にそう思った訳ですが。
どんな地獄耳でしょう。
聞こえたのか、遠くからオーレリアスさんがキラッと睨んできました。
よし、私を睨むとはいい度胸です。
私だって面倒は嫌だし、矢面は最悪だし。
それに元誘拐犯の何をするかわからないと勇者様に評された女性…
未だどんな人かよく分からない、ルシンダ嬢の前には絶対に出ていきたくありませんが。
私がいるせいでまぁちゃんがここにいるなら、問題です。
だって最強の戦闘力。
ここで最強の抑止力とは、成り得ないのが切ないですが。
何かあった時、最も頼りになるのはまぁちゃんだもの。
本人認めないでしょうけれど、それは勇者様も分かっているはず。
そんなまぁちゃんを、今の勇者様から引き離すのは…
うん、勇者様の心の余裕的な意味で、とても大変です。
少しでも心強いと思ってくれれば、それで心は余裕を持てるもの。
まぁちゃんが離れたことで、勇者様が切羽詰ってないか…
心配。心配なんですよ。
なので私は、まぁちゃんの陰に隠れようと思います。
それなら安心、安心ですよ。
何だかんだで、一番安心できるのは。
やっぱり強くて私を甘やかしてくれるまぁちゃんの懐です。
「………リアンカ? これ何の真似だ?」
「二人羽織~!」
「……いや、まあ。お前がそれで納得して、満足ならいいんだけどな?」
という訳で、物理的に合体しました。
今日のまぁちゃんが余裕のある服装で良かった!
だぼっとした上着だったお陰で、私も頭からすっぽり隠れます。
私はまぁちゃんにおんぶしてもらって。
その上から、大きな上着をすっぽり被って。
傍目に異様に見えようと、不自然だろうと。
これなら私の顔は絶対に出ません。やったね!
上着の前から私の足(脛)がにょっきり出ていましたが、気にしません。
どんなおんぶお化けだと言われても、気にしません!
………後から思った、訳ですが。
この時の私は、やっぱりきっと結構混乱していたんだと思います。
ルシンダ嬢への不安と。
勇者様登場への心配と。
場の混沌具合に、脳がやられちゃっていたんだと思います。
でも一番悪いのは、きっとまぁちゃん。
止めろよ。
従妹が何かおかしいことし始めたら、止めてよ。
何故、こんな状態を容認したのか………。
やっぱりまぁちゃんは過保護で、そして私に甘過ぎると思います。
………うん、自分の名誉にも関わることは、絶対に止めてほしかったな。
そして、満を持して。
騒乱と恋情と狂気と執着。
懸念と心配と恐怖と警戒。
どろどろと様々な物の渦巻く混沌の坩堝に、満を持して。
超絶美青年とおんぶお化けの謎コンビが乱入です。
………何この混沌。
さて、どうなる次回!?
あまりに混沌とし過ぎて、小林もちょっと予測が不可能になって来ました…。
この指が、指が気付いたらこんな事態を引き起こして…!
………キーボード叩き出して、乗ってくると止まらないんですよね。
いつも通り、ノリと勢いだけで書いています。
さあ、勇者様はこの混沌とした状況にどう立ち向かうのでしょうか。
今こそ、彼の勇気の見せどころじゃないですか(爆笑)
次回:107.躙り寄る恐怖
お楽しみに!




