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第30話『寝取られ男と血の湖』

『お前は無能だ。どこまで行っても英雄にはなれず、どこまで行っても凡人のままだ』

 

 なにもない鏡面のような湖面。

そこに俺は立っていた。ただ、とんでもない寒気と、ぞわりとするような冷気が肌を包み込み、そしておぞましい声が脳裏に響く。



 そして湖の色は透き通っておらず、どす黒いまでの真紅に染まっており、同時に俺の手も血にまみれていた。




『お前は英雄になるために人を殺し続けた。それで呆気のない死を遂げてようやっとやり直せたと思ったか?それはお前の思い込みだ。お前は所詮、やりなおすことなどできない』





 脳に幻聴が響く。

一言だけではない、何度も、何度も、反芻して反響するように低い声が脳みその中を噛み砕くように響いていく。



 俺の脳裏に浮かぶ、山賊の脅威がなくなったクローバー村の風景やみんなの笑顔が、べっとりとした血で隠れる。



 山賊に女という女が犯され、男という男が殺され、燃やされる村の風景が脳裏に浮かんだ。



 俺一人、生き残った。

母さんや、父さんも、俺のせいで死んだ……。俺の、せいで。



 奥歯を噛み砕いてまで、俺は武術を覚えた。

手に血が滲むほどに。でも、それでは足りなかった。俺は結局、みんなを救えなかった。




『そうだ、お前が救われることなどない』


『お前に救いなんてない。お前は誰も救えない』


『お前は英雄ではない。英雄なんかではない』


『お前はただの凡人だ。お前はただの凡夫だ』



 頭が、とたんに痛くなる。

目から熱い涙が、血の涙がドロドロと目から垂れ流される。



 そして、目の前にあの女……エリシアが現れた。

だが、その目は空洞のように真っ黒で……深遠の闇のように深い。



『おちこぼれ』


『人並みの幸せなんてお前には手に入れられないのよ』


『永遠に、そこで嘆いていなさい。あなたには誰もいないけれど、私にはフィールがいるもの。あなたみたいな人殺しは必要ない』



 やめろ。やめてくれ。

これ以上、俺に思い出させないでくれ。あのときの劣等感と、苦しみと、辛さを。





 そして、今度はヴィクトリアが現れた。

その目からは血の涙が垂れていて、肌は青白く死体のようだ。




『なぜ先生は英雄ではないのですか?』


『先生はなぜ凡庸なのですか?』


『なぜ、あのとき私の兄を殺そうとしたのですか?』


『人殺し』




 じくりとナイフを手に取ったときの重みが思い出される。あのとき、ヴィクトリアの兄……処刑されたあの男の涙に濡れた顔と夕焼けに照らされた現実味のない回廊の情景が脳裏に焼き付いたあの写像がフラッシュバックする。



「おぇ、おええええぇぇ!!!」と、俺はとても激しく嘔吐する。


 


「あ、あぁ……」

 だが、出てきたのは吐瀉物ではない。俺が今まで殺した者たち、俺がいままで……成り上がるためや誰かを守るためににという理由で殺した魔物や山賊や帝国兵たちの顔が、赤い液体にぶくぶくと浮かび上がり、俺を睨みつけていた。




 







 やめてくれ。

これ以上、俺は……俺が――――。

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