第28話『寝取られ男は父を救う』
死臭が鼻腔を覆う。
そして、目に入ったのはたった一人立ち続ける父さんの姿だった。
長く湿った洞窟を走っていた足が痛みを訴える。
喉奥が、肺が、血の味を感じさせる。
だが、だけど、それでも、俺は!
「父さん、まだ諦めちゃだめだ!」
思い切り今までで鍛えた筋肉を収縮させ放つ。そして俺は余裕そうに戦う父さんを見ていた明らかに普通のゴブリンとは違う見た目をした―――ホブゴブリンへと錆びた剣を構え飛びかかる。
「ニンゲン!?ナゼココニ!」
「うおぉぉぁぁぁぁ!」
さすがホブゴブリン、反応速度が他のゴブリンとは違う。
だが咄嗟に防御で振るわれた黒曜石の槍では剣という鉄の塊に耐えきれず、ついに俺の手に僅かながらも手応えが生まれる。
黒曜石の槍を砕かれ、更に胸を強く殴打されたホブゴブリンはそのまま土壁にふっ飛ばされて叩きつけられた。
「父さん、早く!」
「ジョン、お前がなんでここにいる!」
ホブゴブリンに隙が生まれ、同時に父さんを囲んでいたゴブリンたちに油断が生まれる。その間に俺は父さんを呼んだ。
「詳しい説明は後でするから、早く来て!」
「くっ……わかった!」
父さんが油断したゴブリンを長剣で吹き飛ばして、そのまま僕のもとへ駆け寄る。
「父さん、あっちから逃げられるから!」
そして俺は疲弊した父さんの肩を持って、急いで洞窟の入口へと逃げる。ホブゴブリンやゴブリンも体勢を立て直したのか、俺たちを追う音を響かせながら近づいてくることがわかる。
「やっぱりゴブリンリーダーがいると立て直しが早いな」
俺は小さくそう呟く。
普通は突然あんなことがあればしばらくパニック状態になるのがゴブリンだ。しかしそれがない……本当に厄介だ。
「ジョン、お前だけでもいいから逃げろ。なんでお前がここにいるからわからん、だがお前が死んだら母さんは一人になるっ」
「俺は父さんを助けに来たんだ!こんなところで見捨てるわけにはいかない!」
「馬鹿野郎!息子は親の言うことを聞くもんだ!」
「俺も母さんも、父さんがいないと駄目なんだよ!」
父さんがいなくなったら、前世みたいになる。
家族の幸せが、全部消え失せてしまう。他の人は助けることはできなかった。だけど、それでも父さんだけは助けないといけないんだ。
それに正直に言えば、俺は父さんだけが生き残っていてよかったなんてことも思ってる。
そんなのは人間のエゴかもしれない。他の死んだ人たちも家族がいるだろう。でも、そうだとしても俺はやっと掬えた運命の雫を手から零したくはないんだ。
「……本当に、お前はバカ息子だ」
「俺は父さんの息子だから」
足場の悪い、死体や血まみれの洞窟を父さんを支えながら駆け上がっていく。
ゴブリンたちの声はどんどんと近くなっているのが耳に響いている。このままじゃ間に合わない。だけど、誰も見捨てるなんてことはできない。二人して生き残らないと意味がない。
足をくじきそうになる。
足元がおぼつかなくて足首に捻挫をしたときのような激痛が脳を揺らす。それでも、奥歯をギチギチと噛んで耐える。進まなきゃ、進まないといけないんだ。
「ニンゲンメ、ゼッタイニニガサンゾ!!」
ホブゴブリンがわざとらしく人間語で言ってきやがって。
上の方を見ると、月光の光の差し込む出口が見える。おそらくはもう少し行けばホブゴブリンたちは追ってこなくなるだろう。
そう思い、足を踏み込んで上に上がろうとする。
その時、突然俺の平衡感覚が崩れた。
嘘だろ?
こんなところで、終わるのか?
どちゃっと、洞窟に溜まった泥に体を打ち付ける。
父さんの方を見ると、父さんはなんとか立ったまま耐えてたみたいだった。
「ジョン、大丈夫か!」
「と、うさん」
くそ、畜生。
もう少し鍛えておけばよかった。そうすれば逃げられた。
諦めの考えが脳裏に浮かぶ。
せめて父さんだけでも。
そう思いもするが、振り払う。一度だけ与えられたリセットのチャンス、絶対に無駄にするわけにはいけない。
「……父さん。上の方でボーグたちが毒煙の準備をしてる」
「なら、お前も早く立て。一緒に家に帰るんだろう!」
「疲れた父さんが僕を持っていったら間に合わないよ」
「なら、俺も残る。父親が息子だけ残すわけにはいかん」
父さん、本当頑固だなぁ。
俺も、そんな背中にずっと憧れてた。
「父さん、先に上に登ってボーグたちに毒煙を放つように言って。あと……村の兵士の人たちも」
「ッ、それじゃあジョン!お前が!」
「足止めくらいならできる……から。父さん、お願い」
ゴブリンたちがどんどんと近づいて来ていた。
このままじゃ、間に合わない。
「ぐ、ぅ、ッ……!」
父さん、本当に親不孝でごめん。
でもこれしかやりかたがないから。
「――ジョン、絶対に死ぬなよ。父さんはすぐ戻る。だからそれまで、絶対に死ぬな」
「うん」
「お前は強い子だ。絶対に死なない……」
本当は体格の大きい父さんを囮にしたほうがいいんだろう。
父さんもそうしたいはずだ。でも、疲弊度で言うなら父さんのほうが遥かにひどい。
だから、消去法で俺がやるしかないんだ。
俺が、ゴブリン相手に耐えるしかない。
そして父さんが上の方へ駆け上がっていく。
これで、後戻りはできない。
「オロカナニンゲンメ、ダガソノユウキハミトメテヤル」
「ゴブリンごときに褒められても嬉しかないね」
「オマエタチ……ソコデトマレ。コノニンゲンハワタシガコロス」
普通のゴブリンより体格の大きなホブゴブリンがそう言ってゴブリン達を止める。
「いいのか?このまま集団で捻り潰したほうが早いぞ?」
「タカガヒトノコドモゴトキニマケルキハシナイ」
随分となめられたもんだな。
そのガキにさっきジャンプ切りで槍を折られてるくせによ。
「ソシテオマエヲコロシ、ウエデマッテイルモノモコロシテヤロウ」
「それじゃあ、尚更行かせられないな。精々子供って侮ったことを後悔させてやるよ」
立ち上がり、錆びついた剣を構える。
そよ風が吹き、ロウソクが揺れる。
正真正銘、あの金髪兄を除けば俺がリセットしてから初の殺し合いだ。
だからといって、死ぬ気はない。
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