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第20話『寝取られ男と決着』

「先生、やめてください!」

 ぴたり、と俺の腕が止まった。

ナイフの刃先が、金髪兄の喉仏に触れている。


「ヴィクトリア」

「もう、やめてください。それ以上やれば先生が罰せられてしまいます!」

「ひ、ひふとひあ!」

 安堵したかのようにヴィクトリアを見る金髪兄。

だが、そんな金髪兄を見るヴィクトリアの目はとてつもなく冷たくて……軽蔑の感情が滲み出ていた。


「兄さん」

「ひゃ、ひゃんだ?」

「今まで……私が兄さんに暴力を振るうのは何か理由がお有りなのだと思っていたんです。ですが、此度のこと全て聞かせていただきました」

 するとヴィクトリアはカツカツと俺の元へと歩み寄ってきた。

金髪兄は何を言っているのかわからない、というような表情をしている。


 ヴィクトリアはしゃがんだかと思えば、俺のナイフを握る手を両手で包み込むかのように覆う。


「先生、それを渡していただけませんか?」

「あ、あぁ……」

 その底が見えない深海のような瞳に見つめられて物怖じでもしてしまったのか、俺はヴィクトリアにナイフを渡してしまう。


「ありがとうございます、先生」

「ひ、ひふとひあ?」

「兄さん、私は兄さんのこと、今まで敬愛していました」

 ヴィクトリアは再び立ち上がると、事情が飲み込めていない風な金髪兄を見下す。それは今までのヴィクトリアが金髪兄を見つめていたどこか怯えたような目とはまったくの別物だった。


「私は母様が公爵家の方だったこと、当時の父様と駆け落ちして私が生まれたことを知っていました。でも、それでも私は自分の血統がどうだとか、考えたことはありませんでした」

「でも、兄さんは私のことを私と見てはいなかったんですね」

「ひゃ、ひゃひをひっへふんひゃ?」

 ヴィクトリアが、ゆっくりと優しく微笑む。

そして、金髪兄の耳元に座り込んだ。まるで、今から子守唄でも歌うかのように。


「兄さん」

 ガッ!と硬質な床を突く音が響く

静寂が、訪れる。


「ハーッ、ハーッ」

 金髪兄の頬に、浅く細い血の線が走る。

瞳は完全に怯えており、金髪兄は細かく震えていた。


「もう二度と、先生と私に関わらないでください」

 そう言ってヴィクトリアはナイフを捨て立ち上がると茜色に反射した長い金髪を揺らし、こちらへ振り返る。その目は、慈母のようだった。

一方で少しばかりえたような香りがする。

俺も立ち上がり見てみると、金髪兄は失神して粗相をしていた。


「先生、行きましょう」

「……このまま放っておいていいのか?」

「いいんです。もう、その人を家族だとは思ってませんから。それよりも先生」

 ヴィクトリアが後手を組んで微笑む。

だが、先程を見ていたせいか少しばかり体が硬直してしまう。


「先生は、私を兄から守るために来たんですよね」

 カー、カー、とカラスが鳴いている。

ガラスの向こう側には一面の夕雲が広がっていて、それを背景にでもするかのようにヴィクトリアが立っている。


「……そうだ」

「じゃあ、もう家庭教師はやめられるんですか?兄さんは今後私を襲うことはないでしょう。先生が残る理由は……なくなったと思います」

 確かに、目的自体は達成された。

金髪兄は完膚なきまでにボコられて、腹違いの妹にナイフで殺されかけたんだ。まともな神経の人間なら今後ヴィクトリアに喧嘩を売ってくることはないだろう。


 辺境伯もなんだかんだ俺に護衛を任せたということはつまりこういうことも予想してたんだとは思う。だが、正直言って俺はまだ学びたりてない。


 どちらにしても、任務を達成したのなら辺境伯から俺に辞表が来るはずだ。一々自分から辞める必要はないだろう。


「いえ、辞めませんよ。辺境伯閣下から言われるまではやめるつもりはありません」

「そ、そうですか!ふふっ、それならよかったです!」

 するとヴィクトリアはやけに嬉しそうに笑う。

まぁ、今までまともな友人もいなかったんだろう。理由もわからなくはない。


「その、先生」

「うん?」

「勉学だけじゃなくて…私、武術を習います」

「強くならないと、いつまで経っても弱いままじゃいられませんから」

 覚悟の決まった顔だ。

そうか、なら好きにしろ。少なくとも俺に止める権利はないし、覚悟決めてる人間に口をだすほど俺はアホじゃない。


 辺境伯家なら良い武術の教師もつけてくれるだろう……もっとも、女に武術を学ばせるなんてこと、こいつの父親が許してくれるかはわからない。




 だが。

ふと情景が蘇る。


 もし、俺があの時金髪兄の首を刺してしまっていたら。

その時はヴィクトリアに恨まれていたのではないか?


 俺も頭が熱くなって、金髪兄を殺そうとしてしまった。

理性が、止めてくれなかった。


 なんにも、変わってない。

力や技だけ強くなっても、根本が……なんにも変わっていない。


 俺の武術は偽物だ。

その紛い物で、なんとか前世は生きてこられた。


 だが、今俺は金髪兄ヘンリーを殺そうとした。

後先考えず、感情で殺そうとした。 


 そんなので、村が救えるのか?

後先考えずに戦って、勝ったとしても村が壊れてしまっては元も子もない。実は村を襲ってきた山賊は先遣隊で、アジトがあるのかもしれない……だが、襲ってきた山賊を皆殺しにしてはアジトなんてわかるわけがない。


 そうだ、ジョン。冷静さを持て。

油断しちゃいけないんだ、この世界は。油断して感情なんかに任せたら……取り返しのつかないことになる。


 この世界は童話やおとぎ話なんかじゃない。

どれだけ鍛えても馬に轢かれたらあっさりと死ぬような、氷みたいに冷たい現実なんだ。

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