第22話『少年と竜神』
「あなたは死ぬの?」
ジョンの鼓膜が、わずかに揺れる。
眼の前には緑掛かった純白の髪と装い、そして息を呑むほどに深い紅色の瞳をした少女―――竜神が立っていた。
どこまでも水平線が広がる、無限の湖のような空間。おそらく、自らは瀕死なのだろうとジョンは不思議と自覚した。
「託せるものは全部託したから、死んでも後悔はないよ」
「だけれど、死んではもう後戻りはできないわ」
「竜神が蘇ってみんなを虐殺し始めるよりはずっとマシさ」
ジョンのその言葉に、竜神は悲しげに微笑む。
それは先程まで戦っていたものとは大違いのように思えることだろう。
「竜神様はもう息絶えたわ、戦うのを諦めたから。今あるのは力の残滓と、器として作られた私の意識だけ」
「それは良い、俺は無事に仕事を果たせたってわけだ。あんたと一緒に、力の残滓も消えていくんだろう?」
「えぇ。それでも……私は生きたいの」
「世界なんて汚くて苦しいだけだ。死んだほうがマシだよ」
「それでも見てみたいの。暗い洞穴や森の奥以外の、広大な外の世界を」
「……でも無理だ。あんたと俺は此処で死ぬんだから」
ジョンはそう独りごちるように呟いた。
しかし、器はジョンの手を取る。
「一つだけ、方法があるの。 あなたの魂に、私の魂と竜神の残滓を融合させることよ」
「それで俺の意識を乗っ取ろうってことか?」
「そんな事はもう出来ないの。器の魂は人と比べてずっと儚いものだから。あなたの魂の欠けた部分を埋めて、意識の隅に同居するだけ」
「竜神の力が増えていったら別だろう?」
「力自体に意識はないわ。さっきも言ったけど……もう、竜神様の魂は諦めてしまわれたから」
ジョンは押し黙る。
目の前の少女が嘘を並び立てている可能性もある。
……だが、その目と言葉、態度や吐息には嘘の音色が感じられなかった。
「あんたで魂を修理すれば、俺は生き延びられるのか?」
「えぇ。それと……竜神様の残滓が使えるようになるわ。あなたのほうが権限は上になるから」
「悪くはない話だが……」
やめておく。
その言葉が出ない。どうしても、引き出すことができない。
ジョンの脳裏にはあらゆる言葉が渦巻いていた。
その一つ一つが、"生きて帰りなさい"と響いている。誰かが意識の奥で"生き延びろ"と叫んでいる。喉が枯れるほどに。
「……」
「それでも駄目なら、私はこのままあなたと一緒に消えていくわ。あくまで、選択肢だもの」
悲しげに目を伏せる器。
だが、ジョンは差し伸ばされた手をがっしりとつかむ。
「……なぁ。あんた、以前森の中で歩いていたことあったか?」
「―――もう、記憶も壊れてるから。それでも、昔に……湿った土を歩いていた覚えはあるわ」
「そうか」
ジョンはなにか思い出しながら、口角を上げる。
預けても良いと、そう決めたのだろう。
「分かった、あんたの誘いを受ける。リスクはあるが、それはいつもの話だ」
「本当に?」
「あぁ。だからさっさと俺を修理してくれ。竜神サマ」
ジョンは明るげに笑いながら、高々と宣言した。
『生きて帰りなさい』……その言葉に少年は、確かに突き動かされていたのだ。




