閑話2『ピエールという男/前編』
幼い頃、私は帝国の貧民街に生まれた。
貧しき家庭で父は酒に溺れ、母は幼い私を放って蒸発した。幼き時の名前はなく、ただ『おい』とだけ呼ばれていた。
だが、父は私が生まれる前は良い銀細工師であったという。 その類稀な手先の器用さを使い、薄い銀の板に美しいレリーフを彫刻するほどの実力を持っていた。
しかし時の皇帝は細工師たちを貴族の富にしがみつく愚か者と称し、一切の職を禁じたのだ。
異常な行動だったとしか思えない───細工師の力を求めたのは自己顕示欲にまみれた貴族ではないかと、私は今でさえも思う。
そして父は没落し、母はどこかへと逃げ去った。
幼き私は生きるためになんでもした。川底のヘドロを漁り、なにかないかと朝から夜まで血眼になった。
盲目を装い、物乞いもした。
成長して体が大きくなれば、強請りや盗みにも手を出したのだ。
だが、家に帰れば安酒で酔った父に殴られ。
稼いだ金はといえば酒代に消える。
いつしかこんな生活が苦になった私は、いつものように父から『おい』と言われ殴られたとき。近くにあったナイフで父の頸を切り裂いたのだ。
スラムから抜け出し、ありったけの金を持って帝都から出た。 隣国ブロッサミアは自由の国、誰でも平等に受け入れると聞いた私はひたすらに西のほうへと進んでいく。
国境は馬鹿な兵士たちばかりだった。
少し金を握らせれば私を見逃し、そのままあっさりとブロッサミアへと入国できた。 帝国は貴族主義ゆえ、農民生まれの兵士たちの給料と士気は低かったからだ。
そしてようやくたどり着いたブロッサミアの大地は帝国と違った。 町中で魔導機関の噴煙や薄汚く危険な魔導廃棄物の悪臭はない。
草原には花々が咲き誇り川は透き通るように美しく、立ち並ぶ城たちは心安らぐほどに美しかった。
そして私は町中で名を尋ねられたとき、『ピエール』と名乗った。憎むべき父の名であったが私はたまたま精霊教の神父に拾われ、領都シャムロックの教会で働くことになる。
教会では1日に二食、朝晩に食事が出た。
朝は刻んだカブの薄味スープ、薄くカリカリに焼かれたパン、そして旨味の強いブラッドソーセージ。晩は味わい深いニシンとニンジンのブラウンシチューと食べごたえのある黒パン。
食べ物といえば腐った干し肉などしか味合わなかった私にとって、それらはまさに天からの食事だった。
そして神父から字を教わりながら精霊教の聖書の他に教会で用意された本を読み、私は学問というものを学んでいった。
満たされた人生。
そう満足げだった中で私は朝の礼拝が終わると、いつもの読書の時間、〈クーヘンハイム考察〉と呼ばれる古びた帝書を見つけるのだった。それが自身の運命を大きく変えるとは知らずに。




