カノンの想い(後編)
マリの家に来た私はそれまでの経緯や家を飛び出した事情を説明した。
「な、なんですとぉ? カノンちゃんが結婚……!? ダメに決まってる!! そんなこと!!」
「マリぃ……っ!」
あぁ、貴方ならそう言ってくれると思っていたわ。感動の余り腕に縋り付く。
「ふぉぉおお〜!?」
義憤に駆られたマリが興奮して唸り声をあげる。そんなにまで私のことを思いやってくれるなんて……益々感動。
「でも、明日からはどうしたら……」
「しばらくここに居なよ」
「流石にそれは悪いのではなくって? 親御さんにも聞いてみないとですし」
「それもそうかぁ……じゃあ今からお母さんに聞いてみるね」
徐にスマホを取り出したマリは母親に電話をかけ始める。そんなにアッサリ許可が出るものだろうか?
《もしも〜し。今立て込んでんだけど〜?》
「もしもし、お母さぁん? ちょっと大事な話があるんだけど、今ダメぇ?」
《あー、大事な話かぁ。じゃあしょうがないなぁ》
「オッケー! じゃあビデオ通話にするね」
ちゃぶ台に置かれたスマホの前に正座して画面を覗き込むと、そこには締め切り前の漫画家のような格好の人物が映っていた。ややボサっとしたひっつめ髪に瓶底メガネの女性で、片側の頬にはインクらしきシミまでついている。
《あっ……いけね、インクついてら。ちょっと落としてきてもいい?》
「構わないですわ」
《……ですわ!? お嬢様キャラきたーーーーー!!!》
マリのお母様は奇声を上げながら画面の外へ消えていく。賑やかな性格の方なのかしら……。
《どったの、その人?》
「お母さん、これが噂のカノンちゃんだよ! 高校の同級生で、お嬢様の!」
《あぁ〜、リアルお嬢様でリアルですわ口調だっていうカノンちゃんか!》
一体どういった認識ですの……!?
「実はかくかくしかじかで、暫く家に置いてあげたいんだけど、いい?」
《許す許す》
「えっ? さ、流石にもう少し考えられた方が……迷惑ではありませんの?」
《迷惑はかけてナンボ! かけちゃったらかけちゃったで、恩返し出来るように頑張れば良いんだから〜》
「流石お母さん、カッコいい〜♪」
《フッ……『自分、一人で生きていけるんで』みたいなこと言うヤツはガキよ。あの頃は若かった……》
回想に酔うお母様をよそに、思わず私はマリに跳びついて喜んだ。
「今日からマリと暮せるんですのね! 夢のようですわ……!」
「か、カノンちゃん、くっつきすぎ……」
《ふぉおおお!? これがリアル百合の力なのか!? 捗る! 仕事が捗ります!》
「あの、さっきから気になっていたんですが……ご職業は?」
《え? 漫画家だけど?》
やっぱり、そうでしたか。
「気にしないでカノンちゃん。お母さん普段からこんな感じだから」
《こんな感じとは……ってそんなこと言ってる場合じゃねえ、締め切りがやばいんだった! 編集に殺られちまうぅ……ッ!》
「これも普段通り、ですの?」
「う、うん」
《あれ? デッサン人形どこ行った?》
画面の向こうでは相変わらずマリのお母様の一人芝居が続いている。
《……あーもう、かくなる上は! マリ! お嬢様〜!》
「カ、カノンですが……?」
「えっ、アレをやるのぉ!?」
……アレとは?
◇◇◇
お母様から何やら指示を受けた通りポーズを取らされる。これも恩返しの一環なのか?
《それもうちょっと右! 腕下げて……あ、やっぱりもうちょい下〜!》
「えぇっ! もっとぉ!?」
「ちょ、ちょっと重たいですの……!」
ちゃぶ台の前で背中合わせで二人、両腕を組んでポーズを取らされる。ちょうど学校の体育でやる準備運動の「担ぎ合い」のような体勢だ。
《素晴らしぃ……! 素晴らしいよ君達! やっぱモデルが良いと捗るなぁ!》
「こ、これはどう言った意味のポーズなんですの?」
《え……聞きたい?》
「い、いえ。やっぱり結構ですの」
知らない方がいい気がする。というか何故背の高いマリの方が私の上なのだろう?
《あ〜、それは何つうか、強調する部位の問題というか……》
「部位? 部位って、どこの部位ですの?」
《じゅ、純粋な眼差しが痛い……! そんな清らかな目でこっちを見つめないで……!》
アタリを取るだけとは言え、長時間にわたって同じ姿勢をキープするのが案外厳しい。少し汗を掻いてきてしまった。
「ま、まだですの? ハァ……」
《あ、その表情いいね? 続けて?》
「え、いい表情……ですの?」
何の絵だろう。
体育の場面とかだろうか?
《ふぅ〜、完成! いやぁ、捗ったわ。漫画家はみんな一家に一台、美少女モデルを完備するべきだよなぁ!》
「お母さん、それ捕まっちゃうよ?」
「あ、危ない人ですわ……」
「大丈夫! カノンちゃんは私が守るっ! ぎゅ〜〜っ♡」
「むぎゅーーッ!?」
《おぉ……ふつくしい……創作意欲が湧いてくるぜ……》
何やら呟きながらお母様は画面の外に消えていき、それきり通話はプツリと途絶えた。嵐のような人だったな。
「ちなみに、どんな漫画を描いているんですの?」
「そこの本棚にあるよ。全部お母さんの本」
「全部!? これ、全部ですの……!?」
凄い。こんなにたくさん。
もしかしてお母様って売れっ子……?
驚きとともに一冊の漫画に手を伸ばす。
私、モデルになったなんて凄くない?
「カ、カノンちゃん! それは初心者向けの作品じゃないからぁっ!?」
「……〜〜〜〜ッ!!!!」
そこは私の知らない世界だった。
ゆ、百合の花が咲き誇っていますわ……。
◇◇◇
マリとの生活が始まった当初、あの出来事のショックから、しばらくは何もする気になれなかった。
けれども彼女は辛抱強く待ってくれた。
私にはそれが何よりもありがたかった。
一緒に住めば喧嘩もしない訳ではない。
生活だって楽ではない。
家賃を折半するためにバイトに励み、家事を分担し、やっとの思いで日々を送った。
けれど一日の最後は二人でお喋り。
いつも横並びで眠る。
そこには優しさだけがあった。
出来ないことはマリに頼もう。
彼女が出来ないことを私がやればいい。
そうした日々を送るうち、いつしか余裕が生まれてはたと気がつく。
マリはこれでいいのだろうか。彼女にとって私との生活は本当にベストなのだろうか。
まだ若いし、恋だってしたいだろうに。
行く行くはもしかすると結婚だって……。
その未来図に、果たして私の姿はあるか?
◇◇◇
夜、何となく眠れなくて起き上がる。
隣には、いつもと同じマリの寝顔。
最近はどうだろう。あまり面と向かって話す機会がないかも知れない。恋人でも作れば彼女も安心して自分の幸せを追求出来るかと思ったのに、どうやら空回っているようだ。
最初の頃は違った。
恋なんて眼中になかったし、二人で事務所のオーディションを受けるとは思ってもみなかった。元お嬢様だと言ったらウケて受かったのは謎だったけど。
「想い……か」
大変な時代にも愛はある。それを教えてくれた彼女に、どんな言葉で気持ちを伝えたらいいのだろう。
何となく辺りを見渡す。
もちろん誰も見ていない。
マリの寝顔にも見たところ変化はない。
思い切って、耳元に顔を近づけた。
「ずーっと一緒にいて。マリ」
頬にそっとキスする。
途端に恥ずかしくなってきて、私は大急ぎで布団に潜り込んだ。
その後何があったのかは知らない。後日、ユウさんに電話で「リア充爆発しろ」とだけ言われたのが、とにかく謎な出来事だった。




