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15 一目散の激突

 胸元に跳び込んできたレーグネンの身体を抱きしめるかのように、アイゼンは両手を引き寄せた。

 その唇から一筋の血が垂れ落ち――やがて、咳き込みながら血の塊を吐き出した。


「アイゼン……!」


 むしろ、攻撃したレーグネンの方が痛ましい表情を浮かべている。

 剣の柄を離そうとしているのだろうが、両手の力が抜けているらしい。肩を抱かれたまま、身じろぎをしているようにしか見えなかった。

 アイゼンはその胸元を覗き込むように、ゆっくりと身体を傾ける。


「レーグ……君を、1人では逝かせな……今、側に……」

「アイゼン!」


 一緒に座り込んだレーグネンが、倒れかけたその身体に両手を伸ばす――が、力が足りず、結局は共に倒れるしかない。

 押し倒されるように下敷きになる直前で、脇を取ったオレがレーグネンの身体を支えた。

 アイゼンだけがずるりと滑り落ち倒れ込み、ちょうど身を翻した青龍の動きでその背から振り落とされる。


 落ちていく彼女の満足げな口元で――ようやく全てを理解した。

 死ぬつもりだったのだ、きっと最初から。

 青龍将軍の約した通りに、レーグネンの手によって。


 かつての青龍将軍ならば、きっとアイゼンの希望を聞いて速やかに応えたに違いない。だが、今のレーグネンは、普通の状況では応えられないだろうから。


「嫌だ! アイゼン!」


 慌てて駆け寄ろうとするレーグネンの身体を、オレが引き止めた。


「放せ、アイゼンを助けねば!」

「無駄だ、届かん! それより朱雀を倒さねば、飛竜騎士達も長くは保たんぞ」

「だが、そんなこと言ったって、アイゼンだって――!」


 指示より先にレーグネンの意を汲んだ青龍が、落ちていくアイゼンの身体を追って急降下を始めようとした時、真下から狂乱する声が聞こえてきた。


「アイちゃん! いやあっ!」

「――フルートか!」


 見下ろせば、うまく速度を調節して、飛竜の背に乗ったフルートがリナリアの指示のもと、アイゼンの身体を受け止めたところだった。滑らかにキャッチするタイミングの良さに、副団長の飛翔能力とリナリアの指揮能力、フルートの身体能力の高さがうかがえる。


 こちらに向けてハンドサインを送ってくるリナリアの姿を見て、腕の中のレーグネンがほっと息をついた。


「まーた、情けない顔してますねぇ」


 フルートとリナリアが跨っているのとは別の飛竜騎士が斜め下から浮き上がり、青龍の真横につく。

 その背を見れば、先に着地したはずの見慣れた顔ぶれ。フルートがここにいることで予想はついていたが、実際にその顔を見れば、自分のどこかに安堵する気持ちが湧き上がってくることが……微妙に悔しい。


「グリューンと……シャッテンか」

「よ、さっきぶりだなぁ。あちらのお嬢さんがどうしても嫌な予感がするって言うもんで、尻を落ち着ける暇もなく様子見に来ることになっちまったよ。後ろのヤツはまた飛ぶんですか嫌なんですけどケツ痛いんですけどってうるさいけど、朱雀が出てきたからにゃ、こいつが必要だろ?」


 親指で指されたシャッテンは澄ました顔だ。


「ケツ痛いなんて下品なことは言ってませんけどね」

「言ってたじゃねぇか、隠す必要あるか?」

「聞き違いじゃないですか? そうじゃなけりゃ、あなた自身のことじゃないですか?」

「なんでそういうどうでも良い見栄はりたがるのか、全く分からん……」

「レーグネンが弱ってるのをニヤニヤ眺めてるとこなのに、私の弱みを公開したりしたらフィフティフィフティになっちゃうじゃないですか!」

「……何の戦いだよ」


 ため息をついたグリューンは、気を取り直したようにオレに片目を閉じて見せ、その背中にしがみついている死霊術士は震え声で胸を張る。


「アイゼンは、こっちは大丈夫だとか、君らは自分の身の安全を考えろとか色々言ってましたけれど、あのヒト本当は寂しがり屋なんですよね。それなのに何でも1人でやろうとするもんだから、放っておくとロクなことにならないんですよ。レーグネンはアイゼンのそういうとこには全く無頓着ですし。ああ、ああ。結局私がいなくちゃダメなんですから、2人とも」

「……シャッテン、あなたまさかアイゼンの様子がおかしいことに気付いてたのか?」


 オレの腕から名を呼んだレーグネンに、シャッテンもまた視線を向けてくる。


「様子がおかしいかどうかなんて知りませんよ。ただ、昔から彼女、あなたの後ろをくっついて歩いてたじゃないですか。あなたが『誰もいらない』っていう態度をとるから、それに合わせて強がってただけで。そういうあなた達を2人だけで放置すると、大抵アイゼンがしょんぼりして終わるんですよね。だから、私がいなきゃダメなんですよ」

「そんな大事なことを、俺は全く知らなかったのか……」

「まあよろしい、彼女の気持ちを知ろうが知るまいが結果はそう変わらないでしょうしね。だけど、あなた方は絶望的にコミュニケーションが不足してるんです」

「……こみゅにけーしょん不足、なのか? 話し合っていると思っていたのに」

「私から見るとそう見えますけどね。まあ、あなたの側だけの問題じゃなく、お互いに、ですけど。生きてると良いですね、アイゼン」


 あっさりと言った後、絶句したレーグネンを置いて、シャッテンは再び前方へ顔を戻す。

 まだ若干腰が引けたままではあるが、とりあえずやる気はあるらしい。


「朱雀は私が押さえましょう。この全ての死骸の父たる死霊術士ネクロマンサーシャッテンが、真っ向からぶつかってあげようではないですか!」

「はいはい。声が震えてんぞー、落ち着け落ち着け、ほーら高くないから、そこ掴むなっつってんだろ」


 混ぜっ返すようにグリューンが呟いたが、「高いですよ!」と即座に反論された。

 そのまま飛び去ろうとする2人に対し、レーグネンが眉を寄せて口を挟む。


「しかしシャッテン、あなたの玄武は地を這う召喚獣だろう。空を飛ぶことは出来ぬ。どうするつもりだ?」


 空中を自由に行き来する朱雀や青龍と違い、玄武は空は飛べないらしい。確かに、浮かんでいるところを見たことはない。

 朱雀に対抗して上空で召喚したところで、真っ逆さまに墜落するだけでは何の意味もない。

 答えを待つレーグネンに向け、シャッテンは何でもない顔を見せる。


「いや、そこを考えるのは策士レーグネンの仕事でしょう。ぼんやりしてないで考えてください」

「そうは言っても、俺は既に有り余るほどの天賦の才をうたわれた青龍将軍などではなく――」

「――あんたが誰かなんて、私にとってはどうでも良いんですよね。今この場には勝つか負けるか生きるか死ぬかしかなくて、そういうこと考えるがこの中で一番得意なのがあんただってだけなんで。それともあなたは、青龍喚んで水芸かますしか能がないんですか?」

「水芸だと!? 言ったな、目にもの見せてやる! 下で待ってろ、すぐに朱雀を引きずり下ろしてやるわ!」

「望むところですよ!」


 鼻息荒く言い合う声を聞き、苦笑したグリューンがオレに向けて片手を上げる。


「あーあ、これだから運転手は大変だ。そっちも気を付けろよ、ヴェレ」

「ああ、無事で」


 挨拶を交わしたところで、青龍と飛竜は上下に別れた。

 オレ達の足元を潜って海面へ近付いていく飛竜の背から、シャッテンの悲鳴が微かに聞こえてきたが、とりあえず聞いていないことにしておこう。


「シャッテンにはああ言ったが……策はあるのか?」

「馬鹿め。それは、これから考えるのだ」


 結局行き当たりばったりだ。随分な話だが、やる気が出ただけマシというものだろう。

 アイゼンには悪いが、オレは――裏切るからには裏切られるものだと思っている。今は彼女に気を向けている余裕はない。

 そのいとまが出来るのは……勝って生き残った時だけだろう。


 ――たとえアイゼンに、相応の裏切りの理由があったとしても。


 少し考えて、目の前にあるレーグネンの髪に手を伸ばす。

 こうして触れられる内に、触れておこうと思った。


「……もしも、あんたに良い策が1つもないと言うなら、オレから提案があるんだが」

「言ってみよ」

「北の民の力を――『穢れ』の力を使えば、グルートを消すことが出来る」

「それは――」


 今までどんな苦難の中にいても王国民に対しその力を使わずにいたのは、優しさや思いやりの精神の為ではない。その効果たる7代前に遡って血の連なるものを全て消すとき、北の民自らにも影響が起こる可能性を否定しきれなかったからだ。

 我ら北の民は、己の出自の記録を持たない。全ては口伝で伝わっており、伝わっているのは神がこの地に降り立ち、解き放たれた一族の神話じみた物語ばかりだ。

 だが――レーグネンらが言っていたように、北の民と王国民、王国民の起源となる朱雀達の一族が皆、星の海から飛来した移民だと言うなら、ここでその力を使ったとしても、北の民に累が及ばないことは明白だ。

 我らと王国民や魔王領の人族の間に血の混じりはないのだから。


「……しかしそれでは、何も知らぬ魔王領の人族や、シャルム達王国民にも問題が起こるぞ?」

「そうか? 王国民は5百年前に独立したのだろう。その間、国交はなかったワケだし、5百年前なら7代の過去には関わらないと思うんだが」


 少しばかり後ろめたいのは、国としてではなく、一個人として関わったものがけしていない、と言い切るのが難しいからだ。

 それに……魔王領の人族も、皆が皆滅ぶべき思考をしているのかどうかは分からない。中には朱雀に反対している者もいるのかも知れないが、一族の力はそれを選別できない。

 レーグネンはそれを躊躇しているのかと思ったが、あっさりと首を振った。


「いや、言っただろう。我々四神将軍は皆――つまり朱雀将軍もまた、複製を繰り返して同じ存在を保ってきた者なのだ。人族には自然繁殖の能力が残っているが、グルートは長で有り続けるためにそれをおいて複製を行っている。あなた方の力の詳しいところは分からぬにせよ、遡って生命を失うなら1千年前の更にそこから7代に遡るのではないかという不安が消えないのだ」


 1千年から7代遡ると……今生きている人族は――少なくとも北の民を除いた人族は――ほぼ全てがその血を引いているのではないだろうか。


「……そんなことになったら、人族が絶滅するじゃないか」

「魔族だけの世が始まるな。まあ、自然繁殖が出来る種族は少ないから、始まったらすぐに終わりそうだが」


 まずいことをするところだった。

 自分にとっては魔王領の人族に思い入れがない分、いざとなれば、その場を切り抜ける為だけに何も考えずやってしまっていたかも知れない。先に聞いておいて良かった。

 頭を抱えていたレーグネンが、うむ、と手を打つ。


「何か良い考えがまとまったか?」

「いや、危なそうだと悩んでいたのだが、今のあまりにもどうしようもない手を聞いて、それよりは幾分かマシに思えたものがあるのだ」


 ……まあ、レーグネンが吹っ切る役に立ったのなら、良かったのだろう。


「策があるならば、征くか」

「そんな、何も聞かずに良いのか? 割りと危ないぞ? 向こうの気を逸らすには、ぎりぎりまで青龍と共にいる必要がある。この状況では飛竜達と連携を取ることも出来ぬ。――それでも俺はあなたを連れて行くつもりなのだぞ」

「聞くなと言っただろう。離れるつもりはない」


 後ろから手を回して、細い肩を抱き締めた。

 コツン、と頬にレーグネンの角が当たる。


「……ならば、来い。地獄ニヴルヘイムの底まで供をせよ」


 高飛車に、だがどこか自信なさげに囁くその声に、オレは笑って答えた。


「バカ。生まれたばっかのあんたなんて地獄行くか天国行くか分かんないけど、オレは地獄ヘルヘイム行き確定だからな、できればまだ死にたくない」


 戦に依らず人を殺したオレに、天国ヴァルハラへ行く道などない。

 だから、オレが離さぬと言うのは。


「死なねば良いのか」

「それだけのことさ。愛玩動物ペットの面倒は最期まで見ろ」

「……仕方あるまいな」


 微かに笑った感触だけを腕に残し、レーグネンが身体を離す。

 白い袖を翻して、笑いを含んだ宣言が青龍を動かした。


「――青龍よ、登れ! 真上から朱雀へ向かって突撃をかけるぞ!」


 言葉通りの急上昇の後、雲を突き抜けたところで一旦止まり、直後に急降下が始まる。

 轟々と風を切る真下に、朱雀の巨体があった。


「――貴様、魔王! 何のつもりだ。その愛玩動物とやらが斬り掛かってくるか? それとも、さして効きもしない雷撃でも撃ってくるか?」


 そこまではまだ、向こうには笑っている余裕があったらしい。

 接近戦が苦手なのは、今も昔も変わらないレーグネンの特徴なのだろう。

 だが、どれだけ近付いても全くスピードを落とさないこちらの様子を見て、ようやく焦り始めた朱雀が旋回を始めた。


「ま、待て! そこで止まれ! 貴様ら、何を考えて――」


 敵に止まれと言われて止まるバカはいない。

 喚くグルートの姿がみるみる近付いていき――降下の勢いをそのままに、オレ達は真っ直ぐに朱雀へと向かっていく。

 真っ直ぐに降り注ぐ青龍の顎が巨鳥の頭上に思い切りぶつかり、その激突の衝撃でオレの身体は跳ね飛んだ。

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