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その3 それ

 墨田区ダンジョンの地図が使えるようになってから、ダンジョン攻略のペースは格段に上がっていた。

 現在、俺達がいるのは四階層。

 階層が上がるにつれ、逆にモンスターのレベルは下がり、今では能力の低い稲代でも余裕を持って戦えるようになっていた。


「あっ! コラ、漆川! 私の獲物を横取りするな!」

「いや、稲代に任せておいたら時間がかかるし。ここは効率重視でいいだろ、別に」


 俺達は猫程の大きさのネズミ型モンスターと戦っていた。

 墨田区ダンジョンの二階層にもいたモンスターで、今の俺達にとっては単に素早いザコでしかない。

 一般クラスの女子生徒――稲代は、ここぞとばかりに積極的にモンスターに止めを刺してレベルを上げようとしている。

 逆に一般クラスの男子生徒――漆川はつまらなそうにしている。

 今の漆川のレベルは23。こんな低ランクのモンスターでは何匹倒しても、もうレベルは上がらなくなっているためだ。


「あんたが倒したら私の経験値にならないでしょうが!」

「稲代だってもう結構レベルがあがってるじゃん。こんな相手何匹倒したってムダだよムダ」


 ちなみに稲代のレベルは16。ようやく自分一人でもまともに戦えるモンスターが出て来た事で、やる気になっているようだ。

 俺は大型ネズミモンスターを稲代の方へと蹴り飛ばした。


「行ったぞ稲代。漆川とケンカしてないで、そいつの止めを刺せ」

「分かってるわよ!」


 稲代のナイフが振り下ろされると、モンスターの頭部が切り落とされた。

 首が無くなったモンスターは、血を噴き出しながら走り回り、漆川の足にぶつかってようやく力尽きた。


「うわっ! 気を付けろよ! ズボンに血が付いただろ!」

「戦いの最中にボンヤリしているあんたが悪いのよ! ――あっ!」


 稲代は嬉しそうにガッツポーズをした。


「やった! レベルが上がった! それに技能(トランザクション)も覚えた! 漆川! あんたさっき、こんなモンスターを倒してもレベルは上がらないって言ってたわよね! ちゃんと上がったじゃない!」

「・・・ちぇっ」


 漆川はつまらなさそうに吐き捨てた。

 稲代は興奮気味に自分の覚えたスキルを確認している。

 ていうか、まだモンスターは残っているんだぞ。油断するにも程があるだろう。


「稲代! 戦いはまだ終わってないぞ!」

「後は中久保、あんたがやっといて。五条くん! 新しいスキルを覚えたんだけど、これってどんなのかな?」


 俺は舌打ちをするとネズミ型モンスターの頭を踏み砕いた。

 靴底越しに、硬い木の実の殻が砕けたような不快な感触が伝わった。

 俺のイディオムはスピード型だが、今のレベルは21。

 二階層をうろついているようなモンスター相手になら、力任せの戦いも余裕で出来るようになっていた。

 更にもう一匹。ナイフで切りつけた後、同様に頭を潰した。

 これで広場のモンスターは全滅。ようやく戦いは終わった。


 周囲には血の匂いが充満している。

 初めての戦いの後には、この匂いに耐え切れずに嘔吐してしまったが、今では何も感じなくなっている。

 血の匂いに慣れたのか、それとも命を奪う事に慣れてしまったのか。

 俺は念のためにスキル【狩人の目】で通路の先を確認した。

 狩人の目は集中力を高める事で、自分の周囲に潜む生き物の気配を探ったり、目の前の敵の強さを推し量る事の出来るスキルである。

 このスキルを覚えたての頃は、俺達が敵わないような強力なモンスターが周囲に無数にいたため、小まめに形態変換(トランスレーション)状態になり、このスキルで敵の存在を探っていたものである。

 ちなみにコイツは、稲代がレベル10で覚えた二つ目のスキルでもある。

 とはいえ、レベルも能力値も低い稲代が使っても、完全に俺の下位互換にしかならないため、速攻で死にスキルになってしまった。

 稲代は、念願のスキルが役立たずだったのが余程悔しかったらしく、なぜか俺まで恨むようになってしまった。

 誰かのせいにしないと心がもたなかったのかもしれないが、いわれのない理由で恨まれてはいい迷惑である。


「モンスターの気配は無し――か。よし」


 ふと気が付くと、漆川は既に形態変換(トランスレーション)を解除していた。

 漆川は退屈そうに大きな欠伸をした。


「こうもザコモンスターばかりだと張り合いがないね。たまにはドカンとレベルが上がるような強いモンスターが出てくれないかな」

「・・・気を抜き過ぎだぞ」


 俺の言葉に漆川の顔色がサッと変わった。

 漆川は怒りのこもった視線で俺を睨み付けた。


 しまった。やっちまったか。


 俺はハッと我に返った。

 俺達の間に険悪な空気が流れる。


「気を抜くのは稲代だけで十分だ、って事だ」

「――ふん。あんなヤツと一緒にしないでくれ」


 この場にいない稲代を悪役にする事で、どうにか決定的な危機は回避されたようだ。

 漆川はフイッと目を反らすと、俺から離れて行った。

 俺は密かに安堵のため息を漏らした。


 一見、チームの仲は以前よりも上手くいっているように見える。

 しかし実態は、傷口を覆ったかさぶたに似ている。

 ちょっとした刺激でかさぶたは剥がれ、激しい痛みと共に赤い血が吹き出す。

 それほど空腹感と疲労感は俺達の精神を蝕んでいた。


 そんな俺達のチームが崩壊していない理由はただ一つ。

 墨田区ダンジョンの地図が使えるようになった事で、順調に階層をクリア出来るようになったためである。

 後、もう少しでこの地獄が終わる。残り数階層でこのダンジョンから脱出出来る。

 その希望が、ギリギリの所で俺達の精神をつなぎ止めていた。

 今、ここで休めたらどれだけ楽だろう。

 しかし、一刻も早くダンジョンから出たい。腹一杯、美味しいご飯が食べたい。こんな冷たいダンジョンの床ではなく、安全なホテルの暖かいベッドで休みたい。

 ただそれだけを心の支えに足を動かしている仲間達に、ここで休もう、などと無神経な事を言えるだろうか?

 リーダーの五条ですら、今の仲間の危うい状況を知りながら何も言えずにいた。

 あるいは、気持ちを切らさない事の方を優先しているのかもしれない。


(まるで薄い氷の上を歩いているようだ)


 今の俺達は、湖に薄く張った氷の上を歩いている。

 遠くには、ようやく安全な向こう岸が見えている。後少しだ。

 だが、足元の氷は緩み、ミシミシと不快な軋み音を立てている。

 氷の下には、底の見えない黒く冷たい深い水。

 凍てつく水は、落下した俺達から瞬時に熱を奪い、その心臓を即座に停止させるだろう。

 破滅の死と生を隔てているのは、いつ割れるか分からない、薄く張った一枚の氷だけ。

 そんな際どい状況。


 だが、行くしかない。

 出口にたどり着いてしまえば全ては終わる。今までの苦労が報われる。


 俺達は忘れていた。

 ここは俺達の地球では――日本ではない。

 そしてここは俺達の知る墨田区ダンジョンではない。

 そんな基本的な事実を忘れていたのである。




 俺達は第一階層に続く階段に到達した。

 ダンジョンの階層の間は、こういう自然に出来た階段で繋がっているのである。


 ようやくだ。ようやくここまで来た。

 空腹と疲労で目が霞み、足は棒のようだ。

 しかし、ここまで来ればほとんど脱出したも同然である。

 誰しもがそう思った。俺だってそうだ。

 だから油断してしまった。ホッと気が緩んでしまった。

 感極まった稲代が走り出した。


「五条くん! とうとう、第一階層に到着したよ! 後もう少しだよ!」

「稲代さん! 一人で先走っちゃダメだ! 戻って!」


 この場面でこの注意が出来る五条は本当に大したヤツだと思う。

 だが、結果として五条の警告は遅かった。


 ゾロリ・・・


 何かが階段の奥で動いた。

 その瞬間。今まで感じた事のない特大の戦慄が俺の背筋を駆け抜けていた。

 スキル【狩人の目】を使わなくても分かる。

 あれは(・・・)危険だ(・・・)


「つっ! 形態変換(トランスレーション)!」


 俺は咄嗟にレベルを解放。瞬時にナイフを引き抜いた。


 あれ(・・)は、なんだ?


 モンスターだ。それは分かる。

 しかしそれは見た事も無い奇妙なモンスターだった。

 大きさは三メートル程。二つ足。

 全体的なフォルムは、人間に近いと言ってもいい。のか?

 ぼろキレのようなマントを羽織り、体からは昆虫の足のような細い腕が何本も生えている。

 特徴的な大きな頭部は五十センチ程の円柱型で、ボロボロの皮膚の下に大きく裂けた口が開いている。


 いや、違う。


 皮膚がボロボロなんじゃない。ボロボロの皮膚が――無数の皮が張り付けられているのだ。


「人間の――顔の皮?」


 そう。それは人間の顔の皮だった。

 このモンスターは、人間の顔から剝がした皮を自分の顔に張り付けているのだ。

 コイツがなぜそんな事をしているのかは分からない。理解したいとも思わない。

 俺はおぞましさと恐怖に駆られて叫んだ。


「稲代! 形態変換(トランスレーション)だ! 形態変換(トランスレーション)しろ!」


 稲代は動かなかった。いや、動けなかった。

 それ(・・)の気配に射竦められ、身動きが取れなかったのだ。


「稲代オオオオオオッ!」


 それ(・・)の手が伸びた。

 そう思った瞬間、稲代の胸はそれ(・・)の手によって貫かれていた。

次回「稲代康江」

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― 新着の感想 ―
[一言] 空腹や得たクラスが不遇職ってストレスによる極限状態で、主人公の様にここは地球じゃ無いって解っていても地上に出る事が出来るってわかった途端にそんなこと忘れて飛び出しちゃったんだろうな、成長した…
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