第7話 救護団の朝と、物理的集金業務
翌朝。
アタシは、小鳥のさえずりではなく、鼻腔をくすぐる暴力的なまでに良い匂いで目を覚ました。意識の浮上と共に、胃袋が強烈な自己主張を始める。
「んぅ……肉……?脂の焼ける音……?」
ふらふらとゾンビのようにベッドから這い出し、匂いの発生源であるリビングへ向かう。
「は~い、みんな座ってぇ♡今日の朝ごはんは、厚切りベーコンのエッグベネディクトと、特製ポタージュよぉ~!オークの背脂でコクを出してみたわ♡」
キッチンで中華鍋を軽快に振るっているのは、筋肉の要塞・ボーグ。可愛らしいフリルのエプロンが、広背筋の膨張に耐えきれず悲鳴を上げている。いつか弾け飛んで大惨事になる未来が見えるが、並べられた料理は王宮のレストラン級に輝いている。
「いっただっきまーす……うめェッ!!」
アタシは一口食べて、昇天しかけた。カリカリのベーコンの塩気、とろりと溢れ出すポーチドエッグの黄身、そして濃厚なスープ。
実家の母さんの料理――素材の味を生かしすぎた「丸ごと炭化させた何か」や「生焼けのドラゴン」――とは、もはや次元が違う。あれがサバイバルなら、これは芸術だ。
「……美味い。悔しいけど、美味すぎる。舌がとろける」
「あらあら、いっぱいお食べ♡アリスちゃんは育ち盛りだものねぇ」
ボーグが慈母の笑みで、アタシの皿に勝手にサラダを山盛りにする。
「野菜も食べなきゃダメよ?筋肉がつかないわよ?メッ!よ♡」
「ぐっ……」
アタシが夢中で頬張る一方、テーブルの向こうでは、我らが団の奇人変人たちが、それぞれのスタイルで朝食をとっていた。
双子(チコ&リコ)は、警戒心丸出しで食事をしていた。
なんと、自分たちの周囲に『小型絶対拒絶領域』を張り、その無菌室のような空間の中でパンを齧っている。
「……毒、入ってないよね?ボーグが味見した?」
「早く食え、お姉ちゃん隙を見せるな」
その隣では、白衣の前髪少女・ネネが、せっかくの絶品スープの中に、懐から取り出した謎の緑色の粉をパラパラと振りかけていた。
スープの色がドス黒く変色し、ブクブクと泡立っている。魔女の鍋かよ。
「……何それ。青汁?」
「乾燥させたマンドラゴラの粉末。滋養強壮と、幻覚作用があるの。これがないと、世界が鮮やかに見えない」
「朝からトリップすんな。騎士団呼ぶぞ」
まともな人間がいない。
唯一の常識人であるルインは、胃薬を片手に死んだ魚のような目でパンを啜っている。だが、この飯の美味さだけは本物だ。アタシはこの瞬間、心に固く誓った。
「この飯のために、ここにしがみつこう」と。たとえ同僚が犯罪者予備軍でも、飯が美味ければそこはマイホームだ。
至福の朝食タイムが終わり、地獄の業務時間が始まった。
アタシの最も苦手な時間だ。
「アリス!その書類の計算、まだ終わらないのか!?昨日から3枚しか進んでないぞ!」
「うるせぇなメガネ!数字が多すぎて目が回るんだよ!『1+1』以上の計算をアタシにさせるな!」
事務所のデスクで、アタシは頭を抱えていた。救護団の仕事は、戦場に出るだけじゃない。治療費の請求、薬品の在庫管理、活動報告書の作成……。
特に第四救護団は万年赤字の貧乏部隊なので、金銭管理はシビアだ。
ニート上がりのアタシにとって、このデスクワークは拷問に等しい。
「いいかアリス。昨日の騎士ジェラードへの請求だが、項目が雑すぎる!『精神的苦痛代』ってなんだ!経費で落ちないぞ!あと『スカートのクリーニング代』も高すぎる!」
「あいつの顔を見てたらイラッとしたからだよ。イケメン税だ。正当な対価だろ」
「却下だ!書き直し!税制を勝手に作るな!」
ルインが鬼の形相で書類を突き返してくる。
一方で、最高責任者であるヒルダ団長は……ソファでファッション雑誌を顔に乗せて爆睡している。
あの給料泥棒め。いつか寝首をかいてやる。
その時。
バンッ!!
事務所のドアが、蝶番ごと悲鳴を上げる勢いで蹴破られた。平穏(?)な空気が吹き飛ぶ。
「おいコラァ!第四救護団!!責任者を出せ!!」
怒鳴り込んできたのは、豪奢な鎧を着た大柄な男だった。腰に立派な大剣を差している。正規の騎士団の小隊長クラスだろうか。
顔を真っ赤にして、手には請求書を握りしめている。血管が切れそうだ。
「ひぃっ!来客ですよ団長!起きて!ヤバイのが来ました!」
「……ムニャ。ルイン、任せた……あとよろ……」
「団長ぉぉぉ! 起きてくださいよぉ!」
ルインが泣きそうな顔で対応に出る。彼は本当に苦労人だ。
「あ、あの……いかがなさいましたか?」
「いかがもクソもあるか!なんだこのふざけた請求額は!たかが打撲の治療で金貨3枚だと!?ぼったくりもいい加減にしろ!」
「い、いえ、それは正規の料金で……高度な回復魔法と即効性の高い特効薬を使いましたので……原価が高いんです……」
「うるせぇ!こんな貧乏部隊が足元見やがって!払わねぇぞ!詐欺で訴えてやる!」
男はルインの胸ぐらを掴み、威圧した。典型的な「質の悪いクレーマー」だ。自分の地位を笠に着て、弱小部署をイビる最低な奴。
ルインが青ざめて小鹿のように震えている。
「あーあ……」
アタシはペンを置き、深いため息をついた。せっかくの食後のティータイム(サボり)が台無しだ。
アタシは椅子の背もたれにかけてあった「白衣」を手に取った。それをバサリと羽織り、スイッチを入れる。
ゆっくりと立ち上がるアタシの脳内で、母マリアンヌ直伝の「害虫駆除マニュアル」が開かれる。
「……おい、おっさん」
「あぁん?なんだこのガキは。フリフリの服着やがって、ここはお遊戯会か?ママのお迎え待ちか?」
男がアタシを見下ろし、鼻で笑った。アタシは純白の白衣をなびかせ、コツコツとヒールの音を響かせて近づいた。
そして、顔面に営業用の「天使のスマイル(殺意入り)」を貼り付けた。
「初めましてぇ♡担当のアリスですぅ。お支払いの件でトラブルですかぁ?申し訳ありませぇ~ん♡」
「おうよ!高すぎるって言ってんだ!たかが魔法を一回かけただけで、こんな大金払えるか!お前らみたいなゴミ拾い部隊に払う金はねぇ!」
男は請求書を丸めて、アタシの顔に向かってボールのように投げつけた。
アタシはそれを空中でパシッとキャッチし、丁寧に、皺を伸ばすように広げ直す。
「お客様?ひとつ訂正させていただきまぁす」
「あ?」
「当救護団が提供したのは、魔法や薬だけじゃありません。お客様の『未来』です」
「は……?」
アタシは男の肩に手を置いた。分厚い鋼鉄の肩当ての上から、指を食い込ませる。万力のように。
メキ、メキメキ……。
嫌な、鈍い音が響いた。鋼鉄が飴細工のように歪む音だ。
男の顔が強張った。
「あの時、治療しなければ、お客様は一生歩けなくなっていたかもしれませんよね?それをたった金貨3枚で『買い戻せた』んです。……激安だと思いませんかぁ?」
「な、なんだお前……手が……肩が……潰れ……」
「それに、まだ『完治』してないかもしれませんよぉ?」
アタシは男の肩を掴んだまま、顔を近づけた。
上目遣いで、瞳の奥から光を消す。これ、鏡で見ると自分でも引くくらい怖い顔なんだよね。
「お支払いがいただけない場合、それは『契約不成立』となります」
「け、契約……?」
「ええ。商売の基本ですよね?対価が払われないなら、商品は回収します。つまり、『返品』させていただきますね」
アタシはニッコリと、悪魔よりも優しく笑った。
「つまり、治療した箇所を、もう一度『正確に』壊して差し上げます。元通りにね。打撲でしたっけ?あ~違った、肋骨3本と右足の粉砕……でしたよね?」
「いや、打撲……」
アタシは空いた左手で拳を作り、男の脇腹にトン、と軽く当てた。
「サービスで、反対側の骨も折ってバランスを取りましょうか?左右対称って美しいですよね?」
「ひっ……!?」
「さあ、どうします?素直に払って健康を買います?それとも……今ここで、『集中治療室行き(ICUコース)』に変更します?」
ドゴォォォォン!!
脅しの一環として、アタシは男の顔の真横にある壁に、右手の拳を叩き込んだ。
レンガ造りの壁が蜘蛛の巣状にひび割れ、パラパラと粉が落ちる。男の顔色が、一瞬で土気色に変わった。肩の防具は、アタシの指の形にべっこりとひしゃげている。
「……足元見てんのはどっちだ?救護団を舐めんなよおっさん」
これは脅しではない。こいつは本気でやる目だ――男の野生の本能がそう告げたのだろう。
「は、払いますぅぅぅ!!」
男は震える手で財布を投げ出し、転がるように逃げ出していった。その背中は、戦場の敗残兵よりも小さかった。
「……チッ。最初からそうしとけよ。手間かけさせやがって」
アタシは財布を拾い上げ、中身を確認してからルインの机に放り投げた。チャリン、といい音がする。
ルインが口をあんぐりと開けて固まっている。
「はい、集金完了。……ルイン、これで文句ないだろ? 未回収金ゼロだ。感謝しろよ」
「……アリス。君、前職は取り立て屋か何かか?手口が完全に反社会的勢力のそれなんだけど。堅気の人間じゃないよ」
「ニートだよ。強いて言うなら、母さんとの日々の交渉で培った生存本能と話術だ」
すると、ソファで死んだように寝ていたはずのヒルダ団長が、いつの間にか起きていて、パチパチと拍手をした。
「素晴らしいねぇ、新人。今日から君の役職に『渉外担当(用心棒)』も追加だ」
団長はニヤリと笑った。
「その強心臓と腕力、クレーマー処理に最適だよ。ルインじゃ胃に穴が開くからね」
「はぁ!?ふざけんな!仕事増やすなら手当出せよ!アタシは定時で帰って寝たいんだ!」
アタシは食い下がった。ただでさえ計算が面倒なのに、これ以上面倒事を背負い込んでたまるか。
「手当?うちにそんな金はないよ。見ての通りの自転車操業さ」
「じゃあ拒否。アタシは働きたくないんだよ。断固拒否!」
「おや、そうかい? 残念だねぇ。じゃあ、明日の朝からの『トイレ掃除当番』と『ゴミ捨て当番』、あと『朝の買い出し』も全部アリスちゃんに任せようかねぇ。新人の教育的指導として」
「……ッ!?」
痛いところを突かれた。
早起きと掃除。ニート上がりのアタシが最も忌み嫌う苦行だ。特に冬場のトイレ掃除は人権侵害レベルだ。
ヒルダ団長は悪魔の笑みを浮かべて囁いた。
「でも、もし『渉外担当』を引き受けてくれるなら……君を『雑用免除』にしてあげてもいいよ?面倒な掃除も、朝の早起きもなし。ずっと寝てていい。どうだい?」
アタシの脳内で天秤が揺れた。
たまに来るクレーマーを殴って追い返す仕事 vs 毎日の早起きと掃除。
……考えるまでもない。
「……交渉成立です、団長」
アタシはガシッと団長と握手をした。悪魔の契約完了だ。
「その代わり、面倒な計算書類もルインに回しますからね。アタシは数字を見ると蕁麻疹が出る体質なんです」
「えっ!?僕!?なんで!?僕の仕事量が倍になっただけじゃないか!」
ルインの悲鳴が事務所に響く中、アタシは満足げに白衣を翻した。
こうして、アタシの救護団での地位は、「暴力的な新人」から「掃除免除の用心棒」へと、最高に不純な動機でステップアップしていったのだった。
よし、二度寝しよう。
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