第5話 救護団という名の「最前線」
ボーグ特製の「オーク肉のシチュー」は、涙が出るほど美味かった。いや、危険なほど美味かった。口の中でほろほろと崩れる肉、野菜の甘みが溶け出した濃厚なスープ。
実家の母さんの料理――素材の味を生かしすぎた「トカゲの丸焼き(内臓・鱗つき)」や「炭化寸前の何か」――とは、もはや次元が違う。あれがエサなら、これは神々の糧だ。
「はぁ~、食った食った。ごちそーさん」
アタシは猫を被るのも忘れて、膨れたお腹をさすりながら、上質な革張りのソファに深く、だらしなく沈み込んだ。
暖炉の火がパチパチと燃えている。オレンジ色の光が、満腹の幸福感をさらに高める。ここは天国か。外見は幽霊屋敷だが、中身は五つ星ホテルだ。
これで日給が出るなら、ニート生活よりよっぽどいい。アタシは生涯、このソファの守り神になろう。
アタシは暖炉の薪の破片をくわえながら、食後の紫煙をくゆらせているヒルダ団長に、余裕しゃくしゃくで問いかけた。
「で、団長さん。明日の仕事って、基本はこの事務所で待機してればいいんですよね?」
「ん?」
「だって救護団でしょ?傷ついた騎士様たちが運ばれてくるのを、ここで優雅にお茶しながら待って、包帯巻いて『痛いの痛いの飛んでいけ♡』ってやってあげればいいんですよね? だって、それが『救護』じゃないですか?」
アタシが思い描く甘い幻想――白衣の天使ごっこ――を語ると、リビングの暖かな空気が、一瞬で絶対零度まで凍りついた。
ルインが「あぁ……」と哀れむような目を向け、キッチンで皿を洗っていたボーグの手がピタリと止まる。ヒルダ団長だけが、可笑しそうに、けれど目は笑わずに鼻を鳴らした。
「アリスちゃん。君、勘違いしてるねぇ」
「え?」
「ここまで自力で歩いて来れるような奴はね、患者じゃないんだよ。そんなのは唾つけときゃ治るかすり傷だ。うちの団の役割は、瀕死の患者の回収と、それに片足突っ込んだ患者の『引き抜き』だ」
団長はタバコの煙を天井に吐き出し、冷徹な事実を口にした。その煙が、ドクロの形に見えたのは気のせいか。
「私らの患者はね、戦場のど真ん中で、手足を潰されて、内臓をぶちまけて、一歩も動けなくなってる連中さ。助けを求める声すら出せない。それを拾いに行くのが仕事だよ」
ゴクリ、とアタシは唾を飲んだ。嫌な予感が背筋を駆け上がる。
「だ、だから……それは、後方支援部隊が回収してくるんじゃ……」
「誰が?騎士団が、満身創痍の仲間を助けるために戦闘中の手を止めて、最前線で戦い続けると思うかい?それとも、敵や魔物が『タイム』をくれるとでも?」
「え?」
青ざめるアタシに、ルインが重い口を開いた。彼はまるで、これから処刑台に向かう囚人のように淡々と語り始めた。
「アリス。王宮騎士の鎧は、総重量で100キロを超える。武器を含めればもっとだ。気絶して脱力したその100キロ超えの『鉄塊』を、四面楚歌の戦場で誰が運べると思う?」
「……あ」
「騎士は盾役として、敵の攻撃を受け止めるために最前線に立つ。彼らを回復魔法で治すには、術者が彼らに触れて、命を繋ぎ止める必要がある。まぁ、団長のように遠隔回復魔法を使える人物もいるが、つまり、非力な回復魔法使いが、『戦場で動けなくなった100キロの鉄塊』の隣――敵の目の前まで走らなきゃならないんだ」
ルインは悔しそうに拳を握りしめた。
「助けるためには、死地へ飛び込まなければならない。でも、重すぎて運べない。その場で治療しようとすれば、無防備な背中を敵に狙われる……『ヒーラーを殺せば、騎士団は機能停止する』。これが戦場のセオリー。だから、普通の部隊じゃ救護は成り立たない」
ヒルダ団長が言葉を継ぐ。煙草の火が暗闇で赤く光る。
「要するにだ。私らの仕事は『人命救助』なんて綺麗なもんじゃない。敵の猛攻を浴びながら、泥沼から鉄クズを引っこ抜く『廃棄物回収業』さ。当然、失敗すれば自分も鉄クズの仲間入りだ。……それが、この救護団が常に人手不足で、裏で『王宮の墓場』と呼ばれる理由さ」
アタシはサーッと血の気が引くのを感じた。
安全な後方支援?楽な仕事?お茶汲み?
全然違う。
これは、肉体労働の最前線だ。しかも超・危険手当が必要なレベルの。
つまり、アタシの役割は「看護師」じゃない。戦場という地獄へ飛び込み、死にかけている大男を引き抜き、安全地帯まで『運送』する「特級回収業者」だ。
「詐欺だ……!話が違う……!」
アタシが頭を抱えていると――
その時。
ウゥゥゥゥゥゥゥン!!
ウゥゥゥゥゥゥゥン!!
事務所全体を揺るがすような、不吉なサイレンの音が鳴り響いた。空気がビリビリと震える。アタシの心臓が跳ね上がり、口から飛び出そうになる
「おっと、噂をすればなんとやらだ。デザートの時間にしては騒がしいねぇ」
ヒルダ団長がスッと立ち上がり、気だるげな表情を一変させた。その目は、獲物を狙う猛獣のような、鋭い指揮官の目になっていた。
「西部防衛ラインで緊急要請だ。オークの集団に小隊が包囲されたらしい。負傷者多数。すでに壊滅寸前とのことだ」
「う、嘘だろ……まだ心の準備が……ていうか契約書にサインしてない!」
アタシは後ずさり、事務所のドアへ逃げようとする。だが、ガィンッ! と硬質な音が響いた。逃走経路を、団長が愛用の杖で塞いだのだ。
「怖じ気づいたかい、新人?」
ヒルダ団長は、にやけながらアタシを見下ろした。その視線は、アタシの魂胆を完全に見透かしている。
「『敵がいなけりゃ怪我人は出ない』……そう言って、自分からこの団に乗り込んできたのは、どこの誰だい?」
グッ、とアタシの喉が詰まる。たしかに、デカい口を叩いたのはアタシだ。
「辞めるなら今のうちだよ。だが、ここで逃げ出せば、二度と君の『楽園』はない。君の人生、一生公園のベンチと野宿で終わる。明日の朝飯はないよ。それでもいいなら、そのドアを開けな」
「……っ!」」
野宿。寒さ。飢え。
ここで逃げれば、アタシは正真正銘の「口だけ女」になる。
……冗談じゃない。
アタシは負けず嫌いだ。やる前から諦めるなんて、寝ている時以外はしたことがない。
それに、あのオーク肉のシチューの味が、胃袋を掴んで離さない。あれをもう一度食うためなら、オークの一匹や二匹、ミンチにしてやる!
「……証明してやるよ」
アタシは団長を、睨み返した。
「アタシの『予防医療』が正しいってことを、あんたらの目の前で証明してやる! そしたら文句ないだろ!?」
団長はニヤリと口角を上げ、満足げに道を開けた。
「いい度胸だ。君の理論が本物か、それともただの妄言か。戦場が答えを教えてくれるさ。行くよ、野郎ども! 第四救護団、出動の時間だ!」
団長の号令と共に、事務所が慌ただしくなる。
ルインが青い顔で救急バッグを掴み、ボーグが「あらやだ、メイク直さなきゃ!」と言いつつ、人間大の巨大なメイスを軽々と背中に担ぐ。
双子のチコとリコは「嫌だぁぁぁ! 行きたくないぃぃ! お外怖い!」と泣き叫びながら、ボーグに米俵のように両脇に抱えられて強制連行されていく。
「ちょ、ちょっと待って!アタシの装備!このフリフリの服しかないんだけど!?鎧は!?兜は!?」
「それで十分だ。敵の目を引く囮にもなるしね」
「鬼かあんたは!! 労働基準法違反だぞ!!」
「ほら、行くぞアリス」
アタシは半泣きになりながら、ルインに背中を押されて外へ飛び出した。
夜風が冷たい。回復魔法は使えない。だったら――アタシの理論を、物理で証明してやる。
『敵を全員ぶっ飛ばせば、誰も怪我しない』
このふざけた理論だけが、この理不尽な戦場でアタシが生き残る唯一の道だ。
「行ってやるよ!予防医療だオラァ!! かかってきやがれオークども!アタシの安眠妨害罪で処刑してやる!」
アタシはフリルのスカートを翻し、ピンクのリボンをなびかせて、夜の闇へと飛び出した。
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