第3話 救護団の面接で、予防医療を説いてみた
王都の中心にそびえ立つ、白亜の王城。
その広大な練兵場は、今日一番の熱気に包まれていたが、そこから一本路地を入った場所は、まるで別世界のように淀んでいた。
王城の敷地内とは思えない、ジメッとした日陰。カビと湿気、そして何かが腐ったような芳しい香りが漂う薄暗い裏路地。
そこに、今にも崩れ落ちそうな古びたレンガ造りの建物が、ひっそりと佇んでいた。
塗装が剥げ、ツタに浸食された看板には、辛うじて『第四救護団・事務所』と書かれている。書かれているが、呪いの札にしか見えない。
「……うわぁ。ここ、廃墟?マジで?幽霊屋敷の間違いじゃなくて?」
アタシは目の前のボロ屋を見上げ、顔を引きつらせた。
窓ガラスは薄汚れ、中からはドヨ~ンとした負のオーラと、安っぽいタバコの匂いが漂ってくる。
正直、回れ右してダッシュで帰りたい。本能が「ここはヤバイ」と警鐘を鳴らしている。でも、ここを逃せば公園のベンチだ。紙を布団にする生活だ。
母さんからの強制退去を受けた以上、戻る場所はない。アタシのプリティでモチモチな肌が、夜露と紫外線で荒れてしまうのだけは絶対に避けたい。
「……よし。やるしかない。背に腹は代えられねぇ」
アタシは覚悟を決めた。
ここからは女優の時間だ。アタシはか弱い美少女。お腹を空かせた可哀想な迷子の子猫ちゃん。守ってあげたくなる系女子を演じきるんだ。フリフリ服、まさかの大活躍じゃねぇか! 母さんのセンスに感謝するのは癪だが、利用できるものは親でも使う!
アタシはポケットから手鏡を取り出し、前髪をミリ単位で調整して「あざとさ」を演出すると、フリルのついたスカートの埃をパンパンと払った。
深呼吸をして、表情筋を緩める。口角を上げ、目は少し潤ませる。完璧だ。
重たい扉を、ギギーッと押し開ける。
「あのぉ……失礼しまぁす……?」
喉の奥で声を3トーンほど高く調整し、猫なで声を出しながら、おずおずと中へ入る。
中は薄暗く、埃が舞っていた。そして、足の踏み場もないほど山積みになった書類の塔がいくつもそびえ立っていた。まるで、外部からの侵入者を拒む防御陣形だ。もしくはゴミ屋敷だ。
「あーもう! 西部戦線の報告書がまだ来てないぞ!予算申請も明日までじゃないか!もう嫌だ!誰か僕を殺してくれ!いや、助けてくれ、回復魔法!胃薬をくれ!」
書類の山から、断末魔のような悲鳴が聞こえた。
埋もれるようにしてペンを走らせているのは、青白い顔をしたひ弱そうな少年。名札にはルインと書いてある。彼の周りだけ、重力が三倍くらい強く働いているように見える。あんなに死相が出ている人間を初めて見た。
そして、その奥の革張りのソファ。
ここだけ唯一、空間が空いている。
書類の山を足置きにして、気だるげにキセルをふかしている紫髪の美女。名札にはヒルダと書いてある。おそらくこの第四救護団の団長だろう。
「ん~?お客さんかい?悪いけど寄付なら受け付けてないよ。うち、お金ないから。むしろ恵んでほしいくらいさ」
「あ、あの……外の張り紙を見て……ここで働かせていただけないかなぁって……」
アタシは上目遣いで、モジモジと指を絡ませてみせた。
フリルの袖がよく映えるポーズだ。この角度、自分が一番可愛く見えることをアタシは知っている。
「あら、面接希望? 君みたいにファンシーな子が来るなんて、ここが出来て以来初めてだよ。珍獣でも迷い込んだかと思った」
「は、はいっ。アリス・ミリエルですぅ。人々を救う尊いお仕事に憧れてぇ……(本音:衣食住がタダだから来ました。あと楽そうだから)」
「アリス・ミリエル……」
ヒルダ団長はアタシを一瞥すると、煙を吐き出しながら面白そうにニヤリと笑った。猛獣が獲物を品定めする目だ。
「……少し待ってもらえるかい?準備がある」
数分後。
散らかった事務所の端、書類の山を少し崩してスペースを作り、即席の面接が始まった。アタシはスカートが汚れないよう、持参したハンカチを敷いて椅子に座った。ここ大事。育ちの良さをアピールすることにする。
「で、魔法は使えるのかい?」
ヒルダ団長が足を組み替えながら問う。
単刀直入な質問。アタシは一瞬言葉に詰まった。
この世界、「救護団」といえば「回復魔法」だ。それが定石。
だが、アタシのスペックは「筋力:SS」「魔力:なし」という極端なステータス。正直に言えば即不採用。しかし、嘘をついてもバレる。
アタシは、事実をオブラートに包んで、さらにピンクのリボンで結んで提出することにした。
「そ、その……魔力はちょっと少ないというかぁ……なんていうかぁ、体内の魔力回路を、脳と筋肉が全力で拒否してるというかぁ……ゼロなんですけどぉ……」
「ゼロ?」
横で死にそうになりながら書類を整理していたルインが、手を止めて呆れた顔をした。
「団長、無理ですよ。話になりません。回復魔法が使えないなら、救護団員は務まりません。ただの戦闘員なら騎士団で足りてますって!お引き取り願いましょう」
「……だねぇ。残念だけど、うちはボランティア団体じゃないんだ。在籍すれば給料は出る。役立たずを養う余裕はないよ」
ヒルダ団長がひらりと手を振る。不採用の合図だ。
やばい。このままだと野宿コースだ。
アタシの脳裏に、寒空の下、新聞紙にくるまって震える自分の姿が浮かぶ。隣の家のポチに憐れまれる未来なんて御免だ!
アタシは脳味噌をフル回転させた。なんとかして、この状況をひっくり返さなければ。こじつけろ。屁理屈をコネろ。アタシの詭弁スキルを総動員しろ!
アタシは「か弱い乙女」の仮面を鼻の先までずり下げ、真剣な眼差しで食い下がった。
「団長さん、質問いいですかぁ?」
「ん?なんだい、まだ何かあるのかい?」
アタシは立ち上がり、ビシッと人差し指を立てて、空中に数式を描くように動かした。
「そもそも、救護団のお仕事って、味方のダメージを治すことですよね?」
「そうだねぇ。マイナスになった体力をダメージゼロに戻すのが仕事さ」
「じゃあさ、『そもそもマイナスにならなければ、治す必要もない』ってことだろ?プラマイゼロどころか、プラスじゃん!」
アタシの言葉遣いが一気に変化した口調になったことに、団長がピクリと眉を動かした。横にいるルインが「は?」と口を半開きにするが、構わず続ける。
「例えば、敵に殴られて100ダメージ食らった味方を、魔法で100回復する。これって、計算上はプラマイゼロだよな?でも、これって無駄じゃないか?痛いし、魔法薬も使うし、何より時間が削られる」
「……ほう。続けて?」
ヒルダ団長が、吸っていたタバコを灰皿に押し付けた。興味を持ったようだ。その目に光が宿る。アタシはニカっと獰猛な笑みを浮かべた。もう猫被りは終了だ。今はプレゼンの時間だ。
「だから、簡単なことだよ。敵が殴ってくる前に、アタシがその敵をのしてしまえばいい」
アタシは握り拳を作って、パンと掌に打ち付けた。いい音が響く。
「敵がいなくなれば、味方の受けるダメージは0。回復の手間も0。これって実質、アタシが100回復したのと同じことになるだろ?いや、むしろ治療コストや薬代が浮く分、経済効果を含めれば実質200回復だ! 圧倒的黒字!」
「…………は?」
ルインがペンを落とし、それは書類の山に深く突き刺さった。彼の理解の範疇を超えた理論に、脳がショートしているようだ。
アタシは畳み掛けるように、机をバンと叩きながら熱弁する。
「これをアタシは『予防医療』と呼んでます!怪我をしてから治すのは二流。怪我をする原因(敵)を先に潰すのが一流の救護です!根源的治療と言ってもいい!魔力はありませんが、アタシのこの頭(頭突き)と拳は、どんな回復魔法よりも『早く』効きますよ?二度と立ち上がらせませんから!」
事務所に沈黙が流れた。
あまりの暴論。屁理屈にも程がある。
数秒のフリーズの後、ルインが震える声で反論した。
「い、いやいや!おかしいでしょ!それは救護じゃない!ただの『戦闘』だ!その役目は騎士団の戦闘部隊だ!それに君みたいな華奢な女の子に、そんな戦闘力が……」
パチパチパチ……。
乾いた拍手の音が、ルインの常識的な言葉を遮った。
ヒルダ団長だ。彼女は心底楽しそうに、お腹を抱えて笑っていた。
「あははは!『予防医療』か!気に入ったよ!ルイン、これ、うちの予算がめっちゃ浮くんじゃないかい!? 薬品代がゼロになるよ!」
「だ、団長!?本気ですか!?論理が破綻してますよ!?」
「いいじゃないかルイン。合理的だよ。確かに敵がいなけりゃ怪我人は出ない。究極のトリアージだねぇ。というか、こんな破天荒な発想、まともな神経してたら出てこないよ。この第四救護団にはピッタリだ」
ヒルダ団長は立ち上がり、アタシの肩をゴツンと叩いた。重い。でも、これは採用の重みだ。
「採用だ。明日からよろしく頼むよ、新人。その『予防医療』、現場で存分に見せてもらうよ?」
「ありがとうございますぅ!一生ついていきますぅ!」
やった!食費・住居費の心配がなくなったぁ!布団だ!アタシは満面のスマイルで深々と頭を下げた。心の中でガッツポーズ。勝利のファンファーレが鳴り響く。
ルインが頭を抱えて叫ぶ。
「そんなの救護団じゃない!ただの特攻隊だ!あと、その子、絶対に猫被ってますよ団長ぉぉぉ!!その笑顔が怖い!!」
こうして。アタシ、アリス・ミリエルは、見事(?)第四救護団への入団を果たしたのだった。魔法が使えないなら、物理で解決すればいい。世の中、暴力と屁理屈で通らない扉はないのだ。
これが、後に「戦場の天使」として敵味方から恐れられ、伝説となるアタシの救護ライフの始まりだった。
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