第21話 猛毒の森と、ネネの収穫祭
【第四救護団・事務所】
「……はぁ。胃が痛い。胃壁が溶けてなくなる音がする……」
朝一番の事務所に、ルインの重たく、湿り気を帯びたため息が落ちた。
彼のデスクの上には、この前の同窓会(会場破壊)の請求書が山のように積まれている。その高さは、もはや小さな砦だ。
「大理石の床の修繕費、カーペットのクリーニング代、そしてクライヴ君の鼻骨骨折治療費……。アリス、君のボーナスは向こう3ヶ月、いや半年カットだ」
「はぁ!?ふざけんな!あれは正当防衛だろ!むしろ『害虫駆除手当』を寄越せってんだ!」
アタシが机をバンバン叩いて抗議しようとした時、ヒルダ団長がペラリと一枚の羊皮紙をヒラヒラさせた。
「ま、そう怒るな新人。借金を返すための『美味しい仕事』が来てるよ」
「美味しい仕事?」
アタシの耳がピクリと反応した。「美味しい」という言葉には弱い。
「ああ。場所は『腐食の森』。依頼内容は、森の奥に発生した『変異植物』の駆除だ」
腐食の森。
王都から離れた場所にある、紫色の霧が一年中立ち込める危険地帯だ。瘴気が濃すぎて、普通の騎士なら入って5分で肺が焼け、10分で精神に異常をきたすという、ピクニックには絶対に行きたくない場所ナンバーワンだ。
「……団長。それ、美味しいんじゃなくて『毒々しい』仕事ですよね?味覚おかしいんですか?」
「報酬は弾むらしいよ。誰もやりたがらないからねぇ」
アタシは嫌な予感がして顔をしかめたが、部屋の隅からガタッ!と大きな物音がした。観葉植物の陰から、白衣の小柄な少女――ネネが、獲物を見つけた猫のように飛び出してきたのだ。
「……行く」
「うおっ、珍しいなネネ。いつもは『邪魔』か『実験中』って言って興味なさそうなのに」
「腐食の森……あそこは希少な毒草の宝庫。変異植物なんて、最高のサンプル。……ふふ、ふふふ」
ネネの前髪の隙間から、怪しい、あまりにも怪しい眼光が見えた。彼女は愛用の解剖用メスと、大量の空き瓶、そして謎の薬品をリュックに猛スピードで詰め込み始めた。
「早くして。植物が枯れちゃう。新鮮なうちに愛でてあげないと」
【腐食の森】
現地は、予想通りの地獄絵図だった。
空はどんよりと薄暗く、木々は苦悶の表情を浮かべるようにねじ曲がり、地面はボコボコと泡立つ紫色のヘドロで覆われている。
「くさっ!なんだこの匂い!生ゴミと腐った卵を煮込んだ匂いがする!」
アタシは鼻をつまんだ。
全員、支給されたガスマスクを装着している。見た目は完全に怪しい集団だ。
ただし、エリザ博士がアップデートした、アタシの着ている「特注白衣」だけは、空気中の瘴気すらも「汚れ」と見なして浄化しているのか、アタシの周囲半径30センチだけ、アルプスの山頂のように空気が澄んでいた。便利すぎて逆に怖い。
というか、ただガスマスクが足りなかっただけだが。もし、アタシが暴れて、白衣が機能せずに死んだら一生恨むことにする
「気をつけてねぇ。この沼、落ちたら骨まで溶けるわよぉ♡ 美容には最悪ねぇ」
ボーグさんが、震える双子を両肩に乗せて、ヘドロの上を軽やかに、ズブズブと沈みながら進んでいく。
「……ここ。ここがいい」
先頭を歩くネネがピタリと立ち止まった。
そこは、森の最深部。
瘴気が最も濃い広場の中央に、見上げるほど巨大な「人食い花ラフレシアの化け物」が、王のように鎮座していた。
肉厚な花弁からはドロドロとした消化液が滝のように滴り落ち、周囲には哀れな動物の骨が散らばっている。
「うわぁ……趣味悪ぃ花だな。誰だよこんなの植えたの」
「んあぁ……素晴らしい……ッ!ビューティフル……!見て、あの赤黒い斑点の幾何学模様……膿んだ傷口から溢れ出るような、あの粘液のテクスチャ……!なんてセクシー、なんて淫靡な輝き……っ!あの消化液はタダモノじゃない……。強力な酸性? いや、もっと根源的な『崩壊』の気配がする……!あれを塗れば、カチカチの騎士団の鎧だって、熱々の鉄板に乗せたチーズみたいに、ドロッドロのグチョグチョに溶け落ちるよ……!あはッ、あはははは! 想像しただけで脳汁が出そう……!!」
うわぁ。キモいなコイツ……
アタシの背筋を、氷水のような悪寒が駆け抜けた。ガスマスク越しでも分かる。コイツ、今、絶対ニチャアって笑ってる。しかも頬を染めて。
目の前にはゲテモノ、隣にはホンモノ。
アタシは無言で、ネネから半歩……いや、三歩ほど距離を取った。物理的な距離よりも、精神的な距離はすでに数キロ離れている気がする。
溶解液でドロドロの化け物を見て「セクシー」とか抜かす奴とは、来世まで分かり合える気がしない。
その時、巨大花が侵入者に気づき、花弁を大きく開いた。
ジュボォォォォ!!
花の中心から、太いツルが鞭のように唸りを上げて襲いかかってきた。
「危ない!全員散開!」
ルインが悲鳴交じりに叫ぶ。アタシは前に出た。こういう時はアタシの出番だ。
「ネネ! サンプルが欲しいんだろ? こいつを引っこ抜けばいいんだな!?」
「うん。でも気をつけて。あの消化液、白衣の結界でも防ぎきれるか怪しい。あと、傷つけすぎないで。観賞用にするから」
「注文が多いな!上等だ! 草むしりの時間だオラァ!」
アタシは白衣をなびかせ、襲い来るツルに向かって正面から突っ込んだ。
「シャァァァ!」
植物が咆哮を上げ、溶解液を高圧洗浄機のように噴射してくる。アタシはそれを右へ左へとジグザグに回避し、本体の茎に肉薄した。
「デカい図体しやがって!アタシから見りゃ、庭の雑草と一緒なんだよ!」
アタシは太さ数メートルはある極太の茎にガシッと抱きつき、泥に足を踏ん張った。
「ぬんッ!!」
メリメリメリ……!
アタシの非常識な怪力に、巨大な根が悲鳴を上げて地面から浮き上がる。
植物が苦し紛れに、頭上の巨大な花弁を閉じて、アタシを丸呑みにしようと降りてきた。
「アリス!上だ!食べられるぞ!」
「……邪魔だぁぁぁ!!」
アタシは茎を掴んだまま、上から迫る花弁の口に向かって、自ら頭を突き上げた。
「『お庭の手入れ・根こそぎ(ウィード・キラー)ヘッドバット』!!」
ズドォォォォン!!
アタシの頭突きが花の中心核を正確に貫いた。
衝撃で巨大な花が「グエッ」と呻いてのけぞり、その勢いで根っこごと完全に地面からスポーン!と引っこ抜かれた。
ドサァァァァッ!!
巨大植物が横倒しになり、沈黙する。あたりに静寂が戻った。
「……ふぅ。一丁あがり」
アタシは額の汗を拭った。白衣には消化液が少しかかったが、シュワシュワと音を立てて浄化されていく。ギリギリセーフだ。これ、落ちなかったらエリザに文句言うところだった。
「キャアアアアッ!!ブラボー!!新入り、天才!?力こそパワーだよね!!」
ネネが白衣をバタつかせ、残像が見えるほどの猛スピードで駆け寄ってきた。
その手には、禍々しい蛍光色の液体がなみなみと入った極太の注射器が握られている。目が、完全にイッている。輝きすぎて怖い。
「見てこの根茎の艶!毛細根一本千切れてない!完璧な『生体標本』!新鮮そのものだよ、ハァハァ!!」
「お、おう……」
ネネはビクンビクンとのたうち回る巨大な茎に頬ずりし、愛おしそうに撫で回した。
「……んふ。んふふふ。ねえ新入り。見て、この痙攣。この子、まだ生きてる」
「あ?苦しそうだし、トドメ刺しとくか?」
「ダメッ!!……決めた。持って帰る」
「は?」
「うちの子にするの」
アタシが「は?」の口の形のまま固まっているコンマ一秒の間に、ネネは倒れた巨大花の中枢――その急所に、極太の注射器を振りかぶった。
「大人しくして……ッ!!」
ズドォォォンッ!!
もはや医療行為というより杭打ちの勢いで、ネネは容赦なく針を深々と突き刺した。
ブスッ。
「これは『服従の薬』。植物の神経系を麻痺させて、言うことを聞かせるの。……これで、私の実験室の番犬になってもらう」
ブルルッ……
薬を注入された巨大花が恐怖に震え、そしてシュルシュルと見る見るうちに小さく縮んでいった。
ネネはそれを手頃なサイズの植木鉢に植え替え、愛おしそうに葉っぱを撫でた。
「よしよし。いい子だね。今日からアンタの名前は『ポチ』だよ」
ポチ(元・人食い花)が、媚びるように葉を揺らした。
「……お前が一番怖いよ」
【帰路】
アタシたちは、泥だらけになって帰ってきた。
荷台には、ネネが採取した大量の毒草と、植木鉢に植えられた「元・巨大食人花」が積まれている。ポチは時折、通り過ぎる虫を捕食していた。
「ネネ、それ本当に寮に置くのか……?夜中に食べられたりしない?僕、寝てる間に消化されたくないんですが」
「大丈夫。ボーグの料理の残飯を与えれば、大人しくなるから。栄養価も高いし」
ルインが遠い目をしている。胃薬に手を伸ばす手が震えていた。
「……アリス。君も大概だが、ネネのペットも相当な『災厄』だぞ。僕の心休まる場所はどこにあるんだ」
「知るか。……あー、腹減った。ボーグ、今日の飯なに?」
「今日はねぇ、腐食の森で採れた『毒消しキノコ』のクリームパスタよぉ♡デトックス効果抜群よ!」
こうして、第四救護団の寮に、新たな同居人(食人植物)が増えた。
ネネの部屋の前を通ると、時折「ウグルル……」という低い唸り声が聞こえるようになったが、誰も深く考えないことにした。そんなことより、明日の飯の方が大事だからだな。
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