第14話 落下する天使と、燃える新兵の涙
ヒュゴォォォォ……!!
鼓膜を食い破るような風切り音が、脳髄を直接揺さぶる。重力という名の巨人の手が、アタシの足を掴んで地面へと引きずり下ろしていく。
地上40メートルからの自由落下。
「あ、これ死んだわ」
あまりに現実味のない状況に、アタシの思考は冷え切っていた。
走馬灯が見える。
感動的な思い出など一つもない。映し出されたのは、幼い頃、母マリアンヌに布団でぐるぐる巻きにされ、窓から雪の中へ放り投げられた記憶やら、何かにつけて外に放り出された記憶だ。
くそっ、あのアマ。死ぬ間際までストレスを与えやがって。地獄の底から這い上がって呪ってやる。
「チッ……世話が焼ける新人だねぇ」
ふと、地上から気だるげな、しかしよく通る声が風音に混じって聞こえた気がした。視界の端、馬車の横でタバコをふかしていたヒルダ団長が、スッと愛用の杖を空に向けたのが見えた。
「『風のクッション(エア・バッグ)』」
ボフッ!!
地面に激突して肉塊になるコンマ一秒前、アタシの体は見えない「空気の塊」に受け止められた。強烈な減速Gがかかり、内臓が口から飛び出しそうになる。
「ぐぇっ!?」
「ナイスキャッチよぉ~♡」
勢いが死んだところを、待ち構えていたボーグさんが「お姫様抱っこ」で優しくキャッチした。鋼鉄のように硬く、羽毛のように柔軟な大胸筋が衝撃を吸収する。
「……生きてる?」
「バブゥ……って、ふざけんな!首がもげるかと思ったわ!」
アタシはボーグの丸太のような腕から飛び降りた。足が少し震えているが、怪我はない。
助かった。ヒルダ団長、やるじゃん。ただの給料泥棒とか言ってごめん。十分の一くらいは撤回してやる。
だが、安堵したのも束の間だった。
ギャオオオオオオン!!
上空に残っていた2匹のワイバーンが、仲間を殺された怒りで咆哮を上げ、空気を震わせた。ゴブリンライダーが血走った目で叫ぶ。
「殺せェェ! 焼き尽くせェェ!」
2匹が同時に口大きく開く。喉の奥で、紅蓮の炎が渦を巻くのが見えた。
標的は――アタシたちではない。
逃げ遅れて瓦礫の下でうずくまっている、一人の若い新兵だった。
「ひっ……うぅ……!」
まだ10代半ばだろうか。支給されたばかりの真新しい槍を握る手は震え、腰が抜けて動けないでいる。顔面は恐怖で歪み、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。
「嫌だ……死にたくない……母さん……!」
その言葉が、アタシの耳に棘のように刺さった。
母さん。
アタシもさっき、死ぬ瞬間に思い出した単語だ。どんなにクソババァでも、どんなに酷い思い出しかなくても、人間が死の淵で縋るのは、結局そこなのか。
(……チッ。胸糞わりぃ)
アタシは舌打ちをした。
金のため? 自分のため?
違う。今はただ、「その情けない泣き顔が気に入らない」。それだけだ。
「ボォォォォォ!!」
上空から二条の火炎放射が放たれた。空気が焼ける音がする。新兵が絶望に顔を歪め、ぎゅっと目を閉じる。
――来ない。
肌を焼く熱が、来ない。新兵が恐る恐る目を開けると、そこには、純白の天使の顔があった。
「……え?」
アタシは新兵を庇うように立ちになり、白衣の裾を翼のように大きく広げていた。
『王立魔導研究所・特注白衣(魔法防御・極)』。
その防汚・防魔の結界が、ワイバーンの吐き出す数千度の業火を真正面から受け止め、左右へと激しく弾いていた。
「ぐっ……熱ぃな……これ……!」
魔法防御があるとはいえ、物理的な衝撃と熱量は伝わってくる。背中が焼けるようだ。髪がチリチリと焦げる匂いがする。白衣の結界がきしみ、悲鳴を上げているのがわかる。
だが、アタシは一歩も引かなかった。ここで引けば、このガキが灰になる。
「あ、あの……貴女は……」
「泣くな、ガキ。戦場でママを呼ぶな。呼ぶなら『救護兵』を呼べ」
「っ……!」
「遺言はな、請求書のサイン欄に書いてからにするんだな!」
アタシは気合と共に炎を弾き飛ばし、白衣をバサッと翻した。その姿は、煤だらけでボロボロだったが、新兵の目には後光が差す「戦場の天使」そのものに映ったことだろう。
「ルイン!ボーグ!ネネ!反撃だ!」
「アリス!準備はできてるぞ!」
アタシの号令に、いつの間にか展開していた仲間たちが応える。ルインが杖を高く掲げる。
「『閃光』!!」
視界を奪う強烈な光が炸裂し、ワイバーンの目を焼き尽くす。
ギャッ、と怯んだ隙に、ボーグさんが瓦礫の山から建物の柱(石柱)を軽々と引き抜いた。
「あらん、いい形♡行くわよぉ、特大ホームラン!」
ドゴォォォン!!
剛腕から投擲された石柱が、唸りを上げて空を裂き、一匹のワイバーンの翼を根元からへし折る。
墜落する敵。
残る一匹が、恐怖に駆られて高度を上げ、逃げようとするが――
「逃がさないよ。……風に乗れ、私の可愛い胞子たち」
いつの間にか風上に立っていたネネが、白衣のポケットから紫色の怪しい粉末をふわりと散布していた。風に乗った粉を吸い込んだワイバーンが、ビクンッと空中で痙攣し、白目を剥いて落下してくる。
「えっ、何あれ?」
「『ドラゴンスレイヤー(殺虫剤)』の試作品。……ちょっと効きすぎたかな?」
ズズゥゥゥン!!
3匹すべてのワイバーンが地上に落ち、土煙を上げた。
完全勝利だ。
アタシは首をコキコキと鳴らし、墜落して目を回しているゴブリンライダーの元へゆっくりと歩み寄った。
「よぉ。降りてきたな、高みの見物さんよ」
「ヒィッ! 助け……!」
「安心しな。ここは救護団だ」
アタシはニカっと笑い、拳を握った。骨の鳴る音が心地よい。
「『物理治療』の時間だ。たっぷり可愛がってやるから覚悟しろよ?」
☆★☆★☆
戦闘終了後。
アタシは黒焦げになった白衣(自動修復機能で、徐々にだが白く戻りつつある)をパタパタと払いながら、座り込んでいる新兵に手を差し伸べた。
「立てるか?坊主」
「は、はい……!ありがとうございます!聖女様!」
「聖女じゃねぇよ。アリスだ」
アタシは懐から、熱で少し端が焦げた羊皮紙を取り出した。ペンを取り出し、サラサラと書き込む。
「はい、これ」
「これは……?」
「請求書。『火炎防護代』と『精神的支柱代』。あと『クリーニング代』も追加な。……出世払いにしてやるから、死ぬ気で働いて返せよ?」
新兵はポカンとした後、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔をくしゃくしゃにして、何度も頷いた。
「はいっ!絶対に返します!アリスさん!」
その真っ直ぐな瞳が眩しくて、アタシはふいと視線を逸らした。遠くでルインが「また変な名目を……後で経理処理どうするんですか……」と頭を抱えていたが、アタシは知らんぷりをした。
少しだけ、背中の火傷が痛む。
でもまあ、たまにはこういう痛みも悪くない。
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