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6.夏休み


 夏はいよいよ盛りを迎え、日差しは容赦なく照り付ける。屋敷の周りの木々は枝葉をいっぱいに伸ばして木陰を投げかけているが、吹く風もじっとりと熱く、木陰にいても汗を掻く様な心持だ。

 草は日々ぐんぐんと伸び、また蔦になる様なものも多く、油断すると即座に地面を覆い尽くしてしまうので、トーリは家事の合間に鎌を片手に草と格闘した。


 ギルドへの魔法薬の納品は暮らしの一部になり、ユーフェミアはちょくちょくと作業場に入って調合し、時には使い魔たちを連れて素材集めに出かけた。シリルへの家庭教師も続けられており、魔眼は順調に彼の制御下に入っているらしい。

 トーリは刈った草を熊手で集めながら、額の汗をぬぐった。


「あー、毎日暑いな……」


 ここいらはアズラクの町中に比べればマシなのだが、暑いものは暑い。さらに台所で火を使えば余計に暑いのだ。慣れがあるとはいえ、汗ばかり掻くから大変である。

 特に午後の日は、日差し自体が質量を持ったかの様に重くのしかかって来る。本当は外作業は朝早いうちにやるのが一番なのだが、鳥の世話をして、それから朝食を作ったりしているとたちまち日が上ってしまう。だからいつも暑い中で外作業をする羽目になるのだ。

 トーリは息をついた。


「これ以上はやめとこ……ぶっ倒れちゃ洒落にならねえ」


 それで家に入った。ユーフェミアとシシリアは、朝からシリルの所に出かけているから不在である。シノヅキとスバルが食卓で向かい合っており、セニノマは揺り椅子に腰かけて目を閉じていた。最近は台所の棚の増築に来てくれている。今は昼休みで寝ているらしい。

 ユーフェミアの魔法で屋敷の居間は涼しい。トーリはホッとしながら水差しの水をコップに注いで一息に飲み干した。


「汗だくじゃのう」


 とシノヅキが言った。


「そりゃ外で何かやってりゃこうもなるよ。手伝ってくれりゃいいのに」

「わしらはユーフェの使い魔じゃもん」

「そうだぞ。こき使えると思わないでよね!」


 とスバルが偉そうに言った。都合のいい時に都合のいい事を言いやがって、とトーリは肩をすくめて風呂場に入った。水を浴びて汗を流し、汗まみれの服を洗ってしまう。


 新しい服に着替えるとさっぱりした。

 洗濯物を取り込むまで少し休むかと思っていると、急に扉が開いてユーフェミアが戻って来た。何となくふらふらした足取りでやって来て、トーリの背中に抱き付く。


「おっと」

「んー……ただいま」

「お帰り。早かったな」

「んぎゅー」


 ユーフェミアはトーリの背中に顔を押し付けた。服越しにかかる吐息がくすぐったい。そのままふがふが何か言った。


「なに?」

「しばらくお休み。疲れた」


 曰く、魔法薬の納品やら、その為の材料集めやら、シリルの家庭教師やら、ここ最近はそれなりに忙しく動き回っていたので、十日ほどは何もしないでいたいという事である。

 なんだそりゃとトーリはちょっと呆れたが、よくよく考えてみれば、元々ユーフェミアは怠け者なのだ。したい時に仕事をして、やりたくない時はいつまでも休むというやり方でずっとやっていたから、ここ最近の、彼女としては忙しい生活にくたびれてしまったらしい。

 ごろごろ言いながら甘えて来るユーフェミアを撫でながら、トーリは嘆息した。


「まあ、別にいいけど……話はつけてあるのか?」

「それは大丈夫よぉ。ギルドにも行って来たし、シリル君はしばらく自主練で十分そうだしねぇ。あの子、結構凄い才能があると思うわよぉ?」

「そうか。ならまあ、俺から言う事は別にないよ。またごろごろ生活か」

「どっか行きたい」

「あー、買い物とか?」

「違う。もっと遠く。海とか行きたい。浮き輪でぷかぷかお昼寝するの」

「旅行か? いいじゃねえか、行って来いよ」

「トーリも一緒に行くの。福利厚生です」

「そんな概念がお前にあったのか……いや、でも俺鶏の世話とかあるし、畑の水まきとかもあるし」

「いいの」


 よくないんだけどな、とトーリは困り顔で腕組みした。旅程の長さにもよるが、動物は餌をやらねば飢えてしまう。時期的に草や虫などを自分たちで食べてはいるものの、小屋の中に入れている状態ではそれも難しい。

 しかしユーフェミアはどうしてもトーリと旅行に行きたいらしく、断乎として譲ろうとしない。どうしたものかと思っていると、セニノマが起き上った。


「話は聞かせてもらっただよ……」

「あらセニノマ。起きてたのぉ?」


 とシシリアが言った。セニノマはえへへと笑った。


「目は覚めてただ。起きるタイミングを見計らってただよ」

(なんで……?)

「なにか考えがあるの?」


 とユーフェミアが言うと、セニノマは胸を張った。


「つまり、鶏が草や虫を食える状態にしといてやれば、わざわざ餌をやらなくても何日かは大丈夫なんだべ?」

「まあ、そうだけど」

「んだから、小屋と別に草の生えてる所に放牧場みたいな風なのを作りゃええだよ」

「ああ、そうか……んー、そうだな。畑には多めに水まいといて……そうしとけばまあ、二日くらいは空けられるか……」


 トーリが呟くと、ユーフェミアが嬉しそうに腕に抱き付いた。


「二日でいい。あとはおうちでごろごろするから」

「どこ行っても同じだな、お前は……じゃあ、放牧場づくりか」

「んだ! ふひひ、仕事ができたぞう」


 とセニノマはにやにやしている。地上に居残る理由ができたのが嬉しいらしい。

 柵自体は杭を打ち、そこに網を張るだけだったので、ものの一日で形ができた。鶏小屋の方には、鶏だけが出入りできる小さな入り口を設え、そこから放牧場に出入りできる様にした。

 野生動物の被害は、シノヅキの毛やスバルの羽根をぶら下げておく事で解決した。

 元々屋敷周辺には、フェンリルやフェニックスを恐れて野生動物は近づかないのだが、留守の時はどうだかわからないので保険である。


 ともかく、それで妙に慌ただしく旅行の計画が持ち上がった。サモトックという海辺の町に二泊か三泊かして、のんびりと過ごすという。


「スザンナにもらった」


 と言ってユーフェミアが取り出したのは、旅行案内の雑誌である。宿や観光名所の事がイラスト共に書き連ねられている。

 サモトックはアズラクよりも南西の方に位置する小さな町らしい。ポート・オトバルよりも南側で、湾になっているらしく、広々とした砂浜があって、外海ではなく内海に面しているからか波も基本的には穏やかであり、のんびりするにはよいと書かれていた。


「ここね、昔母様と一緒に行った事あるの。綺麗な所だった。これで読んで思い出したの」

「ははあ、なるほど……」


 普通に行くには片道でひと月以上はかかりそうな距離だが、ユーフェミアは転移魔法を扱えるから行くのも帰るのも一瞬だろう。

 それを思えば、鶏に餌をやりにだけ転移で戻ればいいとも思ったが、それはそれで旅情が削がれそうな気もする。折角行くのに日常の延長線では面白くはない。

 ひとまず放牧場を活用しつつ、何かしらで旅程が長引きそうなら餌やりに戻る方策を立てればいいだろう、という事で話は落ち着いた。


 そうなれば早速支度である。トーリも一緒の外泊なぞ初めてだからユーフェミアも大張り切りで、どこから持ち出したのだか大きな旅行鞄を引っ張り出して来た。とはいえ二泊、長くても三泊の予定であるし、宿に泊まるつもりだから、それほど荷物は多くなくていいだろう。


「着替えと歯ブラシ」

「あとタオルな」

「水着も忘れちゃ駄目よぉ? トーリちゃん、どんなのが好き? 選んで選んでぇ」

「なんで俺なんだよ、自分で決めろ」

「ああんもう、辛辣なんだからぁ」

「トーリ、鍋は持って行かんでええのか?」

「旅先で料理なんかしねえよ」

「なぬ? じゃあ飯はどうするんじゃ?」

「宿で食えばいいだろ」

「むう、わし、おぬしの飯が好きなんじゃが」


 とシノヅキは口を尖らした。嬉しい言葉ではあるが、休暇のつもりで旅に出たのに毎食こしらえるのは流石のトーリも御免である。


「俺のよりうまい飯が出るよ、きっと。相手はプロだぜ?」

「ふうん? まあ、そんならええがの」

「見てー、かわいい?」


 いつの間にかフリルのついた可愛らしい水着を着て、スバルが楽しそうにポーズをとっていた。サイズ的に女児用が実によく似合う。このフェニックスはもうすっかり人間姿に馴染んでいる様だ。

 シノヅキがふんと鼻を鳴らした。


「息苦しくないんかい、そんなもん」

「慣れだよ、慣れー。シノも着れば?」

「どうもこの手の服はぎゅうぎゅうするから嫌いじゃ。まあ、可愛いもんはあるが、泳ぐ時は元の姿が一番じゃし」

「いやいや、うちの近くならともかく、人の集まる所でフェンリルになったら大パニックだって……」

「むう、面倒くさいのう……素っ裸でもわしは気にせんのじゃが」

「人が気にするだろ。水着くらい着てくれって」

「シノはこういうのが似合うと思う」


 とユーフェミアがシャープな印象の水着を取り上げた。いつの間に手に入れているのだか、サイズもデザインも様々な水着がごっそりと置かれていた。ユーフェミアのものもあれば、使い魔たちのものもあるのだろう。シノヅキは頬を掻いた。


「そうか? まあ、わしゃ何でもええわ」


 多少おしゃれを楽しむ様になって来たものの、スバルに比べてシノヅキはまだ興味が薄いらしい。


「セニノマはどうすんの?」


 とスバルが言った。セニノマは遠慮がちに水着を一枚引っ張り出す。


「おらはこんなんでええだ」


 長袖長裾の露出の少ない水着である。色気もへったくれもない。セニノマらしいといえばセニノマらしい。しかしシシリアがそれをひょいと奪い取った。


「駄目よこんなの、つまらない。はい、これ」


 ビキニである。それも紐の様なきわどい代物だ。セニノマは真っ赤になった。


「ぬっ、布面積が少なすぎだぁ! おらこんなの嫌だぁ! ぜってぇ似合わねぇし、第一恥ずかしくて死んじまうだぁ!」

「いいからいいから。ものは試しっていうでしょ。はい、試着。脱いで脱いでー」

「はぎゃーっ! 助けてくれえーっ!」


 面白がって試着会が始まりそうな雰囲気だったので、トーリは慌てて屋敷の外に逃げ出した。

 相変わらずそこいらには燦燦と陽光が降り注ぎ、木々は深緑をこんもりと生い茂らせていた。


「畑が乾かなけりゃいいんだけどな……」


 トーリは呟いた。たっぷりと水をまいて行くつもりではあるが、この日差しを見ていると何だか不安になる。出かけている最中に雨でも降ってくれれば助かるのだが、それは希望的観測にしかすぎないだろう。尤も、暑くなった分だけ夕立の可能性もある。実際、ここ数日は夕立が何度か降り注いだ事もあった。


(旅行か……)


 あれこれと気になる事はあるけれど、トーリも何だか楽しみである。その楽しみの中に、ユーフェミアがしばらくシリルの所に行かないという事が含まれている様に思われて、トーリは頭を掻いた。十歳以上も年下の少年に何を嫉妬しているのだろうか。


 池のほとりの木陰で休んでいるアヒルを眺めながらぼんやりしていると、ユーフェミアが後ろから抱き付いて来た。


「何してるの?」

「いや、別に……水着決まったのか?」

「トーリが決めて」

「何でも似合うからな、お前は……いや、あんまりきわどいのはナシだぞ?」

「セニノマの水着、凄かったよ」


 あの紐みたいなのを着せられたのか、とトーリは額に手をやった。


(お気の毒に……)


 同情はするけれど、トーリにはどうにもできない。しかし本当にその水着姿を衆目にさらすつもりなのだろうか。そうなりそうだったら流石に止めなければ、と思う。

 ともかく紆余曲折、といっても無用の騒ぎの末、ようやく出発という段になった。鶏小屋にはたっぷりと草や屑野菜などを入れておいてやり、荷物を担ぐ。着替えばかりだから大して重くはない。


「じゃあ、行くよ」


 とユーフェミアは片手でトーリの手を握り、もう片方の手で杖を掲げた。ぐんと体が引っ張られる様な感覚があり、周囲の景色が曖昧な色の筋になったと思ったら、ぎらぎらした日差しが頭上から降り注いで来た。


「おお……」


 トーリは思わず嘆声を漏らした。眼前に青い海が広がっていた。波は高くなく、穏やかな海面に太陽の光がちらちらと反射している。向こうには島らしきものがぽつぽつと霞んで見えていた。


「んー、潮のにおいじゃ」


 とシノヅキが鼻をひくつかした。スバルがワクワクした様子で言った。


「お魚とれるかなー?」

「おう、魚とりか。そりゃ面白そうじゃの」

「あんまり騒いじゃやぁよ? ゆっくりしに来たんだから」

「ふえぇ、おら海初めてだ……綺麗なもんだなぁ」


 銘々に面白がっているらしい。

 今いるのは海に面した高台の上である。周囲は青々した木々や草に囲まれており、一目にはつくまい。

 海側の方は開けていてやや急峻な斜面になっており、そこにもとりどりの灌木が生い茂っていた。それでいて眺望がよく、視線をやれば、向うの白々した砂浜に人々が遊んでいるのがよく見えた。


 一行は荷物を持ち直して砂浜の方に向かった。夏の時期だから海水浴に来ている者も多く、砂にうずまっている者もいた。

 ユーフェミアが持って来た雑誌によれば、何でも健康にいいとかで、湯治の如く海水浴と砂浴を求めて来る者も多いらしい。

 高台から砂浜まではゆるく曲がった小路があり、あの高台にも時には誰かが海を眺めに上って行くのだろう事が窺えた。


 砂浜まで降りると、波の音が一層大きく聞こえて来る様だった。大きな日傘の下で寝転がっている人がいたり、波打ち際で屈んでいる子どもがいたり、沖の方で浮いたり沈んだりしている人がいたり、それぞれに海を楽しんでいる。


「意外に混んでないな」

「うん。あんまり人が多い所は嫌だから」


 そうらしい。確かにユーフェミアはそうだろうな、とトーリは納得した。

 海を背にすると、緩やかな斜面に建物が並んでいるのが見えた。サモトックの町だろう。民家もあるけれど、海側に近い建物はどれも宿の様だ。高級感のあるものが目立つ。

 浜辺と町の境目辺りに木造りの小さな建物やテントなどが建ち並んでいる。あの辺りは市場になっているらしく、露店の類が軒を連ねているらしい。

 町の側を向いて左の方に目をやって行くと、少しずつ陸が海の方へ張り出して、やがて突端から向うへは折れ曲がって見えなくなる。その向こうに舟が出入りしているところを見ると、どうやらあちらに港があるらしい事が窺えた。


 何となくのんびりした所である。アズラクと違って静かで、建物や町の雰囲気にも上品な趣がある。トーリなぞはともすれば一生縁のない様な場所の様にも思われ、だから少し落ち着かない様な気もするけれど、気後れしていても仕方がない。トーリは荷物を持ち直した。



  ○



 灰色の雲が垂れ下がり、空は暗く、空気はじっとりと重かった。

 鬱蒼と茂る木々には苔や地衣類がまとわりつき、重苦しく頭上を覆っている。どの木も根は太く、幹にはこぶやうろがあって、見た目にも不気味な雰囲気を漂わせていた。

 森はだらだらの坂になっており、次第にその傾斜がきつくなって来る。上へと行くにつれて背の高い木が少なくなり、山肌が露出し始める。

 小高いその山の頂上は四方が見渡せるほど開けており、そこに古めかしい小さな砦が建っていた。

 規模は大きくないが、分厚い石の城壁は傷だらけで、過去に何度も戦闘があったらしい事が窺えた。しかし、城壁の前には洗濯物がはためき、薬草などが植わった小さな畑が点在している。生活感に満ち満ちていて、砦としては既に役割を終えてしまった様だ。


 その砦目指して、竜人が一人飛んでいた。姿形は人間の様であるが、手には鋭い爪があり、頬には鱗があった。背には竜の翼をはためかし、太く長い尾が尾翼の様に体の平衡を保っていた。

 竜人は土埃と共に降り立った。干された洗濯物がはためき、洗濯籠を抱えていた男が顔をしかめた。若々しい顔立ちだが、髪の毛は老人の様に白い。


「こらエセルバート、埃が舞うだろうに」

「舞ったから何だというのです。王宮にも顔を出さず、こんな所に引きこもってからに」

「エルネスティーネが出たがらないんだから仕方がないだろう」

「あなたは夫でしょうが、アーヴァル様。もう少し奥方の説得に精を出したらどうなんです」

「私の説得が通用すると思っているのか、お前は」

「……思いませんな」


 エセルバートは嘆息した。


「無理やり引っ張り出そうにも、エルネスティーネ様には敵いませんし……」

「お前、派手に吹っ飛ばされてたもんなぁ。ははは、ウケる」

「お黙りなさい、このロクデナシ。そんなだから娘様にも嫌われるんですよ」

「いやいや、私は嫌われてないだろ。それを言うならお前の方が『エセルバートウザイから嫌い』ってユーフェが言ってたってエルネスティーネが言ってたぞ」

「くっ……しかしアーヴァル様こそ『父様ウザイから嫌い』と娘様が仰っていたとエルネスティーネ様が仰っていましたぞ!」

「う、嘘だろ……よ、よそう! これ以上互いの傷を抉るのはよそう!」

「そうしましょう」


 二人は肩を落としてため息をついた。


「しかし娘様はいつまで地上にいるおつもりなのやら……」

「いいじゃないか別に」

「よかありませんよ。そのせいで最近はシノヅキもスバルもシシリアも地上に入り浸りなんです。ちっとも魔界に戻って来ないし、戻って来てもすぐに地上に行ってしまう。最近は通信まで遮断する様になって、連絡すらおぼつかない。廃都内部の瘴気濃度が増している今、そんな事では困るのです」

「シノたちも前はわざわざ地上に行くなんて事してなかったのになあ。呼ばれても仕事が終わればさっさと帰って来ていた筈なんだが。居心地がよくなったのかねえ?」

「暢気な事を言っている場合じゃありませんよ。エルネスティーネ様がやる気を出してくれない以上、娘様のお力を借りなくてはいけない可能性もあるのですから」

「でもあの子魔界が嫌いだからな……前も随分無理言って来てもらったわけだし、これ以上こっちの都合で振り回すと本当に嫌われるかも……結界の話?」

「そうですとも。廃都の瘴気が異常です。万が一結界が破れでもしたら大混乱が起きます。アーヴァル様、娘様に嫌われたくないならば、どうしても今日こそは奥方を引っ張り出してもらわねばなりませんぞ」


 アーヴァルは頭を掻いた。


「そういう事情なら仕方がない。ひとまず行ってみるか」


 それで二人は砦の中に入った。

 元兵詰め所を通って奥の広間に行くと、そこが居間の様になっている。そこから地下へと階段があって、その先に部屋があるらしい。

 アーヴァルとエセルバートは階段を降り、突き当りの分厚い木の扉をノックした。


「エルネスティーネ。起きてるかい?」


 返事はない。エセルバートがやや乱暴に扉を叩いた。


「エルネスティーネ様! 勤めを果たしていただかねば困ります!」

「頼むよ、エルネスティーネ。結界を点検してくれるだけでいいからさ」


 やはり返事はない。アーヴァルが首を傾げる。


「いつもなら、この辺で扉越しに衝撃波でも来るんだが……」

「妙ですな。まさか飲み過ぎで死んでいるのでは……」


 二人は青い顔を見合わせた。


「少々手荒ですが、失礼しますぞ!」


 エセルバートはぐっと拳を握り込むと、思いきり扉を殴りつけた。竜人の膂力は凄まじく、扉が粉々に吹き飛んだ。アーヴァルが部屋に飛び込んだ。


「エルネスティーネ! うわ、汚っ!」


 部屋中魔導書や酒の空き瓶、書き損じの用紙などで溢れている。

 だが部屋の真ん中だけはぽっかりと物がなく、代わりという様に赤いインクで精巧に描かれた魔法陣があった。エセルバートが鼻の穴を膨らました。


「に、に、に、逃げた!」

「うわあ、長い事出て来ないと思ってたら、転移陣なんか作ってたとは……これ、新開発じゃないか? 流石は私の妻だなぁ」


 アーヴァルは呆れた様な感心した様な、曖昧な表情で頬を掻いた。


「感心している場合ではありませんぞ! 捜索隊を……」

「いや、これはチャンスだ! 今のうちにこの汚部屋を大掃除するぞ! エセルバート、お前も手伝え!」

「何を暢気な事を言っておるのですかあッ!」



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― 新着の感想 ―
[一言] これは主人公と気の合いそうなお義父さん…!
[一言] いよいよ母親が乗り込んで来るのか? 続きが楽しみ!
[一言] 汚部屋掃除が最優先になるとは、さすがトーリの先達・・・むしろ先代?
感想一覧
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