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Twitchy  作者: 蒼原悠
11/11

#11






 風邪が治って、倦怠感もどうにか払拭して、数週間ぶりに昼間の町に出た。

 今日は語学の授業がある。すでに三回連続で無断欠席しているので、そろそろ成績への影響が深刻になってきていてもおかしくない。最悪、その深刻さの度合いさえ把握できればいいというつもりだ。


「ん……」

 ドアを開けて翔は顔をしかめた。日の光が眩しかったのと、外の空気があまり美味しく感じられなかったのとで。

 ここが仮初めにも東京の都心であることを、引きこもっていた数週間のうちにすっかり忘れ去ってしまっていたような気がする。きちんと大学に通えるようになれば、空気の悪さにも運河独特の臭いにも適応してゆけるだろう。そうでなければやっていられない。

 運河が静かに流れている。いつものくせでスマホで写真を撮ろうとして、翔はその手を意識的に引っ込めた。

 (本当にいいと思った景色だけ、撮ればいいや)

 取り囲むように立ちはだかる超高層マンションの群れを見上げて、目を閉じて、開く。頭の中に冷たい外気が循環したのを感じてから、翔は大学の方へと続く運河沿いの道を真っ直ぐに見据えた。

 向き合うべきはTwitterだけではない。

 何より自分の身分を作っている大学生活そのものに、向き合わなければならない。


──『ま、心配すんなって。出会ったきっかけが授業だろうがTwitterだろうが新歓イベントだろうが、気の合うやつとは気が合うし、合わないやつとは合わないさ。本物の友達になれそうな相手との関係なら、Twitterの関係が多少こじれたくらいで揺るいだりしないもんだぜ』


 田町駅の方角へと曲がってゆく一本道を見据えた、翔の瘦せこけた背中を押してくれるのは、今は廉太郎のかけてくれたそんな言葉だけ。




 語学の教室には、見慣れた顔が揃っている。振り向いた幾つもの目が、お、と言わんばかりに丸くなった。

「桜田じゃん」

「久しぶりじゃね?」

 翔は咄嗟に笑みを作ることができなかった。こういう時、どんな顔をしていればいいのだろう。ヘラヘラ笑っていると思われたくはないけれど。

「ちょっと、風邪とか引いてて」

 頭の後ろを掻きながら答えた。だとしても三週間は長すぎだろ、と笑い声が起きて、翔の左胸に鈍い痛みが走った。

「つか、そんな長い間ずっと引きこもってたのかよ」

 うん、と翔は頷いた。今度は意識して笑顔を繕ったつもりだった。

「大したことなかったから、大丈夫。心配かけてごめん」

 そして返事を聞く前に、教室の端の方にある自分の席へと急いだ。

 最悪だ。よりによって振り向いたのは全員、翔がリア垢でフォローしているメンバーだったのだ。

 (揺るいだりしないって、廉太郎は言ったけどさ……)

 たまらなく気まずい空間を抜け出した安堵と、不安と、真逆の感情に板挟みになった翔は、自分の前の机に視線と息とを落とした。リア垢から遠ざかっていた期間が長すぎて、向こうの事情が分からない。怖い。遠い。

 翔は今、心配されているのか?

 それとも単に好奇の目を向けられているだけなのか?

 その区別さえまともに叶わない。Twitterから距離を取っただけで、こんなに情報弱者と化してしまうだなんて。分かっていたつもりだったが、愕然とした。

 あんまり愕然としていたので、眼前に教科書が差し出されたことに気付くまで、少しの時間が必要だった。

「……これ?」

 差し出してきた隣の席の主を見ると、彼はにやりと笑った。「前回の範囲の確認、した方がいいだろ。今回の授業で小テストやるらしいぞ」

 当たり前だが聞いていない。翔の顔は青くなって──それから少し、赤に戻った。

「予習に使っていいから」

 その言葉に添えられるように教科書を突き出され、翔はそれを両手で受け取った。「い、いいのか?」

「だって前はよく、教養科目の講義ノート見せてもらってたし」

 翔は言葉を詰まらせた。

 お前は桜田にノート頼りすぎなんだよと、教室の向こうの方から野次が飛んできた。手前に視線を引き寄せる。要点の細かく書き込まれた教科書のページに、一瞬、以前渡したノートや教科書のページの残像が重なって見えた。

 一ヶ月前までのあの努力が、今この場所で、テスト対策の教科書に姿を変えているのか。

「あ、そういや桜田ー」

「今度俺ら、六本木の美術館でやってる特別展に行こうと思ってるんだけどさ、お前も来ねぇ?」

 教科書に目を通し始めた途端、今度は遠くから声がかかった。

 またも言葉に詰まって、すぐに返事が思い付かなかった。バカ、あいつ勉強中だろと誰かが言って、どっと笑いが起きた。翔も、ほっとした。

「あとで行き先の話とかメッセージ送っとくから、確認しといてくれなー」

「ありがとう」

 背を伸ばして、そう返答した。


 みんなはきっと知ってはいまい。翔が二度も、言葉に詰まってしまった理由など。

 Twitterの世界からも、現実の教室からも長く姿を消していた翔のことを、誰もが忘れ去らずに出迎えてくれたのが、完全に予想外だったなんて。

 自分の存在を認識してもらえていたことに、不在を案じてくれたことに、こんなにも心の奥が温まっただなんて。




 昼休みの食堂で、洋にも会った。翔を発見するなり顔を曇らせた洋は、少し急ぎ足で翔の席までやって来た。翔は無意識に身構えてしまいそうになった。

「桜田、風邪引いてたんだって?」

「誰から聞いたんだ」

 洋は翔のアカウントをブロックしているはずだが。すると洋はスマホを取り出し、廉太郎のアカウントを開いてみせた。

「【翔が風邪でヤバいほど衰弱してるんだが】ってツイートしてるの、見かけて」

 廉太郎経由だったのだ。合点がいった。

「おかげさまで治ったよ」

 苦笑いすると、そっか、と洋も笑った。「よかったじゃない。てか、あいつ、どんな看病してったの?」

「どんなって……。料理とか、薬買ってきてもらったりとか」

「へぇ。バイト戦士はやっぱ女子力も高いんだなぁ」

 廉太郎といえばアルバイトに励む人、という認識は相変わらず広い様子である。

 感心したような声を上げたきり洋が黙ったので、話題が途切れてしまった。ちょうどいい折りだ──。長いこと尋ねてみたかった疑問を、翔はぶつけてみることにした。

「あのさ」

「何?」

「洋にとってさ、Twitterってどういう存在なんだ?」

 洋の表情が締まった。「……その、やっぱりまだ、気にしてる? あたしが桜田をブロックした件」

「そういうわけじゃないよ」

 本当は、今も少し。

 翔は反対に表情を緩めた。

 これからも気にするべきか、それともきっぱり忘れるべきか。それを見極めるために敢えて、この質問をぶつけてみたいのだ。

「あたしにとって、か……。何だろ」

 洋はしばらく思案していたようだったが、うん、と頷いた。「難しいこと考えずに、頭空っぽにして見ていられる場みたいな。現実世界の人間関係だって複雑怪奇なのに、SNSでまで……ねぇ?」

「……そっか」

「あ、勘違いしないでほしいんだけど」

 そこから先に続く言葉の中身は分かっている。翔は首を振って、その続きを遮った。

 大丈夫。分かっている。

 Twitterでの翔と現実世界の翔はイコールではないと言いたいのだ。

 逆も然りだ。そして、そのことを洋はちゃんと理解して、そういう(・・・・)使い方を心掛けているのだろう。だとすれば、翔と洋の間にあったフォローの関係は、出会いの場の提供という最大の役目をすでに終えているのだ。

 それならそれで──。

「なんでそんなことを?」

 終始、何も気付いていない様子の洋だったが、予想していた答えを得られた翔の心には、いつしか自分でも驚くほどの平穏が訪れていた。

 それが明日には失われてしまう平穏なのかもしれなくても、今は構わないやと思えたのだ。



   ◆



 Twitterには今もまだ、恐くてなかなか触ることができないでいる。

 ネットの閲覧と電話やメール、それに写真撮影──SNSに時間を奪われて姿を隠していた機能が、近頃の翔のスマホの用途に復活しつつあった。ウケ狙いとかではなく、ただ、自分が感動した写真だけを撮ろう。考え方を変えただけで肩の荷が下りたように感じてしまうのは、それだけ翔の意識の中に巣食っていた何かがあったということなのかもしれない。

 Twitterを開かなくなったからといって、スマホを使っている時間が大きく減ることはなかった。今でも少し、画面に向かい合っている間の安堵にも似た静かな心持に沈むことがある。依存症と言われたらそれまでだが、今に始まったことではないわけだし、急いで克服しようと思う気持ちがあるわけでもない。ゲームやPCに時間を食われながら生きている人間など、周りを見渡せば無限に立っている。照明が落ちることのない深夜のオフィスを見上げるたび、ああ、あそこにも仲間がいると感じてしまう。

 大学には少しずつ通えるようになった。二週間、三週間と、徐々に頻度を上げながら授業に復活するようになると、元あった友人たちとの交友状態が不登校を経てどうなっていたのかも、何となく把握できてきた気がする。

──『お前このままTwitterやめちゃえばいいんじゃね?』

 なんて言葉をかけられたりもした。

──『やっぱそう思う? ちょっと悩んでるんだよね』

 翔は苦笑いして、そう返すようにしていた。友達が何を思ってそういう提案をしているのか、計りかねることは多い。単純に自分が翔のアカウントの姿を見たくないから案じてくれているのかもしれない。

 でも、疑心暗鬼にばかり心のメモリを費やしていると、やっぱり呆気なく疲れてエネルギーを切らしてしまう。

 (Twitterにしろ何にしろ、「自分はこういう風に使うんだ」ってのをはっきりさせなきゃ、迷って振り回されるばっかりだろうしな)

 そんな風に考えられるようになった自分を、オトナになったと評するのは傲慢だろうか。




 夏も近付いてきた夜の運河の水面には、むっとするような熱気がどこからか乗って流れてきている。

 手すりに寄りかかり、翔は通話のボタンを押した。電話番号のところに表示されているのは、彼方で便りを待つ母親の名前。

 懐かしい感触がする。以前の翔にとって、深夜のアパート前の運河沿いの光景といえば、遠い郷里に声を届けるための舞台装置みたいなものだった。何気なく顔を上げて見えた景色に感銘を受けて、写真を撮って、それがTwitterの交友を広げるきっかけになるだなんて、あの頃の自分に想像を及ばせることができただろうか。

 穏やかな熱気を肌に感じながらコール音を数えること、数回。懐かしい母の声が耳に飛び込んでくる。

──『翔?』

「母さん」

 翔は少し身を乗り出した。母の声色が変わった。

──『あんたねぇ、いったいどれだけ長いあいだ連絡を寄越さないでいる気だったの⁉ ちっとも音沙汰がないからみんな心配していたんだからね!』

「分かってるよ、ごめんごめん」

──『まさか風邪を引いて倒れたりでもしてたんじゃないでしょうね?』

 思わず翔は背後を振り返ってしまった。高層マンションの林の足元、二十二時を回った運河沿いのデッキには、翔のほかに人影は見当たらない。

 (なんでバレてるんだ)

 一瞬、焦ってしまった。親の勘の鋭さに背筋が冷える。Twitterなど見ていなくても、分かる人には分かってしまうということか。

「何とかやってるよ。授業も出てるし、勉強だってしてる。みんな忙しそうでなかなか遊びには行けてないけど」

 とりあえず思い付いた言葉で現状報告を済ませておいた。母のため息が右耳の向こう側で響いた。

──『ま、元気でやっているなら、いいんだけど』

 その通りだ。母には余計な心配をかけたくない。そのためにもこれからはまた、それなりの頻度で連絡を入れてあげよう。深呼吸をした翔は、川の対岸に目をやった。

 吸い慣れた空気の先に、見慣れた東京の景色が広がっている。

 見慣れた今でも綺麗だと思える。

 色々と失敗をし続けた数か月間だったけれど、この景色を嫌いだと思ったことはない。大学や授業を嫌いだと思ったこともないし、廉太郎や洋や、たくさんの知り合いや友人たちを嫌いだと思ったこともない。たまに怯えた目で見つめてしまうこともあったけれど、すべてはここに出てきたからこそ、出会えたものたちだ。

 だから反省はしても、後悔だけはしないようにしよう。

 最近そう、心に決めるようになった。


 特に差し迫った要件もなかったので、少し話して電話を切った。帰省の日程の話をし忘れているのに気が付いたが、次の機会でいいか、とスマホをポケットに突っ込みかけた。

 それから思い直して、また取り出した。直角に傾けてカメラを起動し、運河の向こう側、雑居ビルの屋根越しに目映く光るレインボーブリッジの主塔にピントを合わせる。

 パシャリ。川面に間の抜けた音が反響した。

「撮れた」

 画像を確認して、うん、と翔は頷いた。狙いがそれてややピンボケになってしまったけれど、以前の腕はまだ無事に残っていそうだ。

 それを確認して、ホーム画面に戻る。人差し指の先がバックボタンを離れ、画面の隅でじっとしていた青色の鳥の上へとかぶさった。一瞬、痺れが走って、ためらいの感情が膨らみかけたが、

──『いい眺めじゃん、ここ。Twitterに載せてた写真は嘘じゃないんだな』

 むかし、廉太郎にかけてもらった言葉が、指の上から圧をかけてアイコンを押してしまった。




 いつかはまた、開くときが来ると思っていたのだ。


 翔にとってTwitterとは、惚れ込んだ光景をシェアしたり、思い付いた冗談で気軽に笑い合ったりして、現実のそれよりも一段レベルの低い交友関係を楽しむ場。そう、考えていたい。

 受け容れられない人には存在を拒否されるだろう。そしてそのたびきっと、翔は独りで傷付き続けるだろうと思う。現実で嫌われることとは違うのだと実感するのは、やっぱりまだ難しいのだ。

 それでも、ここがそれなりに居心地のいい場所であることには変わりはないから。

 翔にたくさんの経験と出会いをもたらしてくれた場であることは、これからも変わりはしないと思うから。




 【そろそろ本当に虹色にライトアップしてくれないかなー、あれ】




 数週間ぶりに放ったツイートは、あっという間にタイムラインという名の川に流れ込んで、翔の目の前から姿を消していった。


 翔のTwitterとの向き合いが、再開された瞬間だった。














To be continued.










以上で、本作「Twitchy」は完結です。

お読みいただき、ありがとうございました。



本作の主人公・桜田翔は、日本では指折りの普及率を誇るミニブログサービスTwitterで、人間関係のこじれを起こしてしまいます。実は作者も彼と同じ大学一年の頃、似たような経験をしたことがありました。

作中で述べられている通り、本来TwitterはSNSではありません。しかし、ルールを先導して作るべき大人たちがTwitterをうまく使いこなせていない現状、そこには「正しい使い方」「安全な使い方」というものは存在せず、日々さまざまなトラブルが発生してしまっています。Twitterは危険だから廃止すべきだ、子どもが使うべきではない──そういった言説を耳にすることも、決して少なくありません。

しかし本当にそうでしょうか。トラブルを抱えている事例は確かに多くありますが、ユーザー全体の数からすれば、そんなものは微々たる割合に過ぎません。ほとんどの人は問題なくTwitterを使い、SNSを使い、それで何の支障もなく暮らしています。それに自由に意見を発信し、興奮や感動を簡単に共有できる点において、Twitterをしのぐことのできる手段は存在するでしょうか。

では、その差はどこで生じてしまうのか。Twitterで問題を抱えてしまうような人に限って、何か特徴があるのではないか──。

自分自身を省みて、そう考えるようになったのが、本作の構想のはじまりでした。

ちなみにですがタイトルの「Twitchy」は、「神経質な」という意味を持つ英語の形容詞です。



作者にとっても、未だ解決していない問題でもあります。

「SNSは危険だから」などと言い捨ててしまうのを止めて、あなたも考えてみませんか。

感想はいつでもお待ちしております。




2017/5/25

蒼旗悠

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