【213】冒険者試験編⑮ 〜シルティvs賢者、開戦〜
アリーナには薄いスモークが焚かれ、スタンド最前列の特設エリアでは、上半身裸の男たちが複数の太鼓を前に腰を据えていた。
ドン、ドドン、ドドド──。
低く湿った音が、石造りのコロシアムの腹の中を震わせる。
リズムはまだ控えめだが、観客たちは息を潜め、その高まりを待っていた。
太鼓のテンポがじわじわと上がっていく。
胸板を揺らす重低音に呼応するように、人々の鼓動も速くなる。
そして、中央の大太鼓が最後に、ドン!!とひときわ大きな咆哮を放つと同時に──
コロシアムの鐘が、鋼を叩くような高音を響かせた。
「上位職パート、はじめます!!」
司会の声が魔導スピーカーを駆け抜け──次の瞬間、地鳴りのような歓声がグローリーゲイト全体を揺らした。
◇ ◇ ◇
候補者控えエリア。
ゲート前に、四つの影が並ぶ。
まっすぐ伸ばされた四本の腕が、中央で重なった。
エピック・リンクは、静かに円陣を組んでいる。
短い沈黙ののち、アーシスが口を開いた。
「……この二年、色々あったよな。……いろんな合宿、遠征、ネーオダンジョン。……学校がぶっ壊れたりもしてさ」
「ほんと、アクシデントばっかだったよね」
アップルは苦笑しながらも、どこか楽しそうに言う。
「……ああ。運がいいのか、悪いのか、な」
シルティは肩をすくめ、小さく呟いた。
「……でも、あっという間、でした」
マルミィは、懐かしむような柔らかい笑みを浮かべる。
アーシスは一人ひとりの顔を見回し、満面の笑みを弾けさせた。
「でも──俺たち四人で、全部乗り越えてきたんだ!」
その一言で、三人の表情がぱっと明るくなる。
アーシスは手のひらにグッと力を込め、声を張り上げた。
「やるからには勝つ!行くぞ、エピック・リンク!!」
「「「おー!!」」」
後ろで見守っていたパブロフは、頬をわずかに緩めながら、そっと声をかける。
「シルティ、時間だ」
シルティは無言で頷き、ゲートへと歩き出す。
その背中を、アーシスが呼び止めた。
「シルティ!」
振り返るシルティの目に飛び込んできたのは、ふわりと宙に浮いたミニリンゴ。
条件反射で、カプッと一口で咥える。
アーシスはウィンクし、親指を立てた。
「いつも通りなっ!」
シルティは小さく笑みを返し、再び前を向く。
冷静な表情の奥で、炎のような闘志が静かに揺れていた。
──シャリ。
◇ ◇ ◇
グローリーゲイトは、割れんばかりの歓声に包まれていた。
選手紹介が終わり、アリーナ中央に二つの影が向かい合う。
《ナイト》志望──シルティ・グレッチ。
その対面に立つのは、七年目の《賢者》──ジョルノ=ビシャス。
豪奢な刺繍と紋様が施された長いローブ。
首から下がるのは、古代文字が刻まれた青紫の宝石を連ねたアミュレット。
指には大小さまざまな指輪が光り、その手に握られているのはグレートスタッフ──身長を優に超える長さの杖の先端で、宝玉が妖しくうねる光を放っている。
一目でわかる。
──これまでの対戦相手とは、格が違う。
ジョルノは頭のフードをサッと外し、鋭い縁のメガネをくい、と押し上げた。
「……六年、六年かかったんだよ。上位職になるのにさ」
静かな声。だが、そこに積み重ねた年月の重みが宿っている。
「……急がば回れ、で言うだろ?……ダメだよ、楽しようとしちゃ」
上位魔術師から放たれる圧。
シルティは目を細め、その威圧を真正面から受け止める。
──その空気を、唐突な声が切り裂いた。
「うるせぇバーカバーカ!シルティ、気にすんなっ!」
控え席から飛んだ、アーシスの大きな声。
ジョルノがそちらをギロリと睨む。
「な、なんだよ。やんのかよ、シュッシュッ」
アーシスは意味もなくシャドーボクシングを始め、足をちょこまか踏み鳴らす。
ピィィィィ!!
審判の笛が鋭く鳴り、アーシスへ注意が飛ぶ。
「……あのバカ」
少し離れた場所でパブロフは顔を手で覆った。
上階のギルド席では、一人の老人が思わず赤面。
「……?G様、どうかされましたか?」
「な、なんでもないわい!!」
──プッ。
シルティの口元に、ほんのわずかな笑みが灯る。
肩の力がふっと抜け、代わりに研ぎ澄まされた闘気が全身を満たした。
剣を構え、凛とした眼差しで賢者を見据える。
「さて──やるか」
◇ ◇ ◇
審判のチェックが終わり、ホバーボートが上昇する。
同時に、鐘の音がアリーナに鳴り響いた。
「試合、開始ぃ!!」
司会の声よりも早く、シルティは地面を蹴っていた。
砂煙が舞い上がる。
「速いっ!!」
観客席からどよめきが上がる。
一直線──剣先が風を裂き、ジョルノめがけて突き込まれる。
だが、賢者の前に展開された光の盾が、その一撃をはじき返した。
それでもシルティは歩を止めない。
連撃、斬り上げ、薙ぎ払い。
そのどれもが今までの挑戦者とは段違いの鋭さとスピードを誇っていた。
しかし、ジョルノは冷静そのもの。
光の盾を自在に展開して剣圧をいなしつつ、同時に頭上に魔法陣を描いていく。
「いくよっ」
微笑を浮かべ、ジョルノが杖を掲げる。
魔法陣から、鋭い氷柱が上空へと連射された。
空中に浮かんだ無数の氷柱が、放物線を描いて散開し──次の瞬間、氷の雨となってシルティを襲う。
「……っ」
シルティは足を止め、大きく後方へ跳び退った。
ドガガガガガッ!!
氷柱が石床を砕き、破片と粉塵を巻き上げる。
アリーナの一角が、白い氷と瓦礫で埋め尽くされていく。
煙の向こう側で笑みを浮かべる賢者の周囲に、さらにいくつもの小さな魔法陣が浮かび上がった。
「次、いくよ」
ジョルノは天に掲げた杖を、シルティの方へとスッと振り下ろした。
その瞬間──
各魔法陣から、異なる属性の魔法が一斉に放たれる。
雷撃槍、蒼い炎、鋭い雹礫──上空から、左右から。さまざまな軌道で、シルティの逃げ道を削るように襲いかかる。
シルティは冷静にその軌道を見極め、最小限の動きでかわし、剣で弾き、斬り払う。
ほんの一瞬でも判断を誤れば致命傷──そんな攻防が、矢継ぎ早に繰り返される。
「ちちっ、どこまで持つかな?……ほらほらほらほらほらほら!!」
ジョルノは魔力の出力をさらに上げた。
魔法陣の数、射出速度、同時発射の属性の組み合わせ──それらが雪崩のように重なり合い、シルティを魔法の嵐が飲み込んでいく。
爆音が重なり、アリーナは濃い煙に包まれた。
これまでの冒険者とはまるで違う、「上位職」の火力。
観客たちは息を詰め、その圧倒的な光景に言葉を失う。
アリーナ中央には、煙を見つめて口元を歪めるジョルノただ一人。
静寂。
やがて時間が経ち、観客席からざわめきが漏れ始める。
そして──風が流れ込み、煙をゆっくりと押し流した。
白い靄の中に、ひとつの巨大な影が浮かび上がる。
「……なんだと」
ジョルノの瞳が見開かれた。
そこにあったのは、白銀に輝く巨大な盾。
そして、その陰から一歩踏み出してきたのは──傷ひとつ負っていない、シルティ。
「おおーっと!シルティ選手、あの魔法の爆撃を──無傷で切り抜けました!!」
司会の叫びが響き渡り、会場に歓声が爆発する。
「やったーっ!シルティ!!」
控えエリアでアップルが飛び跳ねた。
「すごいな、あの盾。……あっ、もしかして……」
アーシスがぽん、と手を叩くと、アップルがニヤリと笑う。
「ふふ、そーいうこと。あの盾、“スチールフォージ工房”で作ってもらったんだよ!伸縮式の白銀シールド!」
「!!……どうりで、頑丈なわけだ」
「装備を作ってもらったのは、アーシスくんだけじゃ、ない、です!」
なぜかマルミィが自慢げに胸を張る。
「ふーん、なかなか良い盾を持ってるじゃないか」
ジョルノは、唇の端を持ち上げた。
「じゃあ──これは、どうかな?」
そう言って、ローブの中から一冊の古びた本を取り出す。
「……あれは!?」
マルミィの額を、一筋の汗がつたった。
「ん?どうした、マルミィ。知ってるのか?」
アーシスが眉をひそめる。
マルミィは、わずかに声を震わせながら答えた。
「あれは……魔導書。……強力な魔法が、来ます」
「……え?」
「茶番は終わりだ」
ジョルノは魔導書を開き、低く詠唱を始める。
ページの上を、黒と紫の文字がゆらめきながら浮かび上がり、杖の宝玉へと吸い込まれていく。
控えエリアの片隅で、その様子を見ていたパブロフは──咥えていた魔導タバコを、ぽろりと落とした。
「おいおい……それは、さすがにやりすぎじゃねぇか」
焔のような魔力が、グローリーゲイトの空気を一気に塗り替えていく。
(つづく)




