【207】冒険者試験編⑨ 〜ファステップの夜、英雄たちの門へ〜
《グローリーゲイト》。
それは古代の遺跡を改装した、伝説のコロシアム。
"英雄たちの魂が帰る門"──そう呼ばれ、幾千の冒険者たちがこの地で夢を賭け、命を散らしてきた。
十年前から、この聖地が冒険者試験の最終試験会場となっている。
年に一度、七日間に及ぶ最終試験は《セブンデイズ・ジャッジメント》と呼ばれ、日替わりで各地の育成学校の試験が行われる。
セブンデイズは、さながら一大イベントのような盛り上がりを見せており、その舞台がある運河と風の街には、期間中、大陸各地から多くの観光客が詰めかけ、日夜問わずお祭り騒ぎとなるのが恒例となっている。
ウィンドホルム分校の出番は──試験初日。
アーシスたち試験に臨む生徒たちは、前乗りでこの地へと到着していた。
◇ ◇ ◇
運河沿いの静かな街は、年に一度の祭りの熱気に包まれ、まるで呼吸を変えたかのようだった。
普段は静かな石畳の道は、詰めかけた観光客で埋め尽くされ、レンガ壁の家々はその喧騒を吸い込んでいるかのようだ。
色とりどりの屋台が軒を連ね、揚げたてのストロープワッフルの甘い香りと、名物フィッシュサンド特有の磯の香りが混じり合い、祭りの活気を一層引き立てる。
街の中心広場では、オルガンの陽気な旋律が響き渡り、民族衣装に身を包んだ人々が踊り、笑い声が飛び交う。
運河を行き交う無数の装飾されたボートからは、歓声が上がり、水面には祭りの高揚と、赤レンガの建物の明かりが煌めいている。
「わあぁ、すっごいねぇ!!」
アップルが両手を広げてくるくると回る。
──ホテルに到着した生徒たちは、夕方から自由時間を与えられていた。
試験を明日に控え、ナーバスになる者が多い中、アーシスたち《エピック・リンク》の面々は、肩を並べて賑やかな通りへと繰り出していた。
くんくんくん……。
さっそく美味しそうな香りに誘われて、シルティの鼻が反応している。
「くすっ、まずは腹ごしらえですね」
いつもと変わらないシルティの様子に、マルミィは思わず微笑むと、
「まずはと言うか……ずっとな」
苦い顔をするアーシス。
その腹に、シルティのボディブローが静かに突き刺さった。
「なんだあれは!?」
カフェの前に設置された屋台をシルティは指差した。
「ん、ああ、あれは"ストロープワッフル"だね。この街の名物みたい」
《セブンデイズ・フェスタ》と書かれたガイドブックを片手に、アップルが説明する。
「食べる!!」
シルティの目が輝いた。
◇ ◇ ◇
──テラス席に腰を下ろすと、温かい湯気と共にワッフルとカプチーノが運ばれてきた。
シルティは待ちきれず、すぐにかぶりつく──
ゴリッ。
思っていたのとは違う歯応え。ほんのり甘さはあるが、硬すぎる。
明らかにテンションが下がる。
それを見た店員はクスッと微笑み、
「二十秒待ってから、お食べください」と言い残し、ワッフルをカプチーノのカップの上にそっと乗せた。
──言われるがまま、待つこと二十秒。
再び手に取ったワッフルは、先ほどとはまるで別物になっていた。
──カプチーノの熱と湯気で、硬かった生地はしっとりと柔らかくなり、中のシロップは溶け始めて、少しだけ外側に滲み出ている。
シルティは再びかぶりつく──途端、鼻腔をくすぐるキャラメルの芳醇な香りが広がった。
温められたシロップはトロリととろけ、まるで蜂蜜のように舌に絡みつく。最初の硬さは消え失せ、しっとりとした生地と熱いシロップが一体となって、口の中で溶け合った。
「う……美味い」
シルティの頬がピンクに染まる。
アーシスもひと口かじって思わず声を上げた。
「なんだこれは、初めてだ!」
「甘い、です……!」
「ん〜、しあわせ〜♡」
運河を渡る風が頬を撫で、ストロープワッフルの温かさが、四人の心をゆっくりと溶かしていった。
──その時。
ダンッ!
隣の席で、空のジョッキが荒々しく叩きつけられる音がした。
「聞いたか!今年は“上位職”に挑むバカがいるんだとよ!」
酔っ払った中年のオヤジの大声が、アーシスたちの耳にも届く。
「ギャハハハ!久しぶりのバカだな、勝てるわけねぇってのに!」
「お前、闘券買ったのか?」
「当たり前よ、たんまり儲けさせてもらうぜ!」
「たんまりっつっても、オッズ低いだろ!」
「ギャハハハハハッ」
下品な笑い声が、ワッフルの甘い香りを打ち消した。
アーシスは無言で立ち上がる。
「……行こう」
四人はそっとカフェを後にした。
◇ ◇ ◇
坂道を登りきると、ファステップの街が一望できた。
赤煉瓦の街並み、輝く運河。
その先に──夕焼けを浴びて、血のように赤く染まる巨大闘技場が見える。
「見ろよ!アレだよな!」
アーシスはわざとらしくテンションを上げる。
「うん、あそこが……《グローリーゲイト》」
アップルは手すりに肘をかける。
「……いよいよ、明日ですべてが決まるん、ですね」
マルミィはぐっと、顔をひきしめる。
「……ああ、そうだな」
シルティは短く応えた。
冷たい風が頬を刺し、沈黙が訪れる
アーシスはくるりと振り返り、とびっきりの笑顔を仲間たちに向けた。
「なぁ……さっきの奴らの言うことなんか気にするなよ!ひっくり返してやろうぜ!」
少しだけ空気が緩む。
「……気にするどころか、むしろやる気出ちゃってるね!」
アップルはししし、と笑う。
「やることを、やるだけだ!」
「です!」
シルティは淡々と答え、マルミィは小さい手をぎゅっと握った。
しかし──どこかカラ元気が漂うその空気を、大きな声が切り裂いた。
「おーい!お前らぁ!!」
振り向くと、ずんぐりとした中年男が手を振っていた。
手入れの行き届いていない茶色いヒゲ、手には闘券を握りしめている。
「ボペットさん!?」
「へへっ、久しぶりだな」
男の名はボペット=ヤンクス。
アンセスターダンジョンで出会った、小さな冒険者だった。
ボペットはアーシスたちの元へ歩み寄ると、手に持つ闘券を高々に掲げた。
「全財産、前らに賭けたからなっ!へへ、頼むぞ!!」
「……!!」
「……おっといけね、演劇がはじまっちまう。それじゃあな!頑張れよ!!」
ニカっと笑うと、ボペットは足早に立ち去っていく。
──高台から、さっきまでの空気は消えていた。
沈黙のあと、アーシスは思わずプッと吹き出した。
「……こりゃ、負けられないな」
「だなっ」
柔らかい笑顔が浮かび、すっと伸ばした四つの拳が音もなくぶつかり合う。
「俺たちは、俺たちの出来ることをやるだけだ」
「うん、まわりの声は関係ない」
「自分を、信じる、です」
「自分を、信じる、だな」
沈みゆく夕日に包まれ、四人は誓いを立てた。
「さぁて、それじゃあ…………」
アーシスは目をつぶってニヤっと笑う。
「……夜の屋台めぐりだ!」
「しゃあ!!行くぞ!!」
シルティは拳を握り、闘気を纏う。
「ちょ、シルティ、本番は明日だよっ」
アップルが慌てて追いかける。
笑い声が坂道を駆け下り、夜のファステップに溶けていった。
──そして、いよいよ明日。
彼らは“英雄の門”をくぐる。
(つづく)




