【194】はじめてのレター編⑪ 〜ただいま〜
グルル……。
奇妙な唸りとともに、五匹のコボルトが街道へ躍り出た。 ──人の子どもほどの背丈の犬頭の亜人。
灰色の毛並みはまだらに汚れ、黄ばんだ瞳がいやらしく光る。
牙をむき、粗末な棍棒をぶんぶんと振り回しながら、馬車の進路を塞いだ。
「ナーベ、手綱頼む」
アーシスは手綱をナーベに預ける。
「一人で、大丈夫ですか?」
「ああ……ちょうどいい、試し斬りだ!」
馬車から飛び降りたアーシスは、砂塵を蹴って前へと進む。
右手の指が、漆黒の鞘の上で吸い付くように止まった。
「グルァァァァ!!」
コバルトたちはいっせいに棍棒を振り上げ、咆哮とともに飛びかかる。
──アーシスの瞳が細く鋭く光を結んだ。
ジャキッ──。
素早く剣を抜き放ち、身体を回転させながら──一閃。
「──えっ?」
だが、手応えがない──空を切った感覚にアーシスは焦る。
振り返ると、そこには迫り来るコバルトの群れ。
──やられる。
眉をしかめた、次の瞬間、
グ、グル、ル……。
五つの影が同時に止まり、胴が、音もなく真っ二つに割れた。
──バシュウゥゥッ!!
血飛沫が遅れて弧を描き、赤い雨となって街道に散る。
地面へ落ちる棍棒の音が、風の音よりも遅い。
「す……すごい……」
御者台で見守っていたナーベが、思わず息を飲む。
「はは、なんちゅう斬れ味だよ。……こいつは……想像以上だな」
アーシスは刃を軽く返し、アビスグラムを鞘へ収める。ぬるりと吸い込まれるような納刀音が心地よい。
アーシスは顔を上げ、続く街道のはるか先を見つめる。
遠く、霞む地平の向こうに、ウィンドホルムの街並みが小さく見え始めていた。
◇ ◇ ◇
ウィンドホルム・ギルド支部。
「ふぁ〜、ようやく帰ってきたなぁ」
アーシスが扉を開けると、カウンターのマーメルが二人の姿に気づく。
「アーシスくん、ナーベさん、おかえりなさいっ」
「ただいま〜」
「無事みたいで何より、依頼のほうはどうだった?」
「いやぁ、大変だったよぉ。はい、これ報告書」
「うん、クラウディス氏のサインも入ってるね。……あら、噂と違ったんだ」
「毒、でした」
「……もしかして、くらった?」
「はい。強いやつ」
「ふふっ」
アーシスのぐべっとした顔に、マーメルは思わず吹き出す。
「でも、ナーベが助けてくれたんだ。ほんと、一緒に来てくれてよかったよ!」
「いえ……私はそんな」
ナーベは頬を染め、視線を落とした。
その時、
ガラン、と入口の扉が開いた。
「あっ!!アーシス!」
聞き慣れた明るい声が弾む。
アップル、シルティ、マルミィ──おなじみの顔が雪崩れ込んだ。
「おー、みんな!久しぶりっ!」
「帰ってきてたのか。……シャリ」
リンゴをかじるシルティ。
「無事みたいで、なによりです」
マルミィは控えめな笑顔を見せる。
相変わらずの三人を見て、アーシスも思わず顔が緩む。
「なに笑ってんのよ〜、置いてけぼりにしたくせに〜」
アップルのじと目が突き刺さる。
「いやいやいや、呼びに行く時間がなかったんだよ!ねぇ、マーメルさん!」
「ふふっ、報酬、用意してくるね。みんなもゆっくりしててね」
マーメルは奥の部屋へと姿を消す。
アーシスたちは待合のソファに腰を落ち着けた。
「私たちは置いてったくせに、ナーベは一緒だったんだ〜」
アップルは横目でナーベをじとっとみつめる。
「いや、その時たまたまそこに居たからさ、な?ナーベ」
「……はい」
「ふ〜ん……たまたま、ね。……まさか旅の間に、やましいことはなかったよね?」
「あ、あるわけないだろ!な、ナーベ?」
アーシスが振り向いた先で、ナーベは真っ赤になり、固まっている。
「「「……!!?」」」
アップルたち三人に雷が走る。
「ちょっ、ナーベ!?何もないよな!?」
焦るアーシス。
「アーシスくん、不潔です!」
目を潤ませるマルミィ。
「見損なったぞ、アーシス」
シルティの冷たい一言。
「どーいうことか、説明してもらおうか?」
腕を組むアップルの目が細くなる。
「誤解だってぇ〜!!」
アーシスの魂の叫びがギルド内にこだまする。
「……誤解です。やましいことはありませんでした」
ナーベが静かに言葉を落とす。
「ほらほらほら〜!誤解すんなよ!俺たちはヤトソ山脈に調査に行って、毒の沼の魔物を退治して、帰りにスチールフォージ工房に寄って帰ってきただけだよ!」
「……!、そういえば、剣が変わってるな」
シルティの視線が、漆黒の鞘に止まった。
「おっ、さすがシルティ、気づいたか!」
アーシスは自慢げに剣を鞘から抜く。
「じゃ〜ん!頼んでたオリハルコンの剣が完成してたんだ。その名も、漆黒の魔剣──アビスグラム!」
黒い刀身に、細かく刻まれた金の魔導細工が七色に光を反射する。
「こ、これは……すごい剣だな」
シルティが、珍しく素直に息を呑んだ。
「ああ、今までと次元が違う切れ味だったぜ」
「へ〜、よかったね〜!」
「魔法がよく通りそうですね……」
「…………それじゃあ…………肉を焼いてみるか」
シルティの口元からよだれが垂れる。
「おいっ!!」
「じょーだんだよ、冗談」
笑い合う声がギルド内に満ちる。
その輪の少し外で、ナーベは静かに、その光景を見つめていた。
ガチャ。
奥の扉が開き、マーメルが袋を二つ抱えて戻ってくる。
「お待たせ〜。はい、これが今回の報酬ねっ」
マーメルはアーシスとナーベに袋を手渡した。
「おっ、結構あるな」
喜ぶアーシスの背後から、アップルがにゅっと顔を出す。
「ほぉ〜、けっこうあるんですねぇ。……わたしたち、寂しかったなぁ」
ギクッ。
「置いてけぼりだったからな」
「寂しかった、です」
シルティ、マルミィも無表情で追撃する。
「ん〜〜、わかったよ!!……今日は俺の奢りだぁ!」
アーシスはやけっぱちに叫んだ。
「やったー!!」
「肉ー!」
「わーいっ」
瞳を星にして盛り上がる女子達。
「じゃあ行こー!」
アップルがアーシスの手を引き、勢いのまま出口へ。
「ったく、現金だなぁ。マーメルさん、またねっ」
マーメルは笑顔で手を振る。
わいわいと駆け出す三人と一人。
その背を、ナーベは少しだけ俯いて見送っていた、その時──
「なにしてんだ、ナーベ、行くぞぉ!」
アーシスの声が響いた。
「ほらぁ、肉だよ、ナーベっ」
アップルも明るく手招きする。
「肉が嫌いなら、ナーベの分も食べてやるからな」
「嫌いなわけないだろ!食いしん坊が!」
「や、やさしさだ!」
シルティとアーシスがわちゃわちゃと騒ぎ出す。
戸惑うナーベの手を、そっとマルミィが取った。
「行こっ、ナーベちゃん」
「……はい」
小さく微笑んで頷くと、ナーベは手をつなぎ、アーシスたちの後を追う。
その光景を、マーメルは静かに目を細めて見送った。
(はじめてのレター編、完)




