【193】はじめてのレター編⑩ 〜アビスグラム誕生〜
──ひんやりとした質感が額に伝わる。
工房の床に膝を折り曲げ、足の甲を床につけ、お尻をかかとに乗せて背筋を正す。
そして両手を床に伸ばし、頭を下げて額をつける。
流れるような動作。研ぎ澄まされた表情。
(ふっ。……完璧だ。速さ、角度、表情。……どれをとっても、完璧な……"土下座"!!)
「すみませんでしたあぁぁ!!」
アーシスの魂の叫びが、鍛冶工房の梁を震わせた。
カチャ……。
ライザは折れたホワイトソードを右手で持ち上げ、黙って見つめる。
金属の断面に光が反射し、深いため息がこぼれた。
「……しかしまぁ、見事に真っ二つだな」
「……だねぇ。これじゃ、もうメンテナンスは無理だね」
リーネも顔を近づけ、呆れと感心が半分ずつの声を漏らす。
「……!!……す、すいましぇん……」
アーシスはさらに床へめり込む勢いで縮こまる。
「で──この剣で、ネーオダンジョンの守護者を倒したのか?」
「は、はい。……トドメをさしました……」
ライザは無言で剣の切っ先を見つめると、ジャキッと剣を掲げ──にかっと笑った。
「そうか、でかしたな」
「えっ?」
顔を上げたアーシスの目が点になる。
「謝る必要はない、立派な仕事をした」
「だねっ」
リーネも明るく笑って頷いた。
「まぁそれに、こいつは初めて打った剣。出来もまだまだだったしな」
「だねっ」
「リーネ」
「うん」
ライザは折れた剣をリーネに手渡した。
「この剣は、この店の店頭に飾らせてもらうよっ」
リーネは剣を抱え、嬉しそうに微笑んだ。
「ついでにお前のサインも書いとけ。宣伝になるしな」
「えっ?」
呆然としているアーシスの横で、ナーベはくすっと笑いをこらえていた。
◇ ◇ ◇
椅子に座り直したアーシスは、お茶をひと口飲むと、静かに切り出した。
「……それで、代わりの剣が欲しくて……ごにょごにょ。
お金も多少はあるんだ!……報酬貰ったし」
「ふっ、タイミングのいいやつだな」
「えっ?」
リーネは席を立ち、奥の棚から漆黒の鞘を取り出す。
光沢のある鞘には、金色の紋章が刻まれていた。
「これは……?」
「ふふ、ちょうど完成したの、例のやつ」
リーネはアーシスに剣を手渡す。
「抜いてみろ」
ライザの低い声が響く。
アーシスは息を呑み、慎重に剣を引き抜いた。
──ジャキッ。
漆黒に輝く刀身に、細く繊細な金の魔導細工が流れる。
窓から差し込む日差しを受け、角度を変えるたび、七色の光が踊るように反射した。
「きれい……」
ナーベが思わず漏らす。
「ふふ、ありがとっ」
リーネは柔らかく微笑んだ。
「漆黒の魔剣──"アビスグラム"」
ライザの声が、誇らしげに響く。
「オリハルコンの強度を極限まで高め、可能な限り薄く仕上げた。……この剣は、ちょっとやそっとでは折れないぞ」
「魔法をよく通すように細工を入れてあるから、アーシスくんにはピッタリだと思うよ」
リーネがウインクを送る。
アーシスは剣身を見つめたまま、息を呑んだ。
──冷たく美しい漆黒に、圧倒的な生命感が宿っている。
「はは、すご……」
その口元には、子どものような笑顔。
ワクワクがこぼれ出すのを、誰も止められなかった。
「ありがとう!!ライザさん、リーネさん!!」
「ふふ、気にするな、仕事だからな」
「うん、仕事だからね」
「ん?」
「それじゃあ、百万ゼルミな」
「えっ!?」
「お金あるって、言ってたよね?」
「えぇぇっ!?」
アーシスとナーベが同時に凍りつく。
「……ナーベ、お金ある?」
「……いえ、とてもそんな金額は……」
「だよな……」
焦るアーシスの前で──ライザとリーネが、顔を見合わせてニヤリ。
「なーんちゃって、お金は取らないよ」
「"復帰祝い"と言っただろ?」
──パチン。
ライザとリーネは満足げにハイタッチを交わす。
アーシスとナーベは、そっとハンカチで汗を拭った。
(やれやれ……“スチールフォージジョーク”ですね……)
◇ ◇ ◇
夕暮れ。
工房の外は、紫がかった赤い光に包まれていた。
山の稜線が金に縁どられ、村の空気は温かく穏やか。
「それじゃあ行くよ」
「ああ、気をつけて帰れよ」
アーシスとナーベは馬車に乗り込む。
「また来るよ!」
「次は有料だからねっ!」
リーネが笑顔で手を振る。ナーベも思わず微笑み返した。
「次はプロの冒険者になって、ちゃんと稼いでから来るよ!」
アーシスの言葉に、ライザも満足げに腕を組む。
互いに手を振り合い、馬車がゆっくりと走り出す。
山々の彼方へ沈む太陽が、二人の背を橙に染めた。
「さて、帰りますか」
「ええ」
濃密な《レター遠征》の旅が、今、静かに幕を下ろそうとしていた。
(つづく)




